柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第四話 黙祷

公開日時: 2020年10月30日(金) 20:07
文字数:4,219


 翌日。

 俺はいつも通り始業時間よりもかなり早めに登校し、教室で授業の予習や準備をしていた。俺の志望する大学はかなりの難関と言われているので、普段から勉強の習慣をつける必要があると考えての行動だ。現在、教室には俺と数人の生徒しかいない。一時は皆ももう少し早く来て授業の予習をするべきではないかとも考えたが、俺の価値観を皆に押し付ける権利は無いと思ったので黙っていることにした。

 しかしその時、教室の外で何か騒ぎのような声が聞こえた。

 俺も、教室にいた他のクラスメイトもその声に気づいて廊下に出る。その声は上の階から聞こえてきているようだった。


「おいおい何だ? 先生たちが集まってるぞ?」


 クラスメイトの一人が発言した通り、上の階の廊下には教師が数人で集まっていた。しかも何か物々しい雰囲気で、周りにいる生徒たちに指示を出している。


「君たちは教室に戻りなさい!」

「来るんじゃない! 教室に戻るんだ!」

「仲里先生! 職員室の先生方にも至急連絡を!」

「はい!」


 年配の教師の指示を受けて、仲里先生が職員室に向かっていく。その途中で俺とすれ違った。


「萱愛くん、君は教室に戻るんだ」

「あ、あの、何かあったんですか?」

「今は話せない。とにかく教室に戻って先生たちの指示に従うんだ」


 いつもは俺に優しい口調で話しかけている仲里先生も、この時ばかりは有無を言わせぬ口調だった。この様子を見て只ならぬ出来事が起こったことを悟った俺は、先生の言うとおり大人しく教室に戻ろうと思った。



「御神酒先生が亡くなったって本当なんですか!?」



 ……一人の生徒が発した、この発言を聞くまでは。


「今はそれには答えられない! いいから教室に戻るんだ!」

「でも……」

「早く戻るんだ!」


 さっきの発言をした生徒を、教師の一人が必死に抑えている。だが俺はその姿を視界に入れながらも、さっき聞こえた発言の意味を理解するのに頭を総動員していた。


 御神酒先生が、亡くなった?


「萱愛くん、今は先生たちの指示に従って……」


「……っ!」


「お、おい!」


 俺は仲里先生の制止を振り切り、教師や生徒が集まっている空き教室の前にまで走って行く。そしてさっきの話の真偽を問い質すために教師に詰め寄った。


「今の話は本当なんですか!? 御神酒先生が、御神酒先生が……!」

「落ち着くんだ! 今は我々も状況を調べている! 危険だから君たちは教室で待機しているんだ!」

「危険!? じゃあ本当に御神酒先生は……」

「それには答えられない! おい! 萱愛を教室に連れて行け!」


 暴れる俺を教師の一人が掴み、強引に空き教室から引き離していく。


「離してください! 本当に御神酒先生は……!?」

「いいから教室に戻れ!」


 俺の必死の抵抗も空しく、強引に教室に戻された後に担任の教師の監視が付き、俺は教室から出ることが出来なくなった。


 

 結局その日の授業は無くなり、後から登校してきた生徒たちも教室で待機しているように指示されたようで、帰ることも出来ないまま教室に留まらざるを得なくなっていた。

 その間、生徒たちの間で様々な憶測が飛び交おうとしていたが、その話題に触れようとするたびに教師からの注意が飛んできたので、彼らも大人しく自習をしていたり、他の話題で暇を潰すようになっていた。

 だが俺はその間も、先ほどの出来事が頭から離れなかった。

 

『御神酒先生が、亡くなった』


 その言葉が頭に浮かぶ度に、俺の中で何が起こったのかの推測が無数に湧いて出てきた。

 

 本当に御神酒先生が亡くなったと言うのだろうか? 確かにあの教師たちの中には御神酒先生はいなかった。だとしたらあの空き教室の中には何があったのか。『何が』あったのか。

 ……いや違う。そんなわけがない。きっと御神酒先生は怪我か何かをされたんだ。それで亡くなったと勘違いされたんだ。きっとそうだ。そしてこの騒ぎは御神酒先生に怪我を負わせた犯人が近くにいるかもしれないから生徒を教室で待機させているんだ。そうに違いない。

 でもそれなら、何でそのことを生徒に伝えない? 生徒を余計に混乱させるからか? いやしかし……


 こういった考えが何度も何度も俺の頭の中を駆け巡ったが、明確な答えが出るわけもなく時間だけが過ぎて行った。


 その後、生徒は教師の引率の元に集団下校をすることになり、さらに明日は休校になることが発表された。生徒たちは明日まで自宅待機をするように義務付けられ、俺の母さんにもその連絡が行ったようで、俺は家から出ることも出来なくなった。



 そして騒ぎが起きた二日後。再び登校することとなった俺たちは、朝一番で体育館に集められた。集会が開かれる理由は伏せられていたが、生徒の一部は既にその理由を悟っていたようだった。


