夕飛さんと共に晴天の別荘に突入した俺は、まず生花たちを探した。俺の役目は生花を押さえることだ。アイツと朝飛さんの妨害を阻止すれば、あとは樫添たちが黛を救出する。だから黛よりも先に生花の姿を探すことが重要だった。
玄関から入って廊下を左に進んだ俺たちは、別荘のリビングにたどり着いた。
「ヒャハハ、こうしろーう。人んちに土足で上がり込むたぁ、アンタも随分とやんちゃになったじゃないか」
「生花……!!」
リビングのソファーに座っていた生花は、ゆっくりと立ち上がって俺を見た。
「んで? そっちは朝飛嬢の姉貴かい?」
生花の視線は夕飛さんに向いた。一方で俺は生花の動きを警戒しつつ、部屋を見渡す。他に誰かがいるようには見えないが、室内の照明がそこまで明るくないので、はっきりとはわからない。
「最近の若い子にしちゃ、随分と派手な子ね。まあいいわ。朝飛はどこ?」
「そうだねえ。朝飛嬢なら、ここのベッドでまゆ嬢とよろしくやってるってのはどうだい?」
「……あっそ。柳端くん、この子は任せた。私は朝飛を探すわ」
夕飛さんは既に生花には興味が失せたといった様子で、リビングに無遠慮に立ち入っていく。それを見た生花も一瞬驚いたように真顔になるが、すぐに笑いだした。
「ヒャハハハハァ! なるほどねえ! これが棗夕飛かい! 面白い女さね! ヒャハハハ!」
「生花! 笑ってないで、さっさと黛を解放しろ! お前らのやってることは犯罪だぞ!」
「犯罪かい? まあ、アタシはそういうのには慣れてるけどねえ。なんならここで幸四郎を押し倒しちゃえばさらに罪が重なるかねえ?」
「この間も言ったが、もうお前が俺の人生に関わるのはごめんだ。今回の俺が用があるのは、黛の方だ。お前にはどいてもらう」
もう一度部屋を見渡すと、リビングの奥にも扉があった。黛がいるとしたらあそこか?
「朝飛! ここにいるの!?」
夕飛さんがその扉に手をかけようとした時だった。
「っ!?」
俺の視界の端、リビングと同室にある台所のカウンターの陰から、何かが動いた。
ほとんど足音もなく、するりと動いたそれが、俺に向かってきていた。
「く、あっ!!」
その瞬間、意志とは関係なく体が動いていた。何かを予感したわけじゃない。何かをされたわけでもない。ただ体が自動的に、さきほどまでいた位置から横に跳んでいた。
跳んだ先には壁があり、俺はその壁を背にして貼り付くように立っていた。なぜ自分がこんなことをしているのかわからない。気づいたらそうしていた。
「……」
台所から出てきた人物。そいつは俺を見た。俺もそいつの顔が見えた。
「あっ」
なんで。その顔は、その顔は。
「香車……?」
俺の知っている顔。俺が一番の親友だと思っていたヤツの顔。その顔は、どうあがいても俺に安心感を与える。
「……あー、そういえば香車くんが言ってたね。中学入った時に仲のいい友達ができたって」
そう呟いたそいつは、その顔に笑顔を浮かべる。
「だったら、私とも仲良くしてくれるかな? 柳端幸四郎くん?」
「あ、あああ……」
なんだこれは。俺はもうわかっているはずだ。目の前にいるのは香車によく似ているだけの別人であり、男ですらないことは見ればわかる。そもそもコイツは黛を攫った危険人物だ。決して心を許してはいけない。
だというのに、その事実を知っているはずの俺の心に、容赦ないほどの安心感が広がっていく。
この人のことは、信じられるかもしれないと。
だって仕方ないじゃないか。目の前にいるのは俺が一番心を許したアイツの顔をして、アイツの雰囲気を纏っている。そんなことは仕方な……
「朝飛!」
その思考を、夕飛さんが断ち切った。
「やめなさい。アンタがやってることは柳端くんを冒涜する行為よ。それくらいわかるでしょ?」
「うん、わかった。お姉ちゃんはやさしいね」
その言葉に素顔に従ったのか、俺から目を離して夕飛さんに向き直る。
この人が、棗朝飛……夕飛さんの異母妹であり、香車の叔母にあたる人物。
そして、香車と同じく、『夜』を秘めているという女。
