この町はM高校周辺とは違って、駅から2kmも離れれば建物の姿はほとんどない。代わりに広がっているのは農家が野菜を作っているであろう畑や、山の中に伸びている車道くらいなものだ。
だからと言って、町全体が寂れているわけでもない。都会から離れている分、ゴルフ場やキャンプ場、最近ではグランピングの施設なども出来たようで、観光シーズンにはそこそこの人が来るそうだ。
観光客が来るという『希望』があれば、別荘地としてリゾート会社が売り出すのも自然な流れである。バスに乗っている途中に、別荘地への案内の看板がいくつか立っていた。看板の古さからいって、開発が始まったのはだいぶ前の話なんだろう。
「ボクもねえ、心と体を休める場所が欲しかったんだよねえ。中古でこじんまりとした平屋の別荘なんだけど、ボクみたいな独身男ならそれで十分なんだよ」
空木晴天はバスの後部座席の右端、バスの窓と隣に座る曇天さんに挟まれた状態で、なぜか楽しそうに笑いながら別荘について話している。これから黛センパイを攫った連中と戦いになるかもしれない。そう思うと緊張で別荘についての話なんて聞けるはずもない。
柏ちゃんも柳端も夕飛さんも黙っている。晴天はある意味私たちに捕らわれている状態であると言うのに、コイツだけがなぜか余裕だった。
「あーあーあー、そうだ。ボクとしては、夕飛さんとお付き合いできたら、ぜひともその別荘で一緒に過ごしたいなあって思ってたんですよ。いやあ、こうして夕飛さんと一緒に行けるなんて、やっぱり『希望』は持ってた方がいいですね」
「私みたいなオバサンと一緒に過ごしたいなんて、アンタも変わり者だね」
「ボクもあれから何人かの女性とはお付き合いさせていただいたんですけどね、やっぱり夕飛さんのことが忘れられなかったんですよ。だからまだ独身なんです」
「そう。なら一生独身を貫きなさいな」
その言葉を最後に、再びバスの中は沈黙に包まれた。目的の別荘地にはあと数kmで到着する。
「おい樫添、向こうに到着したら、お前と柏で黛を確保しろ」
柳端はそう言って、自分の手を握りしめていた。
「どういうこと?」
「向こうには生花と朝飛さんがいる。朝飛さんには俺も会ったことがないからわからないが、生花はああ見えて取っ組み合いにもある程度慣れている。黛ならともかく、お前と柏が対峙するとなれば荷が重い」
「私も柳端くんの提案に賛成するよ。『獲物』である私は言うまでもないが、樫添くんでも沢渡くんに対抗するのは難しいだろう」
「……確かにね」
昼の出来事を忘れてはいない。あの沢渡という女は、慣れた様子で私の腕に蹴りを放ってきていた。あの動きは戦い慣れている人間のものだ。確かに私では不利だろう。
「生花は俺がなんとかする。その間にお前らで黛を救い出せ」
「了解したよ」
柏ちゃんは返事をしたけど、私はすぐに返事をできなかった。
柳端なら確かに沢渡に対抗はできるかもしれない。だけど問題は棗朝飛の方だ。私は昼の出来事を忘れてはいない。
『……香車くん?』
柏ちゃんは棗朝飛に目を奪われていた。間違いなくその姿に、その雰囲気に棗香車を見ていた。そんな彼女が今から起こる戦いに身を投じること自体が危険であるとさえ思う。
それに柳端が沢渡を押さえるとしても、棗朝飛の相手はどうする? 夕飛さんなら朝飛を説得なり取り押さえるなりできるのかもしれないけど、見たところ夕飛さんは特に大柄というわけでもない普通の女性だ。人一人を取り押さえることができるとは思えない。
かと言って、曇天さんが朝飛に対処するとなれば、今度は晴天を放っておくことになる。夕飛さんではそれこそ晴天を押さえるのは無理だろう。そうなると何をされるかわからない。黛センパイの救出を妨害される可能性は高い。
もうすぐでバスが到着する。それまでに打開策を考えないと……じっくり考えるべき状況なのに、時間がなさすぎる。
だけどその直後に私の肩が何かに叩かれて、振り向こうとしたらスマートフォンの画面が眼前に差し出された。
『お前の心配はわかっている。柏が朝飛さんを見る前に、決着をつけるぞ』
