わかってはいる。
殺人鬼の子供が殺人鬼であるとは限らないように、殺人鬼の親が殺人鬼であるとは限らない。それはわかっている。
だけど私は、その顔と名前を知った時点で警戒を解くわけにはいかない。私の敵でないとするには、目の前の女はあまりにもあの男に似ている。
当然だ。親子なのだから。
だから私は、棗香車の母親、棗夕飛を受け入れることはできない。
「落ち着け、黛! 夕飛さんはお前が思っているような人間じゃない!」
柳端の叫びで私の思考が一旦止められる。まだ左手はコイツに掴まれている。だとしても右手で抵抗はできる。いざとなったら……
「随分と物騒な女の子ね。最近の子は皆そうなのかしら?」
夕飛は私を見ながら再び笑う。その顔はよく見ればどこにでもいそうな柔和な中年女性のものだ。
しかし私は既に知っている。あの屋上で対峙した棗香車の顔を。私に鋭い殺意を向けたアイツの顔は、いまだに脳に焼き付いて離れない。
そして私の脳内にあるその顔は、やはり目の前の棗夕飛に似ている。
だから私は冷静になれない。抵抗を止めるわけにはいかない。この女がどんな人間であったとしても……
「まあ、座って頂戴。そんなにむき出しの警戒心を見せられたら、おばさんもたまったもんじゃないわ」
夕飛は私の向かいにあるソファーに静かに座り、私を見上げる。その姿には確かに敵意は感じられない。
だけどダメだ、警戒は解くな。コイツはあの棗香車の母親だ。コイツは……
「黛! いい加減にしろ!」
「いい加減!? なにを!? コイツの息子はエミを殺そうと……」
「その結果、香車は命を落としたんだぞ!」
「……!」
柳端の指摘を受けて、私の心が揺らいだ。
「いいか、お前にとって夕飛さんは受け入れられない敵だと思うかもしれない。だが夕飛さんにとっても、お前は香車の死に関わっている人間だ。それを忘れるな」
「私が、棗を殺したとでも言うの?」
「そうは言ってない! だが夕飛さんもお前への複雑な感情を抑えてここに来てるんだ。それをわかってくれ」
――確かに柳端の言うことにも一理ある。あの屋上の一件によって、棗香車は死を選んだ。母親からすれば、私は息子を死に追いやった敵なのかもしれない。
「黛瑠璃子さん。もう一度言うわ。そんなむき出しの警戒心を見せられたら、おばさんも話し合いはできそうにないわ。できればここは、一度冷静になってくれるかしら?」
「……わかりました」
少なくとも、この女は今の時点で私に攻撃を仕掛けてくる気はなさそうだ。とりあえず座って、相手の出方を見るしかない。
私が黙ってソファーに座ったのを見届けると、夕飛は話を切り出した。
「改めまして、私は棗夕飛といいます。香車と槍哉の母親です。柳端くんとも仲良くさせてもらってます」
「……黛瑠璃子です」
「柳端くんから話は聞いてるわ。あの子が……香車があなたの大切な人を殺そうとしてたって」
「ええ、そうですよ。あなたの息子は私の友達を殺そうとした人でなしです」
「おい、黛!」
「事実でしょ。私たちが間に合わなかったら、エミは棗に殺されていた。違う?」
「だからって、それを夕飛さんに言うな! 夕飛さんは……!」
「いいわよ、柳端くん」
夕飛は柳端を制止して、私に向き直る。
「こんなことをしても、香車のしたことは許されるわけじゃないし、あなたが納得するとは思わない。でも、私のスタンスを示す意味でも、言わせてもらうわ」
そう言うと、私の前でその頭を深々と下げた。
「私の息子が、ご迷惑をおかけしました」
……なんで。
なんでコイツは、私に頭を下げられるんだ。さっき柳端が言ったように、夕飛にとって私は息子を死に追いやったとも言える人間なのに。どうして頭を下げられるんだ。
そう思っていると、私の後ろで柳端が口を開いた。
「おい、念のために言っておくぞ。夕飛さんは決して簡単に頭を下げているわけじゃない。本当なら夕飛さんにもお前に恨み言のひとつふたつ言う権利があるんだ」
おそらく、柳端は棗香車を通じて夕飛とも親交があったんだろう。だから夕飛の人となりを知った上でそう言っている。
ダメだ。向こうがもっと私に恨み言をぶつけてくるなら、私も向こうに対して思う存分憎しみをぶつけることができたかもしれない。だけど目の前にいるこの女性は、私への憎しみを抑えて謝罪をしている。
この謝罪は決して軽くない。この人は……棗夕飛は私よりはるかに大人だ。
「頭を上げてください」
それでも私はこの人も棗香車も許せるわけじゃない。だけどこの場は、私も大人にならなければならない。
「あなたのスタンスはわかりました。私に敵意を向けるわけでも、攻撃の意思があるわけでもないと」
「ありがとう。私の意図が伝わってくれて助かるわ」
「それで、あなたは曇天さんが作った『死体同盟』に加入すると聞きましたけど。何の目的でそうするんですか?」
「それを説明するには、私の家族について説明しないといけないわね」
夕飛さんは曇天さんに視線を移した。
「曇天くん、黛さんにどこまでお話したの?」
「あなたと朝飛さんと私たち兄弟の関係については話しましたよ」
「そう、なら私からは香車と槍哉について話しておきましょう」
