「聞かせてもらいますよ、先輩。あなたはこの事件に関わっているのですか?」
「ひひひ……」
俺は閂先輩を連れて、一階の階段脇で話をすることにした。ここなら人もあまり来ないし、隠れて話をするには最適だ。彼女は相変わらずクマの浮かんだ左目でこちらを見つめ、口の端を少し吊り上げながら小さな笑い声を上げている。
「答えてください。あなたは俺に御神酒先生を殺した罪を被せたんですか? いや、まさか御神酒先生の死に関わっているんですか!?」
もし閂先輩が御神酒先生の死に関わっているとしたら……俺は冷静ではいられないかもしれない。
「……145センチメートル、43キログラム」
「は?」
いきなり閂先輩の口から出た数値の意味が読み取れず、思わず間の抜けた声を出してしまう。
「あ、あの、何ですかその数字は?」
「ひひひ、私の身長と体重ですよ……ご覧の通り、私は小柄な上に肉付きもあまりよろしくないもので、このような身長と体重になっております……」
「は、はあ……」
確かに閂先輩の身体は小さい上に、手足も細かった。本人が申告した身長と体重も真実味のあるものだ。しかし何故今そのことを……?
「それで、萱愛氏はこのような体格な上に、拳銃のような火器も手に入れられない普通の高校生である私が、成人男性である御神酒先生を殺したと仰るのですか?」
「あ……」
言われてみればそうだ。御神酒先生は確か俺と同じくらいの身長だったから170センチはあるだろう。それに少なくとも閂先輩よりは痩せていなかった。もし閂先輩が御神酒先生を殺そうとするのなら、刃物か何かで気づかれずに一発で刺し殺すくらいしかない。取っ組み合いになったら先輩に勝ち目は絶対に無い。
いやしかし、直接殺していないにしても、閂先輩が御神酒先生の死の原因に関わっている可能性はまだある。
「ひひ、萱愛氏はまだ私を疑っておられるようですが、私は知っているのですよ……」
「え、何をですか?」
「それはもちろん、御神酒先生を殺した犯人が誰かでございます……」
「え!?」
いきなりの衝撃的な告白に一瞬言葉を失う。だがその直後、なぜ閂先輩がそれを知っているのかを考える前に、俺の口は次の言葉を発していた。
「せ、先輩! それは一体!? 一体誰なんですか!?」
「ひひ、それはですね……」
閂先輩はその背中を一旦丸め、その後まるで蛇が獲物を見定めるような動きで顔を俺の方に突きだし、俺を真下から見上げるようにして言った。
「御神酒先生本人です」
「……」
閂先輩の顔を見ながら、その言葉の意味を模索する。
御神酒先生を殺したのは、御神酒先生本人? それってつまり……
「じ、さつ?」
「はい」
「御神酒先生が、自殺したって言うんですか……?」
「その通りでございます」
俺の顔をじっと下から見つめたまま、俺の言葉を肯定する閂先輩。その態度が妙に腹立たしくて、そして彼女の言葉はもっと腹立たしくて、だから俺は大声を出してしまった。
「そんなわけない!!」
「ひひひ、何故そう思われるのですか?」
「御神酒先生は、誰よりも生徒の幸せを考えていた先生です! そんな人が、教師の責任を放り出して自殺するなんて考えられません!」
そうだ。御神酒先生は誰よりも生徒を幸せにしたいと考えていたんだ。なのに、突然自殺することなんて考えられない。閂先輩はウソをついているんだ。
「そもそも、何故あなたがそれを知っているんですか!? 御神酒先生が自殺したということを何故あなたが!?」
「ひひひ……それはですね、私が第一発見者だからですよ」
「……え」
「御神酒先生の死体を発見したのは、私でございます」
閂先輩が、御神酒先生の死体を発見した?
