私とメイジが交際を始めたという噂は、瞬く間に全校に広がった。
噂が広がった当初は工藤メイジの心を射止めた黛瑠璃子とはどんな女なのかと、違う学年の女子たちまでもがうちのクラスに見物に来たが、その全員が私の姿を見るなり頭に疑問符がついたような表情になっていた。
「え、あれが黛って子?」
「いや、それはないでしょ。だって、あんなパッとしない女が工藤くんの彼女なわけないし」
「で、でも、あの子が告白されてたのを見たって人いるみたいよ」
「じゃあ……本当に?」
みんながみんな、私がメイジの彼女であることを疑った。無理もない。私ではメイジの彼女としてあまりにもつり合いが取れていないのは自覚している。
だけど、そんなことは関係ない。重要なのはメイジが私に告白して交際しているという事実なんだ。その事実がある以上、女子たちが私に対してどんなイメージを抱いていようと関係ない。
「よっ、瑠璃子。一緒に弁当食おうぜ」
交際を始めて一週間。メイジは学校のある日の昼休みは必ず私のクラスに来てくれた。彼が教室に入ると、女子たちの目の色が変わるのを感じるし、私も例外じゃない。
メイジには華がある。金色に染めた髪はサラサラだし、背が高くて目も大きい。手や指先の手入れにも気を遣ってみたいで、爪の形すら綺麗に整っている。だけどメイジに華があると感じるのは外見によるものだけじゃない。
「う、うん。それじゃ、どこか別の場所に……」
「あのさ、前も言ったけど、オレはメシを食う時は室内のちゃんとした椅子に座って食いたいからさ、ここにしようぜ」
「は、はい」
メイジは教室の後ろにある使われていない椅子を私の机の前に持ってきて、ウエットティッシュで座面を拭いて座った。
「じゃ、瑠璃子。お邪魔します」
私に声をかけてから自分のお弁当を私の机に置く。椅子に座る姿も背筋を伸ばした状態で、背もたれにだらしなく寄りかかるなんてことはない。
そう、メイジは動きや姿勢、細かい所作まで全てに華やかさがあった。
普段の口調こそくだけてはいるけど、お弁当を開ける時にも頭を下げて『いただきます』と挨拶するのを忘れない。綺麗な姿勢でただ食事をを取る姿すら格好良く見える。そういった何気ない日常の動作にも魅力を感じてしまう。それがメイジの華だった。
「ん? 食べないの?」
「い、いや、メイジに見とれちゃってて……」
「なんだよ、照れくさいな。でも、ありがとう。そう言われると、瑠璃子に告白してよかったって思えるよ」
そう、そうなんだ。メイジは私に告白したんだ。私と交際しているんだ。
こんなに格好良くて華があってみんなの憧れである男が、他でもない私と交際している。私のことを好きになってくれている。それが嬉しかった。それが気持ちよかった。さっきの女子連中の疑いなんて嫉妬にしか思えない。それだけ私は、有頂天になっていた。
この時の私は、『工藤メイジの彼女である』というその一点だけで、満たされた気になっていた。
「ごちそうさまでした」
お弁当を食べ終えてあいさつした後に机を片づけてから、メイジは私に話を切り出してくる。
「んでさ、瑠璃子。オレたち付き合って一週間になるわけじゃん。今度の週末にでも、どっか遊びに行こうぜ」
「あ、遊びに?」
「うん。なんかまずかったか?」
言うまでもなく、私は異性と遊びに出かけたことなんてない。ただ、交際している男と一緒と出かけるのを、世間でなんと呼ばれるのかは知っている。
デートだ、これは。
それを認識した瞬間、顔に熱が集まっていく。
「おーい、どうした瑠璃子? 顔、めっちゃ赤いぞ」
不思議そうにこちらを覗き込んでくるメイジの顔を見ると、たぶん顔はさらに赤くなっていく。か、彼と、デートに行くんだ。もしかしてその、デートの終盤には、キスとか、しちゃうん、だろうか。
でも、その光景を想像すると急に不安が襲ってきた。
……私なんかがメイジとデートしていいんだろうか。メイジの隣にいるのが私でいいんだろうか。メイジ本人は私を選んでくれたけど、いざ私とデートしたら、私に幻滅したりしないだろうか。それが怖かった。
「瑠璃子、るーりーこ? オレの話聞いてるか?」
「え、ああ、ごめん。なんだっけ?」
「なんだよ。聞いててくれよ。遊びに行くとしたらどこがいい?」
「……どうしよう、かな」
男がどこに行きたがるのかがわからなくて提案できない。
「それじゃあさ、オレが行きたいところでもいいか? 実はさ、オレが好きなラノベあるじゃん。その作品のイラストレーターが作品の展示会やってるっていうからさ、そこ行ってもいい?」
「あ、うん。いいよ」
付き合ってから知った話ではあるけど、メイジは意外にもラノベやアニメが好きらしい。休み時間や放課後にもラノベを読んでいる姿を見たことがあるし、ラノベ好きの男子とその話題で盛り上がってるそうだ。
メイジが話題に上げたラノベは、布面積が極端に少ない服を着た女の子が表紙の、いわゆる『異世界ファンタジーもの』だった。コミカライズもされてアニメ化も決定したほどの話題作だけど、うちの学校の女子からの評判は悪く、人前で堂々と読むなどもっての他という風潮だった。
