柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第十二話 ぎこちない謝罪

公開日時: 2024年6月16日(日) 13:13
文字数:2,436


 【7月29日 午後3時15分】


「え?」

「声抑えて。クロエちゃんに気づかれちゃうから」


 小声で囁かれた提案をもう一度思い返す。朝飛アサヒは私に『囮になれ』と言ってきたんだ。


「……私がその提案に乗るメリットはあるの?」

「この場から逃げられる以上のメリットいる?」

「アンタの提案に乗って私がそのメリットを得られる根拠は?」

「私はクロエちゃんや唐沢からさわさんって人が大嫌いだから、今は樫添かしぞえさんとは敵対しないよ。それが根拠」

「……」


 さっきのやり取りを見た限り、朝飛が唐沢たちの仲間じゃないのは本当なんだろう。ここから脱出するために私の力を借りたいというのも自然な考えだし、私一人で脱出を図るよりは成功率はずっと高い。


 問題は、朝飛が途中で私を裏切って自分だけ脱出する可能性があることだ。


「信用できないかもしれないけど、時間もないよね。だって樫添さん、まゆずみさんをハメちゃってるんだから」


 痛いところを突いてくる女だ。既にセンパイたちの元には沢渡さわたりたちが向かっている。いくらセンパイと言えども、沢渡の相手をするのは骨が折れるはずだ。じっくり考える猶予なんてない。


「……作戦は?」


 最小限の言葉で提案に乗る意志を示すと、朝飛は立ち上がってクロエに声をかける。


「クロエちゃん、樫添さんがトイレ行きたいらしいんだけど。行っちゃって大丈夫?」

「え? は、はあ……どうしましょうか?」


 クロエが不安そうに問いかけると、唐沢は困ったような表情を浮かべた後に指示を出した。


「そうだねえ、トイレ行くにも場所わからないでしょ? クロエちゃん、案内してあげて」

「は、はい」


 指示を受けたクロエは私の横について、部屋の扉を開ける。


 その直後だった。


「ひっ!」


 小さく悲鳴が上がったと同時に、クロエは朝飛の顔を見て体を硬直させていた。


「ねえ、クロエちゃん。もしあなたがそのままドアを開けたままにしてくれるならさ。あなたの望むようにずっと『夜』を解放してあげるけど。どうかな?」

「あ、ひ、朝飛、さん……朝飛さぁん……」


 朝飛の無表情の殺意を真っ向から受けたクロエは怯えたような声を上げながらも、どこか恍惚の表情で体を震わせている。一方で私は指一本動かせずにいた。なんでこのタイミングでこんなことを……?

 いや、違う。これはチャンスだ。


「樫添さん! 走って!」


 朝飛の表情がいつもの自然なものに戻ったと同時に意図を理解し、開け離れたドアから一目散に走った。


「っ! クロエちゃん、追って!」

「あ、ひ、あ、朝飛、さぁん……」

「おいおい、なんてことしてくれるんだよ……」


 遠くから唐沢とクロエの声が微かに聞こえたけど、内容まで気にする暇もなく、ビルの出口まで一気に駆け抜けた。



 【7月29日 午後3時28分】


「ふう、ふう、ふう……」

「大丈夫? 全速力で走るなんてなかなか無い経験だけど、たまにはやっておいた方がいいよ」


 路上で息を整える私に対して、朝飛はさほど息を乱すことなく声をかけてくる。コ、コイツ……誰のせいでこんな息が乱れてると思ってるの……?


「……なんか今日だけで一ヶ月分の体力失った気分ね」

「普段からもっと運動しておいた方がいいよ。そうじゃないとかしわさんが誰かに殺されちゃうよ?」

「アンタが言うとシャレにならないの!」


 だけど過程がどうあれ、唐沢たちから逃れられたのは確かだ。あとは黛センパイに事情を説明して、一刻も早く『死体同盟』から離れてもらわないと。


「……ダメ。出ない」


 電話をかけてもセンパイは出なかった。もしかしたらもう、沢渡たちに襲われて……?

 どうする? 柳端やなぎばたはまだ唐沢たちに捕らわれたままだし、萱愛かやまなかんぬきさんに連絡しても沢渡に勝てるとは思えない。どうすれば……?


「うん、うん、そう。お姉ちゃんの方から黛さんに伝えてくれる? うん、ありがとう」


 思案する私の隣でどこかに連絡を取っていた朝飛は、通話を終えると私に向き直った。


「お姉ちゃんに現状を伝えたよ。向こうで黛さんに連絡とってくれるって」

「え?」

「お姉ちゃん、いつの間にか黛さんや曇天どんてんさんとも連絡先交換してたんだよね。まったく、本当に誰とでも打ち解けるし、どこででも上手く立ち回れるし、みんなにやさしいんだよねお姉ちゃんって」


 少し寂しそうな顔をして呟いているけど、まだその行動の意図が理解できていない。


「ちょ、ちょっと待って。あの、それってどういうこと?」

「どういうことって? お姉ちゃんに私たちの現状を伝えて協力してもらおうってことだよ。それ以外に何かある?」

「え、それって……」

「……ああ、そうか。樫添さんからしたら、虫が良すぎるよね」


 一度目を閉じて両手で顔を叩いた後、朝飛は私に頭を下げた。


「この間は私の身勝手であなたやお友達を巻き込んでしまって、本当にごめんなさい。樫添さんが私のことを信用できないのは当然だし、今さらあなたたちに協力したって私のやったことを帳消しにできるなんて思ってません。だけど、今回はあなたや黛さんを助けるために動いたって、それだけ信じてもらいたいです」


 朝飛の謝罪を見て、まず第一に思ったことがある。


 ものすごくぎこちない。


 そもそも朝飛が本気で私を信用させる気なら、あの強制的に相手を安心させる笑顔で私の心を開かせればいいし、これまでもそうやってきたんだろう。だけどあの笑顔に頼らず、自分の本心を相手に伝えることだけを目的とした謝罪を今までにやったことがないんだろう。だからこんなにぎこちなくて不自然なものになっている。


 コイツのことは何ひとつ信用できないし、こんなに謝るのが下手な人間も珍しいとも思う。


「顔を上げてください」


 だから、信じるのは今回だけだ。


「あなたが私たちを助けるために協力してくれるのはわかりました。だから、ここからは私の指示に従ってもらいますよ、朝飛さん」

「……うん、ありがとう」

「お礼は言わないでください。あなたの顔でそれを言われるのって、なんかすごくムズムズするから」


 何はともあれ、一刻も早く黛センパイたちと合流しなきゃ。うかうかしていると唐沢が次の手を打ってくる。


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