「おい新入り! その袋、そっちに置くんじゃねえよ!」
「あ、はい! すみません!」
「この間も言っただろうが! 使えねえな!」
先輩社員にどやされながら、僕はひとつで20キロはあるセメントの袋を30個、また運ぶことになった。
力仕事自体は特に苦ではないけど、言われたことひとつ出来ない自分の無能さは心底嫌だった。
「なあ、新入りの萱愛ってヤツどうよ?」
「ああ、ありゃダメだな。全然使えねえ」
休み時間に先輩同士がそういった会話をしているのも聞いてしまった。向こうも僕に聞かれても問題ないと思っていたのか、特に声を抑えている様子はなかった。
他人に必要とされていない。これが僕の……萱愛陽泉の日常だった。
地元の工業高校を卒業した僕は、当たり前のように地元の鉄工所に就職した。子供の頃から身体は大きく、筋力トレーニングが趣味だったこともあり、就職する頃には僕の身体はかなり筋肉質になり、力仕事ができることへのアピールに繋がり、就職は容易だった。
だけど、ただ力があっても実際に仕事の能力があるかは全くの別物だった。僕は物覚えが悪く、さらに物事の優先順位を判別するのが苦手だったため、職場でヘマを何度もやらかした。
「おい! お前、今は機械動かすなって言っただろうが!」
ある日僕は職場の鉄工所で、作業が遅れていたために慌ててプレス機を動かしてしまった。そのため、他の作業員が危うく怪我をするところだったが、寸前で先輩が機械を止めたために大事には至らなかった。
だけどこれは重大な事故には変わらない。僕は必死に謝ったが、こんな不注意な人間に仕事は任せられないということで職場をクビになった。
それからというもの、僕はいくつかの職場を転々としたが、どこでも不注意によるミスや遅れにより、短期間でクビになった。屈強な体格をしているということで初めは期待されるものの、実際にフタを開けてみればまるで仕事ができないということで、どこでも失望の目で見られた。
そんな生活を数年続けた24歳の頃。建設会社で働くことになった僕は、今日も先輩たちに怒られながら仕事を終えた。内心ではこの職場も長くないだろうなと思っていたそんな時だった。
「なあ萱愛、お前ちょっと合コン来ないか?」
帰ろうとした僕に対し、先輩社員の一人がそんなことを言ってきたのだ。
「はあ、合コンですか?」
「いやさあ、お前はっきり言って仕事できねえけどさ、女できたらちょっとは変わると思うんだよね。お前、見た目は結構いいし、マッチョだったらある程度はモテるだろ?」
「そんなことないですよ。でも、合コンには行きたいです」
「おう、わかった。じゃあ、あさっての金曜日の夜だから開けとけよ」
「わかりました」
今まで合コンというものに行ったことはなかったけど、誘われるのは悪い気はしなかった。
そして金曜日の夜、僕は先輩やそのお友達と一緒に、居酒屋に来ていた。
席について数十分後、先輩の知り合いだという女性たちが来た。
「おまたせ~、待った?」
「いやいや全然。あ、こいつが職場の後輩の萱愛。マッチョでしょ?」
「え!? すごい身体してるね? 格闘家みたい!」
「いや、ははは……」
別に僕はモテたいために身体を鍛えているわけじゃなかったけど、女性にそう言われるのは嬉しかった。だけど、その時だった。
「……!!」
僕たちの向かいに座った女性たちの一人に、あんまりこの場に乗り気ではなさそうな人がいた。ショートカットにパーマを当てた、僕と同年代くらいの女性。
僕は、その人の顔を見て、一瞬で恋に落ちてしまった。
「あ、あの! そちらの方は?」
自分でも驚くほどに、咄嗟に声が出てしまった。先輩や女性たちも驚いた顔をしていたけど、僕に質問された女性はこちらを見て答えてくれた。
「はじめまして、斧寺と申します」
「お、斧寺さんですか。あの、下の名前は?」
「……霧華です。ですが、斧寺と呼んで下さい。名前で呼ばれるの本当に嫌なので」
「わ、わかりました。斧寺さん」
「なんだ萱愛ぁ、お前早くも狙いつけたのかー?」
先輩に茶化されるが、僕はもう斧寺さんの……霧華さんのことで頭がいっぱいだった。
