柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第二十六話 俺を許すな

公開日時: 2021年10月5日(火) 20:20
文字数:3,257


「救急箱持ってきました!」

「ありがとう、由美子ちゃん。じゃあ空木さん、まずは傷の消毒するわよ」

「すみません。お手数かけます」

「そう思うなら、もうこんな無茶はしないでよね」


 槌屋が空木の傷の手当てを手際よく行うのを見て、特に手伝う余地はないと考えた俺は、ソファーに座る綾小路に声をかける。


「おい、もう落ち着いたか?」


 そう言いつつも、その身をまだ震わせているのを見ると、おそらくまだショックを引きずっているのだろうとは思った。


「……ちょっと、キツいかも」

「無理するな。横になって休め」

「うん、そうする」


 ふう、と一息つきながら身体を横たえるのを見て、俺のためにここまで身体を張ったのだという事実を改めて思い知る。

 あの綾小路が、他人のために動くなんて日が来るとは思わなかった。こいつが『死体同盟』に来るまでに何があったのかは知らないが、考えを改めるくらいの出来事はあったのだろう。

 ……本当に、こいつは変わった。変わったからこそ、俺を助けることができた。もしかしたらその変化こそ、俺がこいつに惹かれ始めている要因なのかもしれない。


「柳端くん」


 綾小路は身体を横たえたまま、俺を見る。


「アタシ、自分の最期の時に柳端くんに一緒にいてほしいって思ってたけど、そんなのダメだよね」

「なんだと?」

「やっぱりアタシにそんな資格なかったんだよ。さっきだって柳端くんが危なくなったら自然と身体が動いたけど、それってたぶん、アタシは柳端くんには生きててほしいって思ってるからだよね」

「待て。それがどうして、お前が俺といられない理由になるんだ?」

「だってそうでしょ? アタシはどうあったってもう、過去の自分を許せないし、今の自分も許せない。それに、前科者のアタシのことを無条件で受け入れてくれる人なんていない。だからもう、アタシは『死』に向かっていく自分を抑えられない」


 綾小路は自嘲気味に呟きながら、弱々しく笑っていた。


「でも柳端くんには生きててほしい。柳端くんにはもう、これから『死』に向かうアタシとは関わらずに、平和に生きててほしい。たぶんアタシはそう思ってる。だから柳端くんは、アタシに関わるべきじゃなかったんだよ」

「……どうして、そんなことを言う?」

「え?」

「やっと、俺はお前の良さをわかり始めたかもしれないのに、どうしてそんなことを言うんだ?」


 俺はさっき、綾小路に助けられたことで確信した。綾小路佳代子はもう、以前の自己中心的で幼稚な女ではない。他人を気遣い、他人への感謝を忘れずにいられる女だ。俺のことを自分のステータスをアクセサリーではなく、一人の人間として接することができる女だ。


 だから俺は、綾小路のことを見捨てられない。


「だって……さっき柳端くんだって、アタシに幻滅したでしょ? 沢渡さんと一緒に君を襲おうとしたって思ったでしょ? アタシは結局そんな女なんだよ」

「俺はお前に幻滅なんてしていない。お前に助けられたことは感謝しているし、以前のお前とは違うと思っている」

「でも、でも……アタシは……」


 尚も自分を責める綾小路を見て、俺は考える。

 俺もこいつも、誰かに許されたいと考えて、『死体同盟』に入った。俺が香車に許されるには、死ぬしかないと思っていた。

 しかし綾小路は違う。こいつは今まで傷つけてきた人間に許されたいと思っている。ならこいつにはまだ、許してくれるかもしれない人間がいるのだ。こいつにはまだ、自分を許せる可能性が残っているのだ。

 なら俺は……こいつにはまだ生きていてほしい。


「綾小路、お前は言ったな? 俺に生きていてほしいと。自分のことは許せないが、俺には生きていてほしいと」

「……うん。アタシはたぶん、そう思ってる」

「俺も同じだ。俺は自分が許される人間じゃないと思っているが、お前には生きていてほしい。俺たちはお互いに、自分を許せないが、相手に生きていてほしいと思っているんだ」