そのメッセージは、おそらく柏ちゃんに悟られまいとする柳端の意図なんだろう。つまりは短期決着。柳端の本心は、自分が沢渡も朝飛も引き受けるつもりだ。
……もしかしたらそれが一番確実かもしれない。だけどそれはあまりにも柳端が危険すぎる……いや、他に手はない。
バスのアナウンスが響いて、目的のバス停に到着した。迷っている時間はもうない。
「さあさあ、ご覧ください。ここがボクの憩いの場ですよ」
晴天が指し示したのは、水色の外壁が特徴的な平屋の建物だった。見た目は普通の住宅とあまり変わらない。別荘というからロッジだったり庭にプールがあるような豪華な建物を想像していたけど、周りにある家も普通の住宅と変わらなかったので、こんなものなんだろう。
「……黛さんはまだ無事なんでしょうね?」
「そうですねえ、ボクは何も言ってませんよ。朝飛さんが何をするかは知りませんけど」
「黛さんを殺したとしても、それは朝飛の意志だって言うの? アンタの別荘に連れてきてるのに?」
「ははは、確かにそれは通りませんか」
高らかに笑う晴天を見ながら、私の頭は黛センパイを救うプランを立てていた。
やはり柳端の提案通り、沢渡のことは任せて私と柏ちゃんで黛センパイの身柄を確保する。できれば柳端に先に建物内に突入してもらい、沢渡たちを引き付けた上で黛センパイを探す。センパイの身柄さえ確保してしまえば後は警察を呼んでしまえばいい。そうなれば私たちの勝ちだ。
別荘の窓を見ると、カーテンは閉められている。中の様子は見えない。まずは先行して夕飛さんが晴天の腕を掴みながら玄関の前に立った。そのすぐ後ろで柳端と曇天さんが外から見えないように体をかがめている。私と柏ちゃんは最後尾だ。
「じゃあ、鍵を開けて頂戴。くれぐれも、静かにね」
夕飛さんは晴天に鍵を開けるように指示する。中にいるであろう沢渡たちに私たちの存在が気づかれているかもしれない。開けた瞬間に勝負が始まる。
「はいはーい。わかりましたよ。じゃあ、開けますよ」
解錠の音が聞こえた。ゆっくりと扉を開けると、室内の照明は点いている。それを確認した後、夕飛さんが動き出した。
「曇天くん! 晴天を押さえてて! 柳端くん、行くわよ!」
「はい! 樫添は俺が合図したら入ってこい!」
「わかった!」
靴も脱がずに二人が室内に突入した。私たちは柳端の合図まで玄関前で待機だ。まだ中の状況がわからない以上、こうするしかない。
「樫添くん、私たちも早く中に入るべきではないかね? ルリの安全を確保するには人数が多い方がいい」
「ダメだよ。中には沢渡たちがいる。センパイを助けられても、柏ちゃんが捕まったら意味ないの」
「そうだが……」
「今は待って。絶対に黛センパイを助けるから」
私の言葉に少し納得したのか、柏ちゃんはそれ以上の反論をしてこなかった。だけどまだ、完全には納得してなさそうだ。その証拠に、せわしなく手を動かしている。
柳端たちの突入から一分弱が経った時だった。
「樫添! 聞こえるか! 玄関から入って右の部屋に行け! 右だ!」
室内から柳端の声が聞こえた。
「柏ちゃん行くよ!」
「わかった! 空木くんは空木医師をそのまま押さえててくれ!」
「かしこまりました」
玄関の先はすぐ左右に分かれた廊下になっていた。柳端が指示したのは右の部屋。おそらくはそこに黛センパイがいる。
「センパイ! どこですか!? センパイ!」
声を上げるけど返事はない。廊下を進んだ先には風呂場らしき部屋と、もう一つの部屋があった。風呂場の中にセンパイの姿は見当たらない。
「樫添くん、こっちか!?」
柏ちゃんがもう一つの扉を開けようとするのを止める。
「待って! 私が開ける。中の安全を確認してから入るよ!」
扉を一度半開きにしてから中の様子を見る。誰かがいるようには見えない。その後、一気に扉を開け放った。
そこには……
「セ、センパイ!」
ベッドの上で力なく横たわっていた黛センパイの姿があった。
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