俺は生花の言葉に何も返せずに立ち尽くしてしまった。
信じたくない。いくら香車に『人を殺したい』という願望があったとしても、何の理由もないとは思えない。
だけど俺は既に、香車が柏を殺そうとしたことを知っている。その上、生花を突き落としたことも知っている。
しかしここまでの事実が揃っていても、俺には理解できなかった。俺を救ってくれたあの香車が。俺に穏やかな笑顔を向けてくれたあの香車が。何の理由もなく何の動機もなく人を殺すなんてことが、どうしても結びつかなかった。
だから俺は、生花の言葉を拒絶する。
「いい加減にしろ、沢渡生花! 俺は認めない。いくら香車がお前を傷つけたとしても、そこには何かあったはずだ。香車がお前を傷つけざるを得ない何かが!」
「ヒャハハ、幸四郎もしばらく見ないうちに随分物わかりがよくなったねえ」
「なに?」
「だってそうだろ? 中学の頃は棗が危ないヤツだってことすら認めなかったのに、今は棗がアタシを突き落としたことを、あっさり受け入れてるじゃないか」
「……!!」
確かに生花の言うとおりではある。俺はもう香車が清いだけの人間だとは思っていない。それだけの事実が揃ってしまっている。
「だけど鈍いのは相変わらずみたいだね。いや、鈍いと言うより頑固なのかな? まだアンタは棗への理解を自分から拒絶している」
「俺が香車への理解を拒絶しているだと? そんなバカなことがあるか! 香車は俺の……!」
「親友だったって言うのかい? だけどその親友は、アンタのことを刺したんだろ? 恵美嬢から聞いたよ」
「それは……」
香車が俺を刺したのは事実だ。俺が香車の殺人を止めようとしたから。それはもう、変えられない事実だ。
「ま、幸四郎からしちゃショックだよねえ。大切なお友達が自分の理解が及ばないバケモノだったわけだからね」
「違う! それだけが香車じゃない! アイツにも優しい一面があった! 『人を殺したい』という欲望だけがアイツじゃない!」
「ふーん、幸四郎はそう解釈するのかい? アタシの解釈は別なんだけどね」
「なんだと?」
「棗はそうやって、『人を殺したい自分』と『他人に優しく出来る自分』を上手く使い分けてる。だから恐ろしい存在だった。そう思ってるよ」
……そんなバカな。
香車は、二つの自分を使い分けていた? 俺に向けていたのは『他人に優しく出来る』という側面だった?
じゃあ香車にとって、『人を殺したい自分』こそが本当の自分だったというのか? 俺に向けていたのは偽りの側面だった?
「そう考えると、本当に惜しいヤツを亡くしたねえ。もし棗がまだ生きていれば、アタシは今この瞬間に、『絶頂期』を迎えられたかもしれないねえ。だってアタシは、棗の本性に気づきかけている。そんなアタシを、あのバケモノが生かしておこうとは思わないだろうからね」
「生花。お前はあくまで香車が怪物だと言うのか?」
「うん、そうだよ。アタシはあんなバケモノは見たことない。恵美嬢が惹かれるのも納得さね」
本当に、本当に生花の言うとおりなのか香車?
俺が見ていたお前は全てウソだったのか?
俺は、お前がわからないよ。
「柳端くん、ちょっといい?」
頭を抱える俺に、綾小路が声をかけた。
「なんだ? 悪いが、今の俺は『死体同盟』とやらの説明を聞く気分じゃないぞ」
「えっとさ、それに関連はするんだけど。アタシも棗って人の話は沢渡さんから聞いてる。柳端くんの親友だったんでしょ?」
「……ああ、そうだ」
今でも俺は香車を親友だと思っている。だけど香車が俺のことをどう思っていたかはわからない。
「それでさ、柳端くんはその、棗くんのことを理解したいからここに来たんだよね? だったら提案があるんだけどさ」
「なんだ?」
「アタシを、殺してみない?」
「は?」
綾小路を殺す? 俺が? なんでそんなことになるんだ?
「いや、本当に殺せって言ってるんじゃないよ。棗くんには『他人を殺したい』って気持ちがあったんだよね? だったら柳端くんも誰かを殺す気持ちを疑似体験すれば、もしかしたら棗くんの気持ちがわかるんじゃないかなって思ったんだけど」
「誰かを……殺す気持ち……」
「うん。『死体同盟』って、自分の『死』を疑似体験するための場所だけど、他人の『死』を疑似体験するのもありなのかなって」
「じゃあ、なんだ? 俺が綾小路を殺したという現場を再現するということか?」
「そういうことだね。空木さん、できますか?」
綾小路は空木に顔を向ける。
「そうですね。柳端さんが凶器の代わりになる物を持って、綾小路さんがそれによって『死体』になれば、近い状況は再現できるかもしれません」
「だってさ。どうする? やってみる?」
――正直、こんなことを言われてもすぐにやってみようという気分にはならない。
だけど俺は、少しでも香車を理解したい。少しでも香車がどんな気持ちだったのかを知りたい。
そのためには、これは必要なステップなのかもしれない。そう思った。
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