「柳端くんが、アタシに生きていてほしいって?」


 俺の言葉を受けて、綾小路は顔を逸らす。


「そんなはずないよ。柳端くんがアタシにそんなこと言ってくれるはずない。だってあんなに迷惑かけたんだよ? それにアタシ、バイト先のお金盗むような女だよ? そんなアタシに優しい言葉をかけてくるはずないよ」

「お前はそう思っているのかもしれないが、俺は現に今、お前に生きていてほしいと言った。これは事実だ」

「そんなはずないんだよ! アタシは……もう、アタシは……!」

「綾小路!」


 俺は強引に綾小路の身体をこちらに向けて、目を合わせる。いつの間にか涙を流していた綾小路の顔は、やはり魅力的に見えた。


「……俺に生きていてほしいのなら、お前に生きていてほしいと思っている俺の思いを汲んでくれないか?」

「……!!」

「もしお前が俺の目の前からいなくなって、見知らぬ場所で一人で死ぬのであれば、それこそ俺はもう自分を許せない。そうなったら、今度こそ本当に俺は自ら命を絶ってしまう。そうならないように、お前に生きていてほしい。俺はそう思っている」

「そんな、そんなの……」

「お前は俺の命を救った。お前に生かされた。ならこれからも、お前が俺を生かせ。その代わり、俺がお前を生かす」

「そんなの、無理だよ。アタシなんかが、柳端くんを生かすなんて……」

「お前にならできる。いや、やってもらう」


 既に確信した。俺は香車のために死にたかった。香車に許されたかった。しかしあの時、あの屋上で香車が俺を刺した瞬間から……


 とっくの昔から、俺は香車に許されていなかったのだ。


 俺が死んだところで、香車は俺を許さないだろう。しかし今、俺に生きていてほしいと言う女が目の前にいる。なら俺は、そいつに生かされるしかない。

 だから俺を許すな、香車。お前のことを理解できないまま、無様に生き永らえる俺を許すな。

 お前のために命を捧げられない俺は、お前に許されないまま生きるよ。


「綾小路佳代子。お前が俺の生きる理由になってくれ。その代わり、俺がお前を生かす。お前には、生きていてもらう」

「アタシ、は……」


 俺がこれから歩むべき道は決まった。ならもう、やることは決まっている。

 携帯電話を取りだして、電話帳を開く。そして目的の連絡先に電話をかける。

 ――「黛瑠璃子」と書かれた連絡先に。


 だが、それを見逃していないヤツがいた。


「こうしろーう? 何か面白そうなことやってない?」


 俺が顔を上げると、そこには生花がヘラヘラと笑いながら立っていた。携帯電話を隠そうとする前に、素早く奪われてしまう。


「へえ、まゆ嬢と秘密の電話かい? ヒャハハ、幸四郎は相変わらずモテるんだねえ」

「生花……俺は、いや俺たちは『死体同盟』から脱退する」

「はぁん? なるほどねえ、ここにきて心変わりかい? アタシはいいけど、リーダーがそれを許すかねえ?」


 生花が顔を向けた先には、傷の治療を終えた空木が立っていた。


「……柳端さん。私の邪魔をするつもりなのですか?」

「残念だが、そうなるかもしれないな。俺と綾小路はここで降りる。そしてそれを拒否するのであれば、俺はアンタと敵対することになるだろうな」

「拒否しないと、申しましたら?」

「なら柏をここに置いていくだけだ。だが……柏はもう動き出しているようだが?」

「……!?」


 俺と空木が目を向けた先には、広間に繋がる玄関の扉の鍵を開けた柏がいた。


「残念だったね、空木くん。君の覚悟に敬意を表して、もう少し付き合ってあげてもよかったのだが……もうすぐここにルリが来る。つまり、ゲームオーバーということだよ」

「柏様。なぜそんなことをおっしゃるのです? 黛さんがここを突き止められるとは思えませんが」

「いいや、君はルリを侮っている。彼女は私の危機に必ず現れる。それが私を支配した、黛瑠璃子という存在だ。そうだろう?」


 柏はそう言いながら、扉から数歩離れて後ろを見る。

 それに呼応したように、扉が開け放たれた。


「ええ、その通りよ、エミ。私はあなたの願望を叩きつぶす」


 そして、大切な友人の願望を叩きつぶし、友人を生かすために動き続ける女、黛瑠璃子がこの場に現れた。

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