しかしメイジがそのラノベを好きだと公言した途端、女子たちもこぞってそのラノベについて調べ始めた。あまりにもわかりやすい掌返しではあるけども、気になる男子が好きなものに興味を持つ気持ちはわかる。私もメイジと話題を合わせるために件の作品を一巻だけ買って読んだ。あまり好きな作風ではなかったから二巻以降は読んでないけれど。
「よし、じゃあ週末楽しみにしてるよ。瑠璃子もさ、自分が行きたいところあったらどんどん言ってくれよ」
「う、うん」
優しい笑顔を浮かべて自分の教室に戻っていくメイジを見て、私の心に使命感が生まれていった。
もっとメイジに相応しい彼女にならないと。こんなに優しくしてくれる彼氏は、たぶん彼以外にいない。だから私は、メイジの好みも理解しないと。とりあえずさっきのラノベも読んでおかないと。
その日の放課後。
メイジは男友達と出かけると言っていたので、私は教室で少し自習してから帰ろうと思っていた。
「マユズミさーん? ちょっといいかなー?」
無遠慮な大声に遮られて思わずペンを持つ手が止まった。顔を上げた先にいたのは、先週と同じく茶髪で胸元を大きく開けたミーコさんだった。
「はーい、真面目ぶって勉強してまずアピールに夢中なところ悪いんだけどさー。ちょっと私に付き合ってよー」
「なんでですか?」
「アンタに拒否権あると思ってんの?」
その言葉と同時に、ミーコさんの友達らしき三人の女子が私を取り囲んでいた。全員が制服を着崩していて、私を見下すような笑いを浮かべている。
……いくらなんでも四人相手じゃ逃げられそうもない。なによりこの人たちが私に何かしてくるのが怖い。だから大人しく従ってしまった。
私を女子トイレに連れ込んだ直後、ミーコさんは怒鳴り声を上げた。
「アンタ、どうやって工藤くんに取り入ったんだよ!」
同世代の怒鳴り声は私の身体を竦ませるには十分だった。相手の質問に答えようとも声が出ないし、そもそもどうやって取り入ったも何もないから答えようもない。
「なに黙ってんの!? 工藤くんはアンタみたいな地味女が付き合っていい男じゃないだろうが! 身の程をわきまえろよ!」
その言葉を皮切りに、他の女子たちも一斉に非難の声を浴びせてきた。
「ミーコの言う通りだよ! 今すぐ別れな!」
「アンタ、工藤くんを脅したんじゃないの?」
「なんで付き合ってるの!? 罪悪感ないの!?」
次々と浴びせられる罵倒は、言葉が違っても全て同じ内容だった。
『お前のような地味な女が工藤メイジと付き合っていいはずがない』
そんなことは私だってわかってる。華のあるメイジと何もない私では明らかに不釣り合いだ。ミーコさんたちの気持ちも理解はできる。
だとしても、腹は立っていた。そもそも告白されたのは私の方なのに、どうして私が責められているのか。メイジが私を好きになってくれて、私もメイジが好きになって、その上で付き合っているのになぜ彼女たちにここまで言われないとならないのか。
コイツらがどう思ってようと、私はメイジの彼女なんだ。その立場の前では、コイツらの不満も文句も無意味だ。
「罪悪感なんて、あるわけない。私とメイジが付き合うことに、なんでそんなもの抱かなきゃならないの?」
だから今の私なら、コイツらより優位に立てる。
「はあ!? ヘラヘラ笑ってなに言ってんの!?」
ミーコに指摘されて、自分が笑っていることにようやく気づいた。この状況で笑えるなんて、今までの私じゃ考えられないことだ。
「なんでアンタが工藤くんと付き合えるんだよ! なんであの時、フラれてねえんだよ!」
「そんなの、メイジが私を好きだからに決まってるじゃない」
「彼女面すんなよ! アンタ何様だよ!」
「それ以上私に変なこと言っていいの?」
「ああ!?」
コイツらはわかってない。メイジの彼女である私を罵倒することの意味を。それがどんなに危険なことかを。
それをわからせるために、胸ポケットにある携帯電話を取り出して耳に当てる。
「もしもし、メイジ? うん。今大丈夫?」
「……!!」
ミーコたちは私がメイジの名前を出して通話を始めたのを見て、顔を青くした。この状態がメイジに知られれば、彼はミーコを許さないだろう。
「ちっ!!」
状況を察したのか、ミーコたちはさっさとトイレから出て行った。適当に時報にかけただけなのに、バカなヤツ。そして無様に逃げるその背中を見て、私の中に確かな高揚感が生まれていた。
私はコイツらより優位に立っている。コイツらより上に立っている。だってそうじゃない。私はあの工藤メイジの彼女なんだ。工藤メイジに選ばれた女なんだ。
それがある限り、みんな私のことを認めざるを得ない。
今思い返してみれば、それは他人の力に縋った弱く愚かな人間の考えに他ならなかった。
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