正直、彼女は世間一般で言うところの美人というわけではなく、どちらかというと地味な顔立ちをしていた。でも、なぜか僕は霧華さんに惹かれていた。だから僕は、他の女性には目もくれず、霧華さんと話をした。
「へえー、こ、高校の先生なんですか?」
「はい、家庭科を教えています。近頃の子は家の手伝いをあんまりしないみたいで、教えるのも一苦労ですよ」
「そうなんですか? 僕なんかは結構父親の日曜大工に付き合わされたけどなあ」
「女の子でも、家事やったことない子が増えてますね。その代わりパソコンが普及し始めたことで、そっちに関しては私より詳しかったりします。家庭科教師としては負けてられないので、必死に勉強していますよ」
「ど、努力家なんですねえ」
女性とロクに話したことのなかった僕は、霧華さんと会話するのにも手探りになってしまった。だけどそんな僕に対しても、霧華さんは好意的に話をしてくれた。そのことがまた、霧華さんを魅力的に見せていた。
「萱愛さんは、やっぱり力仕事が得意なんですか?」
「ええ、まあ……片方40キロずつくらいだったら両肩に乗せて普通に運べます」
僕は何のアピールになっているのかわからないことを言ってしまったが、そんな僕を見て、先輩が乱入してきた。
「いやあ、こいつ本当に力だけはあるんだけどさ、他がからっきしダメなんですよ。なあ萱愛?」
「は、はい……」
どうやら僕は、先輩たちの踏み台として連れてこられたようだった。
一時間後、あらかたの会話が終わり一段落したところで、僕は霧華さんに思い切って聞いてみた。
「あ、あの、良かったら、メールアドレス交換しませんか?」
「ごめんなさい。私、まだ携帯電話を持ってなくて……」
「そ、そうなんですか」
当時はまだ、携帯電話を持っていない人も少なくはなかった。
「でも……良かったら、これどうぞ」
「え?」
そう言って、霧華さんは名刺を渡してきた。仕事用の名刺ではなく、自宅の電話番号が書かれたものだ。
「これって……」
「萱愛さんにだったら、教えても良いかなって」
霧華さんが照れたような顔で言ったその言葉で、僕は天にも昇る気持ちになった。
「あ、ありがとうございます!」
それからというもの、僕は霧華さんとプライベートで何度か会うようになり、交流を深めた。
霧華さんは家庭科教師ということもあり、料理が得意で、僕にお弁当を作ってきてくれたこともあった。僕と頻繁に連絡が取りたいとのことで、携帯電話の契約もしてくれた。
だけど、僕にはひとつだけ気がかりなことがあった。
「ねえ、斧寺さん」
「なに?」
「……名前で呼んでも、いいかな?」
「……ごめんなさい」
「あ、うん! そうだよね。ごめんね」
霧華さんは、頑なに名前を呼ばれるのを拒んだ。それが僕の心にいつまでも引っかかっていた。
僕は霧華さんを愛している。それを確信している。だけど僕の愛はまだ霧華さんに届いていないし、霧華さんは僕を愛していないかもしれない。
でも僕にできることなんて限られている。僕は力以外何の取り柄もない男だ。どうしたらいいんだろう。
そんな悩みを抱えたある日のことだった。
「……霧華さん、遅いな」
その日、僕は霧華さんと数回目のデートの約束をしていた。だけど待ち合わせの時間になっても、彼女が来る気配はなかった。
携帯電話にかけてみても出ない。そもそも彼女はまだ携帯電話を持ち始めたばかりなのもあって、間違って電源を切ったままにしていることが多かった。だけど時間はきっちり守る人だったので、僕はどうしても気になった。
「家に、行ってみるか?」
霧華さんの自宅の場所は教えてもらっていた。ここからそう遠くない場所だ。まだ上がらせてもらったことはないけど、近くまで行くくらいならいいだろう。そう思って僕は霧華さんの自宅に向かった。
霧華さんが住んでいるのは、女性用のワンルームマンションの一室だった。男である僕が中に入るのは難しいと思い、マンションの前でもう一度電話をかけてみようと携帯電話を取りだした時だった。
「おい、斧寺先生よぉ、アンタ随分舐めたこと言ってくれるなあ」