少しの間、思考が停止してしまったが、自分の前に生花と朝飛がいることを認識した以上やることはひとつだ。
「樫添! 聞こえるか! 玄関から入って右の部屋に行け! 右だ!」
玄関に向かって大声で樫添に呼びかけた。この場に生花と朝飛の二人がいるのなら、玄関から入って右の部屋には誰もいないはず。もしそちらに黛がいるのなら、俺たちがこの二人を押さえていれば樫添たちが黛を救出できる。
「あらら、まだ仲間がいるんだ。全く、晴天さんは何してるのかなあ」
「残念だけど、晴天はもうこっちで押さえたわ。アンタもそっちの子も、大人しく引き下がりなさい。今ならまだ引き返せるわ」
「お姉ちゃん、私にまた我慢しろって言うの? というかさ、黛さんは自分の意志でここに来たんだよ? 私たちは友達をここに招待しただけだよ?」
「アンタが『夜』を解放したら、私が悲しいのよ。離婚して、息子が二人も死んで、その上妹が殺人犯になりましたじゃ、私も生きていける自信がないわ」
「ふーん……お姉ちゃんは、自分のために私を止めるんだ」
そう言うと、再びするりと動き出した朝飛はリビングの出口……玄関の方向に向かっていた。
「っ!! 柳端くん!」
「させるか!」
間一髪で服の端を掴んでその動きを止める。しかし掴まれた本人は特に暴れることはせず、その代わりに俺を見た。
「柳端くん……」
その顔が、またも重なる。俺を救った香車の顔と。
気をしっかり持て。コイツは香車じゃない。コイツは香車に似ているだけの別人で、香車に『夜』を植え付けたかもしれない女だ。
だが相手にとっては、その一瞬の迷いで十分だった。
「あ、ぐっ!!」
俺の右の腹に激痛が走ったと感じた時にはもう遅かった。おそらく台所から持ってきたのだろう、小さなフォークが俺の体に突き刺さっていた。
「うぐっ……!!」
ダメだ、立っていられない。そこまで深く刺さってはいないはずだが、朝飛を押さえる力は出てこない。
「柳端くん!」
「おっとぉ、姐さぁん。男を追うのもいいけど、アタシとも踊ってくれないかい?」
夕飛さんの前には生花が立ちはだかってしまった。まずい、このままだと朝飛が樫添のところに行ってしまう。
「樫添ぇ!! まだか! 黛はまだ見つからないのか!?」
辛うじて声を絞り出して呼びかけたが返答はない。樫添たちが向かった先に黛がいたとしても、拘束されたり意識がなかったりしたらすぐには連れ出せない。ここはなんとしても俺が朝飛を止めなければならない。
「……樫添くん……は、まだ……」
「ダメ……全然……きない……」
樫添と柏の声が微かに聞こえるが、詳細な状況はわからない。少なくとも、黛を助け出せてはいないようだ。
「うーん、黛さんを助けられちゃったら困るんだよね。樫添さんって昼間に会った子だよね? あの子は別にいいかなあ」
朝飛の足を掴もうとするが、その手を踏みつけられる。
「ぐっ!」
「私の今のお目当ては、黛さんだし」
「お前の……狙いは……黛か……?」
「うん、そうだね。だってあの子、すごく殺しやすいし。私にも協力してくれるから」
「バカ言うな……黛がお前に協力するわけが……」
「それがね、黛さんって『柏さんに手を出さなければ自分には何をしてもいい』っていう条件で協力してくれたんだよ。すごいよね。いい子だよね」
「なん……だと……」
そんなはずがない。一瞬そう思ったが、あり得ない話じゃない。黛は柏を殺させないためなら何でもする女だ。柏を自分の隣で生かすために、柏自身の願望すら潰した。
仮に黛が、自分と柏のどちらかがどうしても助からないと判断すれば、真っ先に自分の命を捨てる。ヤツはそれをしてしまう。まさか、それを利用された?
「さて、と。君とじゃれてるのもいいんだけど、そろそろ行こうかな。私もそんなに我慢したくないし」
「その必要はないよ」
そう言って、歩き出す朝飛の前に現れたのは……
「残念だが、タイムアップだ。柳端くんから離れてもらえるかね?」
絶対に棗朝飛に出会ってはいけない女、柏恵美だった。
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