月日は流れ、9月になった。
鏡を見ればそこには当然、金髪に染めた男の姿がある。言うまでもなくこのオレ、工藤メイジの姿だ。本来オレは髪を染めるなんてのは趣味じゃないが、工藤メイジという人間を逆らってはいけない相手だと思わせるにはこうするしかなかった。
ミーコのことを守るために、自分で選んだことだ。後悔なんてしているはずがない。そのはずだった。
「……ミーコ」
スマートフォンの待ち受け画面には、ミーコの笑顔がある。付き合い始めた頃に撮った写真で、スマートフォンを構えているオレに満面の笑顔を向けてきている。オレはこの顔が好きだ。オレが好きなミーコの顔はこれだ。
トイレから教室に戻ると、一人の女子が声をかけてきた。
「あ、おかえり~工藤くん。ね、ね、今日は何して遊ぶ? あ、そういえば、隣のクラスの相沢って子さ、なんかウザくない?」
髪を茶色に染めて、制服を着崩して、流れるように他人の悪口を言う軽薄な女子。これが今の……財前美衣子だった。
付き合い始めた頃と違って、ミーコは女子グループの中心にいる。ミーコは女子たちに虐げられることもなく、平和に学校生活を送っている。これがオレの望んだ光景のはずなんだ。そうだろ?
「なあ、ミーコ。その相沢って子はお前に何かしたのか?」
「え? なんでそんなこと聞くの?」
「なんでって……いや、いい。それで? オレに相沢をどうにかしてほしいなら素直にそう言えよ」
「別に~? ただ、ちょっと懲らしめてほしいな~って。そう思ったの」
「……」
ミーコはオレに笑いかけてくる。だがその笑顔は、オレの知ってるミーコの顔じゃない。オレを利用して、学校内での権力を得ようとする人間の笑顔だ。そんなものは見たくない。
オレが髪を染めた後、ミーコを傷つけようとするヤツは徹底的に排除した。ウチの学校の女子連中はスクールカーストとやらをかなり気にするヤツらであり、オレはそのスクールカーストでも上位に位置すると認識されていた。それを利用すれば、オレに嫌われることが学校内での地位の低下に繋がると思い込ませることができる。まあ、くだらねえ考えだとは思うが、ミーコのためにそのくだらねえ考えを利用してやることにしたのだ。
ミーコのことを悪く言うヤツがいれば、オレはそいつをみんなの前で『ミーコを傷つけるクソ野郎』だと扱った。そうすれば学校内の生徒たちもそれに同調し、そいつのことをこき下ろし、自然とスクールカーストの底辺に落ちた。それを繰り返すうちに、いつしかミーコを傷つけるヤツはいなくなった。ここまでは上手く行っていたんだ。
だが、自分に逆らう者がいなくなったという事実を目の当たりにしたミーコはだんだんと変わっていった。オレに合わせて髪を染めて、自分が工藤メイジの彼女であることを殊更に主張するようになり、自分がどうやってオレの心を射止めたのか、オレの彼女である自分がいかに女の魅力に溢れているのかをアピールするようになってしまった。
そのうちに、オレはミーコと遊ぶ時間をだんだんと減らしていった。変わってしまったアイツを見たくなかったからだ。
代わりにネット配信で見れるアニメや漫画、ラノベを見る時間が増えた。自分が置かれている現実を見たくないのもあったが、それ以上にラノベの中にいるヒロインの方が、主人公の男を一途に愛しているように見えたからだ。
そしてさらに月日が流れ、11月になったある日。オレは放課後の教室でミーコにある提案をした。
「なあミーコ、久しぶりにデートしないか?」
「え~? うん、いいよ。今週はヒマだから付き合ってあげる」
「あ、ああ。ありがとう」
ミーコの言い方が引っかかったが、とりあえず話を進めることにした。
「それでさ、オレが最近ハマってるラノベがあるんだけどさ、そのグッズ販売会に行くってのはどう……」
「はあ?」
言い終わる前に、ミーコは怒り出した。
「工藤くん、ラノベなんて読んでるの? そんなの、オタクみたいじゃん! なんでそんなの読んでるの!?」
「なんでって……好きだから読んでるに決まってるだろ」
「そんなのおかしいじゃん。工藤くんがラノベなんて読んでるのおかしいじゃん! そんなのやめてよ!」
「どうしたんだよミーコ。お前、ちょっとおかしいぞ?」
そもそもオレがラノベを読み始めたのは数か月前からで、ミーコの前でもその話はしていたはずだ。確かにその時のミーコはオレの話をあまり聞いてなさそうだったが、なんで今になってこんなに怒ってるんだ?