「おい、御神酒が死んだらしいぜ……」

「あの人結構、俺たちを見下してたからな。なんか恨み買ったんじゃねえの?」

「本当に死んだのかな……」


 俺の周りでヒソヒソと会話をする生徒たちの発言に思わず怒りが爆発しそうになったが、拳を握りしめて辛うじて怒りを収めた。


「皆、静かに。これより校長先生からお話があります」


 教師の号令によって体育館の騒ぎは鎮まり、校長先生が壇上に現れる。

 そして、俺たちの予想を裏切らない言葉がその口から放たれた。


「……皆さんに悲しいお知らせがあります。二日前の未明、本校の数学教師である御神酒汰助先生が亡くなられました」


 校長先生の発表に、体育館の中が再びざわめく。しかしそのざわめきの中には、『やっぱりか』などの、予想していた通りの事態が起こったことへの言葉が多く含まれていた。


「静かに! ……御神酒先生が突然の不幸に見舞われてしまったのは残念でなりません。先生は本当に生徒の皆さんのことを第一に考えておられた素晴らしい先生でいらっしゃいました……」


 あまり抑揚の無いトーンで、御神酒先生の死を悔やむ言葉が吐き出されていく。だが俺は校長先生よりも深く知っているつもりでいる。御神酒先生は本当に生徒の幸福を第一に考えてくれていた素晴らしい先生であることを。


「皆さん。これより御神酒先生のご冥福をお祈りするために一分間の黙祷を行います。準備をしてください」


 校長先生の号令により、教師や生徒が黙祷の準備に入る。


「それでは、黙祷!」


 俺は心の中で御神酒先生の冥福を祈りながらも、なぜこんなことになったのかという考えが頭から離れなかった。


 その後、今日の授業は午前だけということが教師から伝えられ、授業が始まった。そして二時間目の授業が終わった後、俺は異変に気づいた。

 他のクラスの生徒がうちの教室に来て、うちのクラスメイトに何かを囁いている。それだけではない。皆が俺を見てヒソヒソと話を始めていた。


「……?」


 御神酒先生のことで頭がいっぱいだった俺はそれを気にする余裕は無かった。しかし最後の授業が終わってもそれが続いていたのでさすがに腹に据えかね、思い切って質問をぶつけてみることにした。


「あのさ」

「な、なんだよ萱愛」


 クラスメイトの一人に近づき、声をかける。相手は少し震えたような声をしていた。


「さっきから俺に何か用があるのか?」

「いや、別に……」

「用があるならはっきり言うべきだ。言いたいことはちゃんと伝えないと」

「う、うるせえな! そんなウザってえから妙な噂立つんだろ!」

「妙な噂?」


 クラスメイトはしまったと言わんばかりに顔をしかめるがもう遅い。俺はその噂とやらを聞き出すことにした。


「どういうことだ? 俺の噂ってなんだ?」

「……お前が『人殺し』って噂だよ」

「……それはもう知ってる」


「違う。お前が御神酒を殺したって噂だ」


「は?」


 俺が、御神酒先生を、殺した?

 その言葉を頭で理解するのに少し時間がかかった。だが理解した直後、今度は激しい感情が頭を支配した。


「……ざけるな」

「え?」


「ふざけるな!!」


「ひっ!」


 俺の怒号に、話をしていた男子もそれを遠巻きに見ていた周りのクラスメイトもビクリと体を震わせる。


「俺が! 御神酒先生を殺しただと!? あんな素晴らしい先生を、俺が殺したっていうのか!?」

「だ、だから噂だって! お前昨日、御神酒と何か話してたろ? それに去年もお前と御神酒が揉めているのを見たヤツがいるって……」

「……それが理由か?」

「だって、お前には『前科』があるじゃねえか! それはお前も認めているだろ!」


 『前科』か……おそらくは俺が友人を追いつめて死なせてしまったことだろう。確かに俺はかつて間違いを犯した。しかしそのことで謂われのない罪を被るつもりはない。


「その噂はどうやって回ってきたんだ?」

「いや……昨日SNSで回ってきたんだよ。『萱愛が御神酒と揉めているのを見た』っていう書き込みが……」

「それはデタラメだ! 俺は御神酒先生に進路の相談をしていただけだ!」

「だ、だったら、皆にそう言えよ。でももう噂は結構広がっていると思うけど……」


 その言葉を受けて周りを見ると、皆の俺に対する視線が以前より鋭いように感じられた。……どうやら本当に俺が御神酒先生を殺したんじゃないかと思われているらしい。

 だけどそれは全くのデタラメだ。何としても疑いを晴らさないと……


「ひひひひひ……随分とお困りのようですねえ、萱愛氏……」


 しかし教室の騒ぎは、突然放たれたその声によってかき消された。

 この、小さくも相手によく響く声は……


「閂先輩……」

「ひひひ、ご機嫌麗しゅう……」


 教室に現れた閂先輩は再びスカートの両端を持ち上げる挨拶をすると、こちらに近寄ってきた。


「さて……中々に危機的な状況になったとお見受けしますが……?」

「閂先輩。俺をからかいに来たのであれば、止めてください。いくら俺が罪深い人間だったとしても、根拠のない中傷を受ける道理はありません」

「おやおや、萱愛氏は何か誤解をなさっているようで、ひひひ……」

「誤解?」

「先日も申し上げましたでしょう? 私は貴方をこの状況から救いに来たのですよ。ひひ」


 この状況から救う? しかし先日とは明らかに状況が変わっている。以前は俺の友人を死に追いやったことで俺は孤立していたが、今は御神酒先生を殺したという疑いをかけられて孤立している。それにも拘わらず、閂先輩は俺をこの状況から救えると言っている。何故か?


 ……まさか、閂先輩が俺に罪を被せているのか!?


「先輩、ちょっと来てください」


 俺は閂先輩の手を強引に引っ張り、教室の外へ出た。


「ひひひ、萱愛氏は強引ですねえ……そう焦らずともよろしいのに」


 先輩の妙な発言は聞かなかったことにした。


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