〝刃の王〟
それは、円卓最強の名を欲しいままにしていた伝説の殺し屋。
そして、永久を連れて逃亡した俺に差し向けられた、〝最初にして最強〟の刺客。
単純な戦闘能力だけなら、確かに奴は王の中でも頭一つ……いや、三つは抜けていた。
馴れ合いを拒み、手の内を晒すことを極端に嫌うその性格から、俺も奴の実力を見たことは無かった。
だが、俺も同じ王の肩書きを持つ殺し屋。
互いの力量差は拳を交えなくても分かる。
奴の殺しの手腕、そしてその手際。普段の身のこなし。そして身に纏う気。
奴にまつわる全てが、俺に決定的な現実を突きつけていた。
〝奴には勝てない〟
俺じゃ勝てない。
たとえ鍛えて、不意を突いて、あらゆる手を尽くしたとしても。
それでも僅かな勝機すら見いだせる気がしなかった。
永久を連れて逃げたとき、俺は内心怯えていた。
俺たちを追う殺し屋が、〝刃の王でないように〟と。
せめて、他の王であってくれと――――。
「………………ッ」
「はぁ…………はぁ…………っ」
黒く濁った分厚い雲から降り注ぐ大粒の雨。
奴と俺の激突の余波で廃墟と化した街。
血塗れになった俺を必死に支え、鮮血と雨に濡れた永久が崩壊したビルの中をふらつきながら進む。
円卓は永久の逃走を、俺の裏切りを決して許さなかった。
俺の願いも虚しく、その時点で打つことが出来る最善手――――最強の殺し屋、〝刃の王〟を真っ先に追っ手として差し向けてきた。まあ……そりゃそうだよな。
「悠生さん……っ。しっかり……しっかりして下さい……っ。すぐに、私が治しますから…………」
「く、そっ…………! 君を守らせてくれなんて、偉そうなこと言っておきながら…………この、ザマかよ…………ッ」
「動かないで……すぐ楽になりますから……」
雨に濡れ、水が滴る永久の白い手が輝き、俺の傷を癒やす。
刃の王は追ってこない。恐らく、奴は〝永久の力が尽きる〟のを待っている。
何が〝決して砕けず、全てを砕く〟拳の王だ。
俺の拳は現れた〝刃の王〟を欠片も砕けず、奴の刃は俺の拳を容易く打ち砕いた。
俺の存在は奴の眼中には無い。
刃の王からすれば、俺はいつでも殺せる、アリのようなもんだろう。
奴が唯一警戒するのは永久。
〝神の近似値〟の聖像を持ち、底知れない力を持つ永久を確実に処分する。それが奴の狙いのはずだ。
こうして俺が刃の王と戦い、傷つき、それを永久が力を使って治すという行為は、永久の力の枯渇を待つ奴の狙い通り。そして、俺にはそれを打開する力が無い。
畜生……まさか守ると言った俺の方が足手まといになるなんてな。
「はい……治りました。まだ痛むところはありますか……?」
「悪い、助かった…………それより、永久はどうなんだ? さっきからずっと力を使いっぱなしで……ろくに休めてもいないだろ?」
「…………わかりません。ごめんなさい…………」
俺と永久は互いに血に塗れ、雨音の響く薄暗いビルの隅で座る。
俺の前で申し訳なさそうに俯く永久の顔色は目に見えて悪かった。
本人はこう言っているが、きっと〝彼女の限界〟は近い。なら、やはり――――。
「…………〝逃げませんよ〟?」
「う……っ!?」
俺が逃げろと言う前に、永久はその透き通った金色の瞳を俺に向けて言った。
それは、俺がこうなるまでに何度も彼女に頼んだこと。
俺が時間を稼ぎ、その間に君だけでも逃げてくれ。
だが、俺がそうやって何度懇願しても、永久は首を縦に振らなかった。
まるで生気の無い人形のような彼女が、その時だけ頑なになるのが可愛く……って、こんな時に俺は何を?
「悠生さん……。私、貴方に〝一緒に逃げよう〟って言われたとき……凄く、驚いたんです」
「はっ……確かに、自分でもどうかしてると思う」
「いいえ、私が驚いたのは……貴方の〝心の色が変わった〟ことにです」
〝心の色〟……?
言葉の意味を測りかねている俺を、永久は上目遣いに見つめながら続ける。
「初め……私の前に立った貴方の心は〝灰色〟でした。まるで、何もかもを感じる事を拒んでいるような……とても、冷たい色……」
「…………」
「でも…………」
俺を見つめたまま、永久はその濡れた手をそっと俺の手に重ねた。
「でも……私に〝逃げよう〟と言ってくれた貴方の心の色は、昇る朝日のように鮮やかに輝いていました。そしてそれは、今も変わらずそのままです…………きっと、この色が悠生さんの、本当の心の色…………」
「俺の、本当の色……」
俺に触れる永久の手が熱を帯びる。
まるで、俺に何かを伝えようとしているように。
「…………約束、してくれませんか?」
「約束……?」
「はい……私が生まれて初めて誰かとする、約束です」
永久はそう言うと、俺の手に重ねた指に力を込める。
「私……悠生さんの心の色が好きです。出来ることなら……いつまでも、ずっと見ていたいって……そう思うんです。だから――――」
俺の心を射貫く永久の瞳。
俺はその瞳から目を逸らすことも、瞬きすることすら出来なかった。
「――――もう、自分の心を曇らせることは止めて下さい。貴方は〝誰に恥じることもなく〟、ただ信じるままに、まっすぐに生きていいんですよ……」
――――――
――――
――
「マスター……っ! 私も一緒に……っ!」
炎上する戦場に響く少女の声。
その声の主。エリカ・リリギュラは、彼女が持つ〝炎を操る力〟で火柱を割り、俺とスティールの間に割って入るようにして飛び込んできた。
瞬間、辺り一帯の視界がまるで流れ落ちる泥のように鈍化。
俺は一瞬にして周囲全ての状況を把握する。
永久は鈴太郎とサダヨさんを飛ばそうと集中を開始している。
いくら永久でも、このタイミングで力の行使対象を変えることはできない。
俺との戦いを邪魔されたスティールの片眉がピクリと吊り上がる。
1トンを越える全金属の巨体。その重心が僅かにズレ、振り上げた拳の照準が〝俺からエリカへと移動〟するのがわかった。
エリカは〝聖像での名乗り〟を行っていない。
殺し屋としての掟を破り、〝主の加護〟が消えているこの状態で、エリカがスティールの攻撃を受ければ恐らく〝彼女は死ぬ〟。
しかし、このタイミング。
そして〝鋼の王〟が繰り出す渾身の一撃。
俺がエリカを庇えば、それは――――。
刹那の躊躇。
だがそんな俺を動かしたのは、やはり彼女の言葉だった。
「お願い、悠生――――っ!」
「ッ! うおおおああああああ――――ッ!」
飛び込んだ。
俺はエリカを庇うために彼女の前に立ち、スティールの繰り出した山をも砕く一撃を正面から受け止め――――そして、全ては闇に包まれた。
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