俺は今、学校の近くにある喫茶店に来ている。
「あの……」
「どうしたの?」
「なんか、すみません」
「ん? 何が?」
「えっと……」
俺の目の前には黛さんが座っている。例によって、学校の帰りに呼び出されてこの喫茶店に連れ込まれたのだ。
しかも、奢ってもらってしまった。これでいいのだろうか……
問題はそれだけではない。男子高校生と女子大生が二人で喫茶店にいるというのはどうかと思う。しかし、黛さんはまったく意に介していないようだった。
「まあいいわ、とりあえず祠堂以外にも『成香』がいるかどうか、心当たりはある?」
そうだ、俺と黛さんの目的はあくまで柏先輩を守ること。何を一人で舞い上がっているんだ俺は。しっかりしないと。
あの事件から一週間が経った。
祠堂先輩は自宅謹慎となり、自主退学も考えているという。
柏先輩も先生方から話を聞かれたようだが、襲われる心当たりは無いと言い張ったそうだ。つまり真相は、俺たちしか知らない。
そして、『成香』。棗の影響を受け、柏先輩を殺そうと狙う存在。
死者の影響を受けて特定の人物を殺そうとするとは信じ難いが、祠堂先輩を初め、柏先輩に暴力を振るったり殺そうとする人間たちがあの学校にいるのは事実。
柏先輩が自らの無事を望んでいない以上、俺たちが守らなければならない。
しかし……
「正直言って、見当もつきません。僕はまだ学校に入って日が浅いですし」
「まあ、そうよね。『成香』が棗に影響されて生まれるのなら、棗の死を見ていない一年生には『成香』はいないだろうし」
確かに、一年生はまだ柏先輩の存在すら知らないはず。彼女を狙う人間など……
「柏先輩って、ミステリアスな所がかっこいいよね!」
……その時俺は、ふと彼女のことを思い出す。
そうだ。彼女は入学前から柏先輩を知っていた。それも彼女のファンを名乗っている。
もし、それが柏先輩を殺したいという願いによるものだったら?
「黛さん、一人だけ心当たりがあります」
「え?」
「あのとき、俺と一緒にいた佐奈霧さんという女子生徒です」
「あの子? でもあの子は一年生でしょ?」
「いや、それが……」
「お話中のところ失礼するよ、黛くん」
突然の声に、会話が断ち切られた。
俺は知っている。この低めな女性の声を――
「……エミ」
コーヒーの入ったマグカップを持った柏先輩と、トレイを持った樫添先輩が俺たちの横に立っていた。
「ふむ、私を守るための作戦を立てているのかね? 私でなければ歓喜していたところなのだがねえ」
「先輩、もうこんなことはやめてください!」
思わず大声を出してしまったので、店員さんがこちらを見る。俺はそれを一礼して謝ったあと、再度柏先輩に向き直った。
「私にやめるやめないの権限など無いよ。全ては『彼』の意志だ」
「エミ、私たちはそれを止めるために動いているのよ。あいつの意志を砕くためにね」
「なるほど、それで樫添くんが私を監視しているわけか」
柏先輩が後ろにいる樫添先輩を見る。樫添先輩はどこか気まずそうな顔をしていた。
「私は……別に監視しているわけじゃ……」
「まあいいよ。君たちがどんな計画を立てようと、私がどんな抵抗をしたとしても、『彼』はその上を行く。君たちが見るのは、葬式で棺に収められた私の死体だ。その結末は変わらないよ」
「俺たちは、それを絶対に阻止します!」
「くっくっ、いいさ。それより折角こうして喫茶店にきたのだから、仲良く談笑でもしようではないか」
柏先輩は樫添先輩と共に、俺たちの横の席に座って、テーブルを寄せた。
……いい機会だ。今こそ聞いておきたいことがある。
「柏先輩」
「なんだね?」
「聞かせていただけますか? あなたと棗の間に何があったのかを」
俺の発言に黛さんと樫添先輩が顔を強ばらせたが、柏先輩は微笑みを絶やさなかった。
「ほう、興味があるのかね?」
「正直言って、先輩の思想は間違っているとしか思えません。ですから、その思想のきっかけになった出来事を知ることが出来ればあなたの考えを矯正出来るかもしれません」
「萱愛……」
黛さんは尚も不機嫌そうな顔をしていたが、今は柏先輩の話を聞きたい。
「ふふふ、いいだろう。まずは私と香車くんの出会いから話そうか」
そこからの柏先輩の話は衝撃的な事実が次々と出た。
