柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第二十一話 破局

公開日時: 2024年8月16日(金) 20:11
文字数:2,737


 【21年前 6月15日】


「はあ、はあ、はあ……」

「どうした唐沢からさわ? 今日は随分とバテるのが早いなあ、おい?」


 事務所の稽古場でアクションの練習をしていた唐沢だったが、一目見てわかるほどに動きが悪かった。俺の言葉に対してもこちらを睨みつけるだけで口ごたえする余裕もないようだ。

 まあ、コイツの不調の原因はわかってる。ちゃんと指摘してやるか。


「そういやお前、最近は女連れじゃねえもんな。もしかしてそれが原因か?」

「……何が言いたいんですか?」


清美きよみにフラれたんだろ?」


「……!」

「つれねえなあ、俺に泣きつけばまだヨリを戻せる可能性はあるのによ。三流役者の癖にプライド高いもんなお前」


 唐沢から直接聞かされたわけじゃないが、コイツが清美と別れたという事実は既に事務所内では周知のものとなっている。


「それで? なんでフラれたんだよ? お前が役者として見込みないってのが清美にバレたのか?」

「アンタには関係ないでしょうが!」

「関係ないことは無いだろ。俺は清美の兄だし、お前の先輩でもあるんだからな」

「……だったとしても、タカさんには理解できませんよ」

「理解できない? お前がフラれた理由がか?」


 まあ、俺としちゃ清美がコイツをフッた理由も想像はつく。斧寺おのでらが何かしらの手を回して、清美をそそのかしたんだろう。別にそこには大した興味もない。


「お前がどんな理由でフラれたとしてもよ、俺から言えることはただひとつだよ。女取られたぐらいで動揺するんじゃねえよ、三流役者が」

「……アンタに何がわかるんですか?」

「お前が役者として大成できねえってのが手に取るようにわかるよ」


 斧寺の言う通り、『絶望』は人を救うのかもしれない。このまま先の見えない役者活動を続けるより、まだ若いうちに現実をつきつけてやった方がコイツのためだ。


「稽古場で座りこんでいるようなヤツが成功するわけねえ。早く辞めろよ」

「……」


 唐沢は何も言わずに立ち上がり、そのまま稽古場を出て行った。



 そしてその数週間後、アイツは事務所を辞めた。



 【21年前 7月30日】


 コマーシャル映像の撮影は無事終了し、完成した映像を持参して俺たちは再び警察本部を訪れた。


「ありがとうございました。事前にお伝えした通りこちらの映像は県内の警察署で流させていただきます」

「こちらこそありがとうございました」


 会議室で映像を確認した後、無事に警察側のオーケーが取れたことで仕事は終わった。責任者であるはずのかしわは同席していなかったが、俺としては直接顔を合わせたい相手でもないので好都合だ。

 会議室を出てロビーに降りた後、俺は携帯電話の画面に表示されたメールを確認する。


「おう、ちょっとタバコ吸ってくから先に車乗っててくれ」

「わかりました」


 マネージャーを先に行かせて一階の喫煙所に向かうと、メールの差出人が待っていた。


「……久しぶりだね、白樺しらかばくん」


 座ってタバコを吸っている斧寺霧人きりひとの姿は、やはり単なる警官とは違う底知れなさを放っていた。そう見えるということは、それだけ俺がコイツを気に入っているということだろうか。


「アンタ刑事だろ? こんなに都合よく俺と会えるなんて随分ヒマなんだな」

「忙しくはあるのだがね、もう私は現場を駆け回ってていい立場ではないのだよ。本当に残念なことにね」


 煙を吐き出しながら首を振る姿を見ると、どうやら本当に現場に行きたいようだ。


「それでだ、メールで送った通り、柏部長の方には動きがあったよ。どうやら彼には嬉しいことがあったようだ」

「そうだろうな、まずはそっちの話を聞こうか」

「先日、柏部長に楢崎ならさき清美くんを紹介したところ、いたく気に入ってくれたようでね。既に交際が始まっているそうだ」

「清美なんかを気に入るとは、柏も物好きな野郎だな」

「いや、むしろ柏部長からしたら清美くんのような自分より小柄な女性はうってつけだよ」


 斧寺の言葉を受けて、先日の柏の姿を思い返す。

 柏は警官とは思えないほど小柄な自分を権力で覆えば大きく見せられると思い込んでいる男だ。そんなヤツが自分より体の大きい女と付き合いたいわけもない。一方で清美は女の中でも小柄な上に自信のなさそうな弱々しい態度で他人と接する女だ。確かに自分の力を常にひけらかしたい柏からしたら清美はうってつけの相手なんだろう。


「それで、唐沢くんはどんな様子だったかね?」

「ひどいもんだ、とても役者とは言えねえ有様だったよ。あんまりひどいから自分が三流役者であるという現実を教えてやった。そしたら事務所辞めちまったよ」


 稽古場で座り込む唐沢の姿を思い返すと思わず笑いがこぼれそうになる。どの道、女と別れた程度であそこまで支障が出るようじゃ、アイツに役者は無理だ。目障りなヤツが消えてくれりゃ、俺としても都合がいい。


「ふむ、彼は『絶望』していたということかね?」

「『絶望』してたさ、女と別れた程度で『絶望』しているようじゃ程度が知れるけどな」

「……ならばそろそろ頃合いか」

「あ?」


 斧寺はタバコの火を灰皿で消して立ち上がる。


「唐沢くんにも『絶望』というものの本質がわかってくれたようだからね。ここからは彼を救う段階に入ろう」

「救うも何も、アイツはもう役者の道を諦めたんだ。アンタの目的は達成されただろ」

「おや? 君はもう彼が救われていると思っているのかね? そんなわけがないだろう。彼が前に進むには完全に『希望』を取り払う必要があるのだよ」

「ていうかアンタからしたら柏を『絶望』させる方が重要なんだろ? 俺も唐沢みたいな三流役者より柏のような権力者が『絶望』した方が見てて楽しいし、協力するぜ」


 俺の言葉に対し、斧寺はなぜか顔を曇らせた。


「まさか君はまだ、私が唐沢くんや柏部長を嫌っていると思っているのかね?」

「ここまで来て取り繕うのは無しにしろよ。俺はアンタを気に入ってるんだ、権力者をビビらせたいって気持ちは俺と同じだからな」

「……そうか」


 その短い返答が何を意味するのかはわからなかったが、斧寺の表情は既に戻っていた。


「唐沢くんの近況を教えてくれて感謝するよ。柏部長と清美くんについては動きがあったらまた連絡する。どうせ清美くんは君と仲良く話す間柄ではないのだろう?」

「まあな。清美についてはアンタの方から教えてくれよ」

「ああ、それとだ。もしかしたら私は君の望みも叶えてあげられるかもしれない。期待してくれたまえ」

「俺の望み? 権力者をビビらせることか?」


「君が本当に求めているものを、提示してあげようという意味だよ」


 そう言って斧寺は喫煙所を後にした。


 正直、言ってる意味が分からない。俺が求めているのは権力者が怯える姿だ。それ以外にないはずだ。

 なのに俺の心の中には……



 何かの選択を致命的に間違えたのかもしれないという、得体の知れない不安があった。

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