自分が特別な人間だと気づいたのは、中学生の頃だった。
「すごいな借宿。このクラスで唯一の百点だぞ」
「借宿くんって、頭いいんだね」
「借宿には敵わねえなあ」
俺を称賛する、数々の言葉。俺が特別な人間だということを認める言葉。
そして、俺は努力せずとも他人より優れた結果を出せる。それが俺が特別な人間だという、何よりの証拠だった。
例えばテストが返ってきた時、こんなやりとりがあった。
「借宿くん、テスト前にどれくらい勉強した?」
おそらくはどの学校、どのクラスでも行われているであろう、このやりとり。こういった質問をされると、俺は決まってこう答える。
「いやあ、そんなには勉強してないよ」
そして、俺の返答に質問をした相手は決まってこう返す。
「本当に!? 勉強しないのにあんなに点数とれるの!?」
この言葉を聞くのがたまらない。相手は俺が特別な人間であると、自分より上の存在であると認めている。それがたまらない。
「たまたまヤマが当たっただけさ」
もちろんこれはウソだ。俺は授業を聞いて、教科書をパラパラと読めば、学校の定期試験程度なら楽々と高得点を取れる。俺はそういう人間なのだ。他人より少ない努力で、他人より上にいくことが出来る。それが誇らしかった。
「そういえば、上室くんはどうだったの?」
俺に質問をした男子は、別の男子に質問した。
「いや……平均点くらいしか取れなかったよ」
「そっかー」
質問をした男子はその返答に無難な返事をしていたが、俺は上室を見下さずにはいられなかった。心の中で大笑いしているのを、表に出さないようにするのに必死だった。
この上室という男は、クラスでも真面目クンとして知られている。休み時間や放課後も、ほとんど図書室で勉強している。今回のテストでも相当に勉強したのだろう。それなのに、この点数なのだ。
おそらく上室は『出来ない』人間なのだろう。どんなに努力しても、どんなに勉強しても、俺のように特別な人間には敵わない。そんな人間なのだろう。
努力せずに出来る人間と、努力しなければ出来ない人間がいるとしたら、前者の方が優れているに決まっている。そして俺は前者だ。俺は無駄な努力などせずとも優れた成績を残せる。人の上に立てる。
無駄な努力をする人間はバカだ。バカはバカらしく、自分はどんなに努力しても無駄だと認め、選ばれた人間に嫉妬し、決して越えられない壁に絶望し、惨めな思いを抱えて生きるべきだ。それが俺のような特別な人間のストレス解消になる。その方が有意義だ。
無駄なことは嫌いだ。人間は疲労を最小限に抑えるために賢くなったはずなのだ。だから賢い人間とは、いかに無駄な行動をしないかを工夫している人間のことを指すのだろう。そう、俺のように少ない努力で優れた結果を出せるように。
きっと俺には輝かしい未来が待っているのだろう。これから進学校であるM高校に進学し、一流と言われる大学に入り、一流企業に入社し、他人をこき使う側になる。そう信じて疑わなかった。
だがそんな俺の人生が狂い始めたのは、予定通りM高校に入った後だった。
「借宿、お前今回のテストどうだった?」
「あ、いや、普通、だったかな……」
「ふーん……あんまり勉強してなかったのか?」
「ま、まあね、今回はこんなもんだろ」
屈辱だった。選ばれた、特別な存在である俺が、クラスメイトに見下されるような態度を取られることが。そしてかつて見下していた、上室のような扱いを受けていることが。
違う。こんなものは俺じゃない、何かの間違いだ。俺は努力しなくても人の上に立てる人間なんだ。無駄な努力をする奴ら、こんな進学校で部活に精を出し、無駄な汗を流す奴らを見下す資格のある人間なんだ。間違ってもこんな扱いを受けるような人間ではない。
しかし現実は、俺は特別どころかクラスでも下の方の成績に落ちぶれている。俺が思い描く自分の姿と、現実の俺の姿が大きくズレている。このことは俺を混乱させた。
そんな中、俺は一人の男の存在を知る。その男の名は、萱愛小霧。同じ塾の友人を自殺に追い込んだ事がバレたことで、同じ学年どころか学校中から嫌悪の視線を向けられている生徒だった。頻繁に嫌がらせを受けているせいなのか、成績も俺より下だった。