まずは棗が柏先輩との事件以前にも、人を殺そうとしていたこと。
その時は柳端が止めたそうだし、俺は中学一年のころは棗に出会ってすらいなかったから気づきようもなかったが、それでも自分の身近で起こったことだ。完全に他人事ではない。
さらに柏先輩はそれを見て棗に接触を試みたというのだ。
普通ならそんなことは考えない。そんな人物に関わろうとはしない。どうやら柏先輩は棗との出来事以前から、異常な思想を持っていたようだ。
その後の柏先輩や黛さんたち、棗とのやりとりはおおむね黛さんから聞いたとおりの話だった。
棗はM高の屋上で柏先輩を殺そうとし、黛さんたちに阻止されて自殺した。
それを聞いて、俺の心にどうしようもないほどの後悔が襲う。
「くそっ!」
思わずテーブルを叩いてしまった。
「ど、どうしたの?」
「俺は……同じクラスなのに何も気づかなかった! 棗にも何か悩みがあったはずなんです! だから現実逃避の手段として殺人なんてバカげた行為に走ってしまった! 俺が親身になって悩みを聞いていればこんな事態には……」
棗はきっと、何か強いストレスを抱えていたのだろう。そして精神を病んでしまい、柏先輩を殺そうとした。
それが失敗した結果、自殺したのが精神を病んでいた証拠だ。
俺のせいだ。俺の……
だが、後悔に苛まれる俺を黛さんはどこか冷ややかな目で見ていた。
「ま、黛さん?」
「萱愛……あんた何もわかってないわね」
「え?」
「まあいいわ。この事で言い合っても無意味だし」
何だ、何の話をしている?
「と、とにかく! 柏先輩は棗との一件より前からそんな考え方だったんですね?」
「そうだよ。私は子供の頃に劇的な出来事に遭遇してね。それが今の私の根幹を成している」
「子供の頃?」
「ああ、もう十二年も前になるかな? 私が六歳の頃に目の前にある人物が亡くなってね。私はその人物の遺志を継いでいる」
……十二年前?
「あ、あの柏せんぱ」
「おっと、このことはまだ君に話すべきではなかったね。この話はこれまでだ」
「え?」
「さて、日も落ちてきたしそろそろ帰るとしようか。暗い方が『彼』も狙いやすいだろうからね」
「残念だけど、エミは私と一緒に帰ってもらうわ」
「おやおや、私の友人は全くスキを見せてくれないようだね」
そして柏先輩は黛さんに連れられる形で店を出ていく。
「それでは萱愛くん。私が生きていたらまた会おう」
縁起でもない発言をして、柏先輩は帰っていった。
「……柏ちゃんを守るには、結構骨が折れそうね」
横にいた樫添先輩はつぶやく。そういえば、この人とはあまり話したことがない。いい機会だから聞いておくか。
「あの樫添先輩。柏先輩とは同じクラスなんですか?」
「いいえ、私は別のクラスなの。だから柏ちゃんを守るのも一苦労」
「そうですか。じゃあ柏先輩によく会いに行っている佐奈霧っていう女の子については知っていますか?」
「……」
一瞬だが、樫添先輩は無言になった。しかしすぐに俺の質問に返答する。
「……名前と顔は知っているし、柏ちゃんによく会いに来てることも知っているけど、それだけね」
「そう、ですか」
まあ、佐奈霧さんは柏先輩によく会っているから樫添さんに存在は知られているだろうけど、それ以上は知られようがないか。
「……わかりました。とりあえず、俺も帰ります」
「ええ、それじゃあね」
俺は喫茶店を後にした。
家に帰ると、珍しく母親が先に帰ってきていた。
「ただいま」
「おかえり、こーちゃん。今日は遅かったわね」
「ちょっと寄り道をしてた。母さんは今日は早いんだね」
「ええ、仕事が早く終わってね。でもこーちゃん。寄り道はあまり感心しないよ?」
「う、わかった……」
母親と交わす他愛のない会話。だけど俺は、今の会話に少し寂しさを感じていた。
「か、母さん」
「なに?」
「えっとさ、その『こーちゃん』っていうのはどうにかならないかな。もう俺、高校生だし」
「あら、母さんにとって、こーちゃんはいつまでもこーちゃんだよ?」
「う、うん……」
母親が息子を愛称で呼ぶ。別に不自然なことではない。
だけど俺は……
母さんから『小霧』と一度として呼ばれたことがなかった。
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