「工藤くんは私の彼氏なんだよ? カッコよくてイケメンな彼氏なんだよ? ラノベなんて読んでたら、ウチの妹みたいにネクラな人間になっちゃうじゃん。だから今すぐやめてよ」
「え? お前の妹?」
「そうだよ。ウチの妹さぁ、なんか最近になってアニメにハマったから学校でいじめられたんだって。バカだよねえ、そんなのにハマったらいじめられるに決まってるのに。そう言ったら泣き出しちゃって、本当にバカみたい……」
「待て、ミーコ。お前なに言ってるんだよ!?」
気が付けば、ミーコの両肩を強く掴んでしまった。だけど今の言葉はどうあっても無視できない。
「いたっ……何するの!?」
「お前、自分が何言ってるのかわかってねえのか!? お前は今、自分の妹がいじめられてるのをせせら笑ってたんだぞ!? それがどんなにやべえことかわからねえのか!?」
「そんなの……いじめられて当然じゃん! だってそうでしょ!? 私だって今まで工藤くんの彼女にふさわしくないと思われてたからいじめられたんだよ!? でも、今はみんなが私のことをイケてる女だって認めてくれる! 私が工藤メイジの彼女だから! イケメンに認められた女だから! みんな私のことを憧れの目で見てくれる!」
「ミーコ……なんで……」
違う、違う、違う。ミーコはこんな女じゃない。
オレの好きな財前美衣子は、もっと自分の意志を持っていたし、自分の価値観を持っていた。オレに告白してくれたのも、普段のオレがどんな人間かを知っていて、それを含めて好きになってくれたからだ。オレもミーコの屈託のない笑顔や明るくハッキリとした態度が好きだから、告白を受け入れたんだ。
なのに今、オレの前にいるミーコにその面影はない。あるのは自分の地位を確立するために、『イケメンの彼氏』を利用する意地汚い女の顔だけだ。
どうしてだ、どうしてミーコはこんなに変わっちまったんだ。
「だってそうじゃん。工藤くんさ、私のために動いてくれたでしょ? 私だけじゃ嫌がらせしてきた女子たちに立ち向かえなかった。でも、アイツらも工藤くんみたいなイケメンを敵に回したくないんだよ。そんなことしたら、自分たちがいじめられちゃうから。結局さ、人間なんてパッと見た印象が全てなんだよ。その点、工藤くんはイケメンだからそれを満たしてるでしょ?」
「あ……」
そうだ。オレは自分の見た目を利用して、ミーコの敵を排除した。自分が世間一般で言う『イケメン』であることは自覚していたから。その自信はあったから。だからミーコを守れたし、だから反撃されなかった。
ミーコをここまで変えてしまったのは……オレだったんだ。
「ねえ、工藤くんは私のことが好きなんでしょ? だからラノベ読んでるなんて、みんなの前で言わないでね?」
その言葉が引き金だった。
「ミーコ、別れよう」
もう、オレはミーコを好きだと思えない。そして同時に、ミーコがオレのことを好きだとも思えない。
「……え?」
「オレはお前が好きだった。だけどオレが、お前を変えちまった。それも良くない方向にだ。今のままじゃお前とは付き合えねえ。だったらオレはお前と離れた方がいい」
「何言ってるの!? いやだ、別れるなんてダメ! だって、そんなことしたら……」
「お前が今まで築いてきた地位が崩れちまうからか?」
「……!」
「だったらどちらにしろオレたちはとっくに終わってたよ。お前はオレを利用しているだけだ。そんなの付き合ってるとは言えねえ」
「待って、私……」
「心配すんな。表向きには別れたなんて言いふらさねえよ」
ミーコの言葉を無視して、オレは教室を出て行った。
表向きにはミーコと別れたことを公表はしなかったが、一部の女子たちはそれを感じ取ったのか、すぐにオレにすり寄って来た。
「ねえ、工藤くん。カラオケ行かない? あのアイドルの曲歌ってほしいなあ」
「あのさ、工藤くん。この芸能人に似てるって言われない?」
「工藤くん、私も髪染めてみたの! 似合う?」
どいつもこいつも、オレのことをよく知りもしない癖に、外見のイメージだけで勝手なことを言ってくる。うんざりだ。コイツらの中にはオレがかつてミーコの敵として追い込んだ女子もいたが、オレに恨み節を浴びせることもなく、平然と言い寄ってくる。
だからオレはそいつらを無視してラノベに逃げ込んだ。ラノベのヒロインは主人公がどんな見た目でも、その中身を好きになってくれる。だからオレはその主人公が羨ましかった。
オレに言い寄ってくる女子は、仮にオレの中身が別人に入れ替わっていたとしても気づかないだろう。なぜならアイツらが見ているのは工藤メイジという一人の人間じゃなく、イケメンの男という要素だけだ。
結局、オレは女にモテてはいるが、好かれてはいなかったんだ。
こうして休み時間の度に言い寄ってくる女子たちの話を聞き流す日々が続き、春になった。
そして、オレの前にアイツが現れたんだ。
「その、工藤くんが、私に、話があるって言われたから、来たんですけど……」
二年になってこの学校に転校してきたという女、黛瑠璃子が。
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