二年に上がって萱愛と同じクラスになると、俺はここぞとばかりに萱愛を罵倒した。当然だ、俺にはその権利がある。萱愛は学校中から見下される存在なのだ、俺が見下して何が悪い。むしろこれがあるべき姿なのだ。俺は他人を見下し、他人の上に立つ存在だからだ。
だが萱愛は、俺が気にくわない態度を取り続けた。
「萱愛、こんな問題も解けないのか? それに『人殺し』の癖に、生きてて恥ずかしくないの?」
「借宿、他人にそんな敵意を含んだ言葉を向けるもんじゃない。敵意を向ければ、相手にも敵意を向けられるからだ。それに君は俺よりも自分の心配をした方がいい」
萱愛は生意気にも格上である俺に説教を始めた。実に腹立たしい。自分の立場をわきまえない行動だ。
そして俺がもっと気にくわない事実があった。それが、萱愛が数学教師の御神酒に気に入られているということだ。この御神酒という教師は、見込みのある生徒だけを優遇するという噂が立っていて、教師の間でも孤立していた。だが俺にとって最大の疑問点は、そんな方針を取る御神酒が、特別な存在であるこの俺を優遇せずに俺より格下である萱愛を優遇しているということだ。
何故だ。何故俺じゃなく萱愛を優遇するんだ。俺の方が優れた人間のはずなのに。あんなクズに肩入れするなど、無駄な行為であるはずなのに。
だから俺は職員室で、御神酒に意見をぶつけてみた。
「御神酒先生、ちょっといいですか?」
「なんだ?」
御神酒はまるで俺に声をかけられる心当たりは全くないかのように、そっけない態度を取る。実に腹立たしい。
「どうして先生は萱愛ばかり贔屓をするんですか? あいつは成績も良くないし、学校中から嫌われてる。あんな奴に肩入れするなんて無駄だと思いませんか?」
我ながら実に正論だと思う。きっと御神酒も俺の正論の前に、しどろもどろになるに違いないと確信していた。
だが現実は違った。
「借宿。私はまだ教師としてベテランであるとは言えない。確かに私のやり方が間違っている可能性はある。だがな、私は自分の行動が無駄だと思ったことは一度もない。なぜなら何かしらの行動を起こせば、必ず何かしらの結果が生じるからだ。それが悪い結果だとしてもだ」
生意気にも御神酒は反論をしてきたので、俺も熱くなってしまった。
「何を言ってるんですか? 悪い結果になったら、どんなに努力したとしても全て無駄じゃないですか。そんな無駄な努力をするくらいなら、やらない方がマシでしょう?」
「私はそうは思わない。例え自分の行動が失敗だったとしても、それが失敗だと気づけただけでも成果だ。そしてその失敗が次の成功に繋がることもある。たった一度の失敗で、全てを結論づけるのは早計だ。そして萱愛は自分の失敗を認め、這い上がろうと努力している。だから私は萱愛を優遇している」
「そうですかね? ダメな奴は何をやってもダメなんですよ。そんな奴が努力したところで、成功なんてするはずがない。だから御神酒先生が萱愛に肩入れしても無駄なだけです。それなら……」
「言っておくが、私は仮に萱愛を見限ったとしても、その次にお前を優遇するつもりはない」
いきなり俺の心を見透かされたような気がして、思わず言葉を失ってしまった。
「お前は萱愛より自分の方が優れていると言いたいようだな? だが私は今のお前が大成する可能性はかなり低いと見ている。何もしないことを正当化し、努力している人間を必死に見下すことで自分の格を保っているつもりのお前が優れた人間であるはずがない」
その言葉になぜか無性に腹が立った俺は、何かが喉に引っかかったような感覚を覚えながら怒鳴った。
「何言ってんだアンタ!? 俺の方があいつより成績もいいしアイツは学校中から見下されてるクズだしアンタも教師から孤立してるクズじゃねえかふざけんなよアンタにそんなこと言う資格ねえよ黙って俺の言うことにしたが……」
「黙れ」
「……!」
しかし俺の言葉は、刺すような視線を俺に向けた御神酒のたった一言によって遮られた。
「お前は言ったな? 悪い結果になれば、それまでの努力は無駄になると。だが私からすれば、他人の行動を無駄だと決めつけ、自分は何もしないことの言い訳にするお前のその思想こそが何よりの無駄だ」