棗香車とその弟……そういえば、母親から見て棗香車はどういう人間だったのだろうか。
「結論から言うわ。私は、香車はまともな人生は送れないって気づいてた」
「え?」
「あの子の中に潜んでた残酷さというか残虐性……私はそれを『夜』って呼んでた。あの子は心に『夜』を秘めていたのよ」
「あなたは、棗香車が人を殺そうとしていたって気づいてたってことですか?」
「ええ、だから私は香車が『夜』を秘めたままでもまともに生きられるように育てたかった」
夕飛さんは両手を握りしめる。母親からすれば、当然の考えなのかもしれない。
「私の元ダンナ……真田平一って言うんだけども、アイツも香車がまともじゃないって気づいたんでしょうね。私が槍哉を生んだ後に別れを突き付けられたわ。きっと香車が怖かったんだと思う」
「じゃあ、あなたは一人で二人の息子を育てたってことですか?」
「いいえ。妹に協力してもらったわ。曇天くんから聞いたと思うけど……」
「朝飛さん、ですか? 母親違いの妹だとか」
「そうよ。あの子の協力があれば、香車を上手くまともな道に戻せるんじゃないかと思ってね」
「どういうことですか?」
そこまで言った時、私はさっきの曇天さんの話を思い出す。
朝飛さんは、晴天を黙らせるほどの『殺気』を放っていたらしい。ひとつ選択を間違えれば、あっさり命を落とすと思わせるほどの有無を言わせない『殺気』を。
それは、まさか。
「朝飛も香車と同じように、心に『夜』を秘めている人間だからよ」
私の想像通りの言葉が、夕飛さんの口から発せられた。
「あの子は『夜』と上手く付き合ってた。問題なく学生生活を送っていたわ。だからあの子が香車を上手くコントロールできれば、香車も平和に暮らせると思ったのよ」
「でも、棗香車は……『狩る側の存在』としてエミを殺そうとしました」
「ええ。朝飛と関わらせていた時期は、香車も大人しかった。でも……予定外の事態が起こったわ」
「予定外?」
「香車の弟が……槍哉が死んだことよ」
その事故のことは私も柳端から聞かされた。棗香車の弟が同じクラスの女子にふざけて突き飛ばされて亡くなって、棗はその女子を殺そうとしたという話だ。
「私は槍哉が事故で死んだとは思ってないわ。あの子の死の裏には……香車がいると思ってる」
「え?」
「香車は“たまたま”犯人の女の子の行いを知ったって言ってたけど、そんな偶然があると思う?」
「……!」
「香車は、その女の子とも仲が良かったのよ」
なんて、こと。
棗香車は……自分の弟までも、利用して……
「槍哉が亡くなって、私の息子は香車しかいなくなった。だから私はなんとしても香車の『夜』を抑えたいと思ってた。だけど、今度は香車の前に『自分から殺されに来る女の子』が現れてしまったのよ」
「あ……!」
「柏さんは……香車のことを『狩る側の存在』って呼んでたのよね? ええ、その通りだと思うわ。柏さんは香車を『狩る側の存在』として完成させてしまった」
「……」
こんな、こんな悲劇があるだろうか。
私は今まで、棗香車が生まれながらにして『狩る側の存在』なのだと思っていたし、事実そうだった。
しかしアイツにも母親がいたのだ。大切に思ってくれる親友がいたのだ。
アイツの前にエミが現れなければ……こんなことには……
「結局、私は香車も槍哉も失ってしまったわ。本当、ダメな母親ね」
「夕飛さん、私は……」
「あなたが罪悪感を抱く必要はないわ。あなたは香車を止めようとしたんでしょう?」
「でも……」
「それに、私はこれからの話をしたいわ。私に残されたあと一人の家族、朝飛の話を」
そうだ、まだ私はなぜ夕飛さんが『死体同盟』に協力しようとしているのかを聞いていなかった。
「朝飛さんは……今はどうしているんですか?」
「保育士として働いているわ。だけど、最近になって連絡が取れないのよ」
「え?」
「『空木晴天と会う』って言って、行方をくらましたわ」
「……!!」
朝飛さんと、空木晴天が?
「じゃあ、夕飛さんは朝飛さんを助けるために『死体同盟』と協力しようと?」
「それもあるわ。だけど私は、もっと最悪の事態を想定してる」
「最悪の事態?」
「言ったでしょ? 朝飛も『夜』を秘めているって」
「ま、まさか……!!」
「あなたの言う、『狩る側の存在』。朝飛がそうなっているかもしれないってことよ」
そんな。まさか。
あの棗香車と同じ存在が、もう一人現れたっていうの?
「私は朝飛を助けたい。だけどもし、あの子が既に道を誤っていたとしたら……私があの子を止める」
夕飛さんの顔には決意がこもっていた。
「わかりました。とりあえず、今日わかった情報をエミたちに報告します」
こうしてはいられない。まずは樫添さんに連絡して、エミの身柄を最大限に守るように言わなければならない。
携帯電話から樫添さんの連絡先を選択し、数回呼び出し音を鳴らす。
「はいはーい。まゆ嬢。こちらは樫添保奈美の携帯電話ですよー」
しかし通話口から聞こえてきたのは、先日戦った下品な女……沢渡生花の声だった。
そしてこの声こそが、私たちの新たな戦いの幕開けだった……
快晴警報編 完
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