「――――もう行くの?」
「ええ……私たちが敗れたことはすでに円卓も把握しているでしょう。太極様への〝命の受け渡し〟が阻止された以上、我々もすぐに次の手を打たなければなりません」
東京都心から離れた郊外にある六業会の拠点。
とても東京とは思えないような深い森に囲まれたその場所で、僕は日本を離れる母さんのことを見送っていた。
アマテラスを道しるべにして伸びた太極の根。
僕たちが必死になって止めようとした大きな根っこは、僕たちの目の前で紅い月に食べられて跡形もなく消えてしまった。
確かに軌道を外れて地球に近づいていたはずの紅い月も、地上に戻った僕たちが確認したときには、普段と変わらない位置に戻っていた。
壊れたアマテラスの周囲では何人か怪我をした人が出たけど、亡くなった人はいなかった。あの夜、空に昇る大きな根は確かにあって、ネットにはその時の映像が今でも沢山アップされてる。
一緒に飛んでいく七つの光も確認されてて、世間ではまた円卓の殺し屋が何かをしたんだろうってことになっていた。
「鈴太郎……私はもう、貴方に戻れとは言いません……」
「母さん……」
迎えに来た六業会の飛行機の前で、母さんはそう言った。
振り向いた母さんの表情はどこか晴れやかで……僕ももう、そんな母さんの姿を見ても発作を起こしたりはしなかった。
あの後、母さんとはちゃんと話した。
母さんが僕に隠していた六業会の真実と、〝本当の目的〟。
そして、六業会から見て円卓が何をしようとしているのかも、僕は知ることが出来たんだ。
「私に宿る〝スーリヤ様〟は、今でも世を救うためには六業会のやり方しかないと……そう仰っています。そして、私もスーリヤ様が説く救済のため、この命を賭す覚悟に変わりはありません」
母さんは僕の目を真っ直ぐに見つめて、淀みなくそう言い切った。
その言葉を聞いた僕も短く頷く。
「けれど……」
そこで母さんは少しだけ僕の方に近づいて、そっと僕の手を握る。
「けれど、世を救いたいと……大切な人々を救いたいと願うのは私たちだけではない……もしかしたら、救いへの道も一つではないのかもしれません。 ――――私という〝太陽〟を乗り越え、真実を知った貴方なら……スーリヤ様の示す救済とは〝別の方法〟を、見出せるかもしれない……」
僕がずっと見上げていたはずの母さんが、今は僕を見上げてそう言った。
そうだよね……背の高さだって、とっくに僕の方が母さんより大きくなってて。でも僕は……ううん、〝僕も母さんも〟、そんなことにもずっと気付いていなかった。
「私が信じる道は、スーリヤ様の示す日曜の道……。でも私は……誰よりも優しく、全てを受け入れてくれる〝鈴太郎だけが持つ道〟を、心のどこかで潰したくなかったのかもしれません……」
「うん……」
母さんが僕をあの場で逃がした理由。
そして、僕を母さんの思想と六業会の教義で染めなかった理由。
それは、僕の良く知っている母さんらしい、僕への想いから出た行為だった。
母さん自身もその行為の自覚があったわけじゃないみたいだけど……僕はあの頃も、今も……母さんが僕のことを想ってくれていることを疑ったことはない。
母さんが僕を僕として育ててくれたこと。
今の僕がこうしてみんなと居たいって思える僕でいられること。
それこそが、母さんの僕への想いの何よりの証なんだって、今はそう思ってる。
「だから鈴太郎……貴方は貴方の道を探しなさい。貴方の道も私の道も、共に人々の救済を目指しているのならば、きっとそこへの道は、より多い方が良いのでしょうから……」
「はい――――っ! ありがとう……母さん……っ」
そう言って、母さんは僕にたどたどしく……けれど僕が大好きだった母さんと同じ笑顔を浮かべてくれた。
それを見た僕も思わず泣いちゃって、でも精一杯頑張って笑いながら応えたんだ。
「ハッハッハッ! しかしだからと言ってお前たちの味方になるというわけではないぞッ! 今回お前たちにやられた被害は甚大っ! シャニの奴も落ちたまま行方不明……っ! 全部お前たちのせいだっ!」