「テメエ……!」
「何だその態度は? それが人に教えを請う態度か? 私を利用したいのであれば、もっと自分の手足を動かし、自分が見込みのある生徒だと私に認めさせることだな。話は終わりだ、もう帰れ」
そう言うと御神酒は言葉通り俺と話すことなど無いと言わんばかりに視線を外し、パソコンに何かを打ち込み始めた。
屈辱だった。特別な存在である俺が、あんなクソ教師に見下されているということが。俺は優れているんだ、無駄な努力なんてする必要なんてないんだ。間違ってもあんなクソ教師にバカにされる筋合いなど無い。
そして俺の怒りにさらに拍車をかける出来事が起こった。新しく生徒会長になった、閂とかいうブスの身の程知らずの演説だ。
「皆さんはご自分が『特殊』な存在だと考えているでしょう? ひひ、違うとおっしゃりたいですか? ですが……皆さんは間違いなく考えているはずです……『この進学校に入った自分はすごい人間だ』……こういった考えを……ひひひ」
始めは只のパフォーマンスかと思った。ブスがキャラ付けのために必死こいてるんだろうなという感想しか抱かなかった。
「皆さんは表面では『普通』であることを善しとしながらも、心の底では『特殊』であることを望み、自らが『特別』な人間だという幻想を心に抱き、周りの人間を見下している……ひひ、違いますか?」
だが次第に俺は、閂の言葉になぜか苛立ちを感じ始めた。
「ですがその考えこそがまさに陳腐。ひひひ……そう、まさに凡夫の思考。そしてこの私も『特殊』で『特別』な存在に憧れている点では皆さんと同じ凡夫でございます……」
何を言っている。俺は周りのボンクラどもとは違う。俺はこの社会の主役に……
「そんな皆さんは決してこの社会、この世の中の主役になどはなれません。脇役としての人生を歩み続け、脇役としての死を迎えるでしょう……ひひひ……そして死の間際に『特別』で『特殊』と言われなかったご自分の人生を呪うのです……」
ふざけるな、ふざけるな! 俺は特別な人間だ、選ばれた人間だ! こんなブスにバカにされる謂われはない! どいつもこいつも、無能の癖に俺をバカにしやがって……!
「ひひ、悔しいですか? 悔しいのであれば……」
俺は脇役なんかじゃない! 俺は凡夫なんかじゃない! 俺は……
「この私を死ぬほど楽しませてみろよ」
……そしてその言葉を発した閂の見開かれた右目を見たとき、俺は決心した。
そんなに言うなら証明してやる。俺が『特別』な人間だと、俺はお前等ボンクラとは違うのだと。
萱愛、御神酒、そして閂。お前等を蹴落とすことで証明してやる。
その日のうちに俺は美術室に行き、工芸用のノコギリやハンマーを鞄に入れて準備をした。
そう、身の程知らずの御神酒を殺害し、その罪を萱愛に被せる準備だ。
俺は決してボンクラなどではない。選ばれた、特別な人間である俺ならば完全犯罪も可能なはずだ。あの三人にそれを思い知らせてやる。
だが萱愛には最後のチャンスを与えてやろうと思い、俺はアイツに話しかけた。大人しく俺に屈服するのであれば、許してやろうと思っていた。
「俺が他人に対して意見を言う権利はある。一方で借宿、お前に俺が殺した『あいつ』の言葉を代弁する権利はない」
だが萱愛は生意気にもまた、俺に反論した。
その時、こいつを地獄に落とすことに決定した。バカな奴だ。身の程をわきまえていればこんなことにはならなかったのに。
そして俺はあの日、遅くまで学校に残っていた御神酒を空き教室に呼び出し、殺してやった。そう、俺は御神酒を殺してやったんだ
だが決して俺が犯人だとバレることは無い。天才の俺がやったとはバレるはずがない。そして俺はあえて萱愛に俺が犯人だと伝えることで、アイツの悔しがる顔を見てやろうと思った。自分に罪を被せている人間がわかっているのに、どうにもならない絶望を思い知らせてやろうと思った。
俺は選ばれた人間なのだ。そう、この犯行を成し遂げた俺は特別な人間なのだ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!