「おかげで死体を見つけた当日は警察から長時間話を聞かれるはめになりましたねぇ……警察という組織は書類を残すことに拘るようで、同じ質問を何度もされましたよ……ひひ」
「ちょっと待ってください。じゃあ、御神酒先生は……」
「ええ、私が空き教室で先生の死体を発見したとき……」
そして先輩は決定的な発言をする。
「御神酒先生は右手で、ご自分の首にペンを刺した状態で倒れておられました」
……もしその状況が本当ならば、御神酒先生は自殺した以外に説明が付かない。
「で、でも、それが犯人による工作だとしたら……」
「それはあり得ないのですよ……凶器のペンは御神酒先生自身の物と判明し、指紋も御神酒先生の物以外は付着していなかったそうです……」
「し、しかし犯人が指紋をふき取った可能性も!」
「……そもそも私が死体を発見したとき、御神酒先生の右手には首から噴き出したと見られる血が大量に付着しておりました……後から死体にペンを握らせたらそうはなりません……」
「そんな……」
信じたくは無かった。しかし俺が警察に話を聞こうとしたとしても、捜査状況を話してくれるはずはない。いや、それ以前にこんな早くに授業が再開したという事は、警察は殺人の可能性を既に除外しているということだ。校内に殺人犯はいないと考えているということだ。つまり……
「本当に、御神酒先生は自殺した……」
「……ひひひ」
「何がおかしいんですか!?」
ショックを受ける俺の前で、尚も小さく笑い声を上げる閂先輩に腹が立った。
しかし、大声を上げて激昂する俺に対しても、彼女はその笑いを崩さずにさらなる言葉を発した。
「唐木戸俊輔氏……という方でしたかね? 貴方が死に追いやってしまったご友人は?」
「……!!」
何で……何で先輩が……
「何であなたが唐木戸のことを知っているんですか!?」
「ひひ、これも先日申し上げたのですが……私は貴方に興味を持っているのですよ。ご自分の罪を認め、自分を罰し続けるという、常人では容易く行えない行動を取る貴方に……」
「……だから何ですか?」
「ですので……貴方のことを少し調べさせて頂きまして……唐木戸氏の存在にたどり着いたのですよ……」
「……」
唐木戸俊輔。俺の親友だった男。
中学の時に同じ塾に通っていて、大人しい性格のヤツだった。俺とは学校が違ったものの、塾で一緒に勉強するうちに仲良くなった。
だけど唐木戸は体も小さく、自分の意見をはっきり言えないヤツだった。俺はあいつのそういう性格をずっと心配していた。
そして俺は、身勝手で周りを見ない正義感から、許されない行動を起こしてしまう。
唐木戸の志望校を、無理矢理M高に変えさせてしまったのだ。
俺は唐木戸の性格では、不良生徒がいるような高校ではやっていけないと勝手に思いこんでしまった。だから進学校であるM高を受験するようにアイツに言ったのだ。今思い返せば、その時の俺は唐木戸の気持ちなんて全く考えていなかった。ただ自分が唐木戸を救うビジョンしか見ていなかったのだ。
M高に行くほどの成績自慢では無かった唐木戸は俺の提案に困ったような態度を見せたが、俺はそんなアイツを何度も説得して無理矢理志望校を変えさせた。俺の押しに逆らえなかった唐木戸は俺と一緒にM高を受験した。
そして入試で手応えを感じなかった唐木戸は、合格発表を待たずして自殺した。
俺はそれにショックを受けた。しかし愚かなことに、唐木戸の自殺の原因が俺だとは思いもしていなかった。俺が彼を自殺に追い込んだと知ったのは高校に入学した後、唐木戸の友人の女子が彼の日記の内容を俺に言った時だった。
日記には、『萱愛は全く僕の話を聞いてくれない。あいつの周りを見ない善意が僕を追いつめていくのが怖い』と書かれていたそうだった。
そこまで言われて俺はようやく気づいた。自分の行動がいかに愚かで、自分勝手だったのかを。そして丁度同じ時期に御神酒先生の思想に触れて、俺は唐木戸を死に追いやった罪を一生背負う決意をした。
その後俺は、あえて自分が唐木戸を追いつめたという噂を学校中に流し、孤立する道を選んだ。御神酒先生が救えない生徒を見捨てた罪を背負ったのと、同じように。
そのやり方が正しいかどうかはわからない。しかし、俺は一生唐木戸のことを忘れないと心に誓った。
でも、なぜ閂先輩は唐木戸の話題を出したのだろうか。
「ひひひ、貴方も御神酒先生も、まさに『特殊』な存在であると思うのですよ……そして萱愛氏、貴方はおそらくこう考えているのではありませんか? 『御神酒先生が自分の罪から逃げるように自殺するわけがない』と……」
「……!」
閂先輩の言う通りだった。御神酒先生は教師としての責任を放り出すような人ではない。
「つまり、貴方は御神酒先生の死の真相が気になっている……このまま何の行動も起こさずにこの事件を忘れたくはない……唐木戸氏のように……違いますか?」
「……目的は?」
「はい?」
「先輩の目的は何なんですか? 俺に揺さぶりをかけてどうしたいんですか?」
確かに俺は御神酒先生が何故自殺したのかを知りたい。そうでなければ自分の中で先生の死を整理出来ない。
だけど閂先輩が俺にそれを指摘する理由はわからなかった。
「ひひ、そうですねえ……個人的な興味からですかねえ……」
「興味?」
「申し上げた通り、私は『特殊』な人間に興味を持っております……私としても『特殊』であった御神酒先生が何故自殺したのか興味を持っているのですよ……」
「そんな……面白半分でこの問題に首を突っ込もうとしてるんですか?」
「問題ありますか?」
閂先輩は、首を右に傾けたと思うと薄笑いを消して無表情で言った。
「……!」
「私が面白半分で御神酒先生の死を調べることに問題があるのですか? 萱愛氏は御神酒先生の死の真相を知りたい。そして私はそれに協力をする。萱愛氏にメリットがある以上、私の動機など些細なことではありませんかねぇ……」
「くっ……」
確かに、俺一人で先生の死を調べるのは限界がある。一人でも協力者は欲しい。どうあっても閂先輩の態度は受け入れられないが、背に腹は変えられなかった。
「……わかりました。先輩に協力をお願いしたいです」
「ひひひ……よろしくお願いしますね萱愛氏……」
こうして俺は御神酒先生の事件を先輩と一緒に探ることになった。
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