「あはっ! それなのにちゃんとロボットに私と悠生を乗せてくれてありがとうございましたっ! またいつでも来て下さいねっ!」
「なあ、お前のあのロボット、ここに置いていったりできねぇのか? 車なんかよりよっぽど楽しかったぞ」
「ぬわーっはっは! 〝拳の王〟ともあろう者が、どうやらすっかりロボの素晴らしさに骨抜きのようじゃないかっ!? けどやらないぞ! またロボを操縦したければ六業会に入信しろっ! 今ならなんかそれっぽい神の名を命名してやるっ!」
「チッ! 足下見やがって……ッ!」
母さんが飛行機の中に乗り込んで、ずっとそれを邪魔しないように見てくれていた悠生や永久さん、エリカさんが僕の所にやってくる。
「ソーマよ、此度のお主は素晴らしく見事だった。だが覚えておけ、我らと別の道を探すのは容易ではないぞ。我らとて、幾度も救済を模索した果てに辿り着いたのが、あの太極という存在なのだからな……!」
「はい……わかってます」
「ならば良しっ! 次に相まみえる時はまた敵同士……その時までせいぜい腕を磨いておけっ! ハーッハッハ!」
約束通り僕たち全員にロボットを操縦させてくれたシュクラさんも、次に会うときはまた敵同士って言い残して、飛行機の中にぴょんぴょん飛び跳ねながら消えていった――――。
「もう、大丈夫なのですか……?」
「え……?」
離れていく飛行機を見上げる僕の隣。
どこか心配そうに僕を見るエリカさんがそう声をかけてくれた。
「マスターから聞きました……小貫さんが戦いをとても怖がられていた理由……お母様の前で、とても苦しそうにされていた理由も……」
「そうだったんだ……」
エリカさんのその言葉に、僕は確かめるように自分の胸に手を当てる。
そこで今も息づくソーマ様の力。
今思えば、六業会から抜けた僕の力が弱まったのは、僕がソーマ様の声と力から逃げていたからだったんだ。
太極の根を見たあのとき、僕は無意識で僕の力そのものを否定していた。
あんな化け物から受け取った力なんていらない。
みんなの命を吸って手に入れた力なんていらないって。
そう思い込んでいた。
でもそれは僕の勘違いだった。
僕の力は、決して誰から受け取った力じゃなかった。
僕が生まれたときから、僕の中でずっと僕のことを見守り続けてくれていた、僕そのものの力だったんだ。そして――――。
「大丈夫さ。もしお前がまた何かにビビって泣きわめいたって、その時はまた俺も一緒にやってやる」
「はいっ! 今は悠生だけじゃなくて、私だっていますからねっ!」
「悠生……永久さんも……」
森の中に広がる滑走路の上。
どこまでも広がる青空の下。
僕を囲んで笑ってくれる大切な友達のみんなを見回して、僕も笑う。
〝彼女のために戦う〟
僕が〝月天星宿王〟の力に目覚めたとき。
あの時、確かに聞いたソーマ様の声――――〝彼女を助けて〟っていう言葉。その言葉の意味も、今ならわかる。
〝神の拳〟と〝神の近似値〟。
悠生と永久さんの中にある、僕が紅い月で見た永久さんと瓜二つの女性の力。
あの時、僕が悠生を庇おうとして、命を捨てて母さんの太陽に飛び込んだこと。それは僕の中に眠るソーマ様にとって、悠生の中にある〝あの女性を守ろうとする〟ことと同じだったんだって。そうやって大切な友達と一緒に戦おうとする僕の思いが、僕に力を与えてくれたんだって――――。
「私も……っ! その時は私も……必ずお力になりますからっ!」
「うんっ! ありがとうエリカさんっ! 僕も……みんなと一緒に頑張るよっ!」
青空の先に浮かぶ〝二つに割れた紅い月〟。
その月を目指してこれから始まる僕たちの道。
たとえそれがどんなに辛くて……大変な道だったとしても。
みんながいれば、きっと上手くいく。
きっとなんとかなる。
そう信じてみんなで笑い合ったこの瞬間を、僕は絶対に忘れたりしないから――――。
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