静かなマンションには似つかない、下卑た声が聞こえてきた。声が聞こえた方を見ると、日曜日だというのに学生服を来た金髪や茶髪の男子高校生が三人、若い女性に絡んでいた。
そして、絡まれていた女性をよく見ると――
「斧寺さん!?」
僕が待ち続けていた、霧華さんが怯えた顔でしゃがみ込んでいた。
「あ、あなたたち、もう一度よく考え直してちょうだい。先生に乱暴しようとするなんて、あなたたちはそんな子じゃないはずでしょ?」
霧華さんは少年たちに向かって、怯えながらも諭すような言葉をかける。だけど少年たちはそんな霧華さんに向かってニヤニヤと笑った。
「先生よぉ、アンタ本当に頭お花畑なのかよ? 世の中に何件、少年犯罪があると思ってるんだよ?」
「だ、だからって、あなたたちが先生にひどいことする理由なんてないはずよ!」
「それがあるんだよなあ、アンタがうざってえせいで、俺たちの平和な高校生活が脅かされてるわけよ。だからちょっと俺たちがお灸をすえて、アンタには教師やめてもらおうかなーって、思ったわけ」
ゲラゲラと笑う少年たちを見て、僕の中に怒りがこみ上げてきた。話を聞く限り、この少年たちは霧華さんの教え子であるにも関わらず、彼女に逆恨みをして乱暴に及ぶつもりだ。これは許してはおけない。
僕が霧華さんを助けようと、走り出した時だった。
「あっ……萱愛さん!?」
「てめえ、うるせえんだよ!」
僕に気づいた霧華さんが助けを求めたことに腹を立てたのか、少年は彼女の顔を平手打ちした。
その瞬間――
僕の中で、『愛』が爆発した。
「が、ぐあ……」
「ゆ、許して! 許して下さい!」
「なんなんだよこいつ……バケモンかよ!」
気がつくと、僕の目の前には血まみれになった少年の一人と、僕に対して怯えた顔を見せる残り二人の少年がいた。
ああそうだ、僕は霧華さんを助けようとしたんだった。彼女は大丈夫だろうか。
「霧華さん、大丈夫?」
僕は後ろを向いて、霧華さんに微笑みかけた。そうすると、彼女は僕に縋り付いた。
「う、うああああ……! 陽泉さん、こわかったよぉ……」
「大丈夫だよ、霧華さん。これからは僕が守ってあげるから」
「う、うう……あの子もきっとこれで反省したと思うわ……陽泉さんのおかげだわ……ありがとう……」
「うん、うん。それはよかった」
ふと、僕は彼女のことを『霧華さん』と呼んでしまったことに気がついた。まずい、名前で呼ばれるのは嫌いなんだっけ。
「あ、あの、すみません、斧寺さん……」
「……いいの、陽泉さんになら、『霧華』と呼ばれても、いい」
「え?」
「陽泉さん……愛してる……」
「……あ」
『愛してる』。
僕は、初めて女性からその言葉を言われた。誰からにも必要とされなかった僕が。誰からにも愛されなかった僕が。
ああ、そうか。僕の愛が、ようやく霧華さんに届いたのか。愛する人に愛を届けるには、こうすればいいのか。
「……あは」
なんて、なんて嬉しいんだろう。僕は愛する人に、やっと自分の愛を届けることができた。僕はやっと、愛する人からの愛を得ることができた。
「あははははははははぁ!!」
今日は記念すべき日だ。嬉しくて笑いが止まらない。これが愛だ。愛する人のための行動なのだから、愛でなくてなんなんだ。僕はやっと、他人と愛で繋がることができた。
ああ、きっと僕はこれから霧華さんと愛し合うのだろう。そしてたくさんの愛を育むのだろう。
そうだ、いずれ僕と霧華さんの間に子供が出来たら、その子にもたくさんの愛を注いであげよう。僕たちの愛する子供に何か危険が迫ったら、僕が全て排除してあげよう。
男の子が生まれるのだろうか、女の子が生まれるのだろうか。それはまだわからないけど、付ける名前はもう決まっていた。
僕の愛する霧華さんの一文字を取って、『小霧』。
そうだ、この名前がいい。いずれ生まれるであろう、僕たちの子供、『小霧』。彼か彼女かはまだわからないけど……
『萱愛小霧』には、僕の愛情をたくさん注いで、愛が溢れる人間に育ててあげよう。
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