柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第二十六話 大切

公開日時: 2020年12月22日(火) 20:08
文字数:4,461


「改めて、本当にありがとうございました、萱愛氏……」

「い、いえいえ、先輩が無事で本当に良かったです」


 閂先輩を亜流川さんから解放することに成功した翌日、俺は先輩の自宅に招かれ、座布団の上に座ったまま、こうして二人で話している。


 昨日、閂先輩が亜流川さんに『お別れの挨拶』をした後、彼は直ぐに見崎さんによって車でどこかに連れて行かれた。彼がどうなるのか気にはなったが、その場に残っていた廻戸さんに釘を刺された。


「いいか兄ちゃんたち。くどいようだが、今日見たことは全て忘れろ。それを守れないようなら、今度こそ本当に大人はお前達を守れない。今回はたまたま兄ちゃんの思い通りになったが、世の中にはどうにもならないこともあるってことを忘れるんじゃねえぞ」


 廻戸さんはそう言いながら亜流川さんが乗せられた車を見た。確かに彼の言う通りだ。結局俺は、閂先輩を助けることは出来たが、同時に亜流川さんを見捨てたことになってしまったのだから。……廻戸さんの言葉にウソがあるようには思えなかった。想像でしかないが、彼もまた、『思い通りにならなかった』人間だったのかもしれない。

 

 そして現在、俺は昨日のことを再び思い返している。

 亜流川さんはどうしようもない人間だったとは思う。彼を救いようのない悪人だと思いこむことで自分の行いを正当化することは簡単だ。だけど、本当にそれでいいのだろうか? 俺は、せめて自分が関わる人間は全て救いたいと思っていた。それなのに、亜流川さんだけを例外にしてしまっていいのだろうか?


「萱愛氏」


 そう考えていると、閂先輩に声をかけられた。今の先輩はいつものような薄笑いを浮かべてはいない。かといって、昨日までのような作ったような笑顔も浮かべていない。その目はまっすぐ俺を見据え、その顔は真剣そのものだった。


「な、なんでしょうか?」

「やはり、迷っておられるのですか?」

「え?」

「あの男を救えなかったことをです。お優しい萱愛氏であれば、そうお考えになっていらっしゃるのかと……」


 見抜かれていたか。やはり先輩は他人をよく見ている。そして俺という人間もよく見ている。そういう先輩だからこそ、俺は……


 待て、俺は……先輩だからこそ、救いたかったのか?


「萱愛氏、貴方の言葉を再確認させて頂きたいのですが……」

「はい?」


「私は、あなたにとって『特別』な存在なのですね?」


「……はい」


 これは正直な気持ちだ。閂先輩は俺に道を示してくれた、そして俺を救ってくれた。だから俺は……


「ならば私は、その立場を失いたくはないのです」

「……先輩?」


 先輩は座った状態で俺に近づく。そして俺に顔が見えないように、俺の胸に頭を埋めた。


「お願いです萱愛氏、私は、あなたにとっての『特別』でいたい。あなたにとって『特別』な存在でいることで、私の人生に価値を見い出したい。ですから……」


 先輩は一度大きく深呼吸して、いつも以上に消え入りそうな声で言った。


「私のことを……優先して欲しいのです」


 ――初めて聞く、先輩の懇願するような声。それを聞いて、俺は思った。

 俺は今まで、他人を無条件で助けたいと思っていた。だけどそれは、本当に他人を見据えての行為だったのだろうか? 本当に心から正しいと言える行為だったのだろうか?

 相手がどんな人間であろうと助けたいと思う。これは本当に素晴らしい思想だと今でも思う。だけど俺たちは人間であって、聖人ではない。御神酒先生が言ったとおり、全ての人間を救うことなど不可能なのだ。

 なら俺は、全ての人間を救うことなど出来ない、ちっぽけな一人の人間である俺はどんな相手を優先して救うべきなのか? 

 

 それは……自分にとって『特別』な人間を優先するべきではないのか?


 全ての人間を救えないのであれば、やはり俺は優先順位を付けて他人を救うことになる。そしてそうするためには、他人をしっかり見据えてどんな人間かを見極める必要がある。そしてそこに生じるのだ。


 その相手が、自分にとって『特別』かそうでないかの差が。


 今の例で言えば、閂先輩は前者で亜流川さんは後者だ。それは俺にとっては揺るぎない。だから俺は他人をしっかり見極める必要があるのだ。限られた人間だけでも出来るだけ救えるようになるために。


 そして、その限られた人間の中に閂先輩は入っている。


 そしてそのことを先輩もわかっている。だからこうして今、俺に懇願しているのだ。自分を優先して助けて欲しいと。そうすることで、自分を俺の『特別』にして欲しいと。


「先輩、顔を上げてください」


 俺の言葉に応じて、先輩は顔を上げた。その顔はやはり先ほどまでと同じ、真剣なものだった。


「先輩は俺にとって『特別』な存在です。それは揺るぐことはありません。だから、安心してください」


 俺の精一杯の気持ちを伝えた。しかしそれでも尚、先輩は不満そうに首を振った。


「言葉だけでは不十分なのですよ……」

「え?」

「私があなたの『特別』だということを行動で証明して欲しいのです」

「こ、行動で?」

「手段は問いません。ですが行動で示して欲しいのですよ……さあ……」


 そう言って先輩は左目を瞑った。

 え、これって、もしかして……そういうこと、だよな……

 俺は一旦唾を飲み込むが、いつまでも先輩を待たせるわけにもいかない。意を決して、先輩に顔を近づけて……


「香奈芽ちゃーん、帰ったよー」


 だが俺の行動は突如として玄関から響いた高い声によって阻止された。先輩も珍しく体を跳ねさせて、驚いた表情になる。


「あ、萱愛くん、だっけ? もう来てたんだ。いらっしゃーい」


 玄関から入ってきたのは、先輩と同じく長い黒髪を後ろに流した中年女性だった。先輩とは違って明るい笑顔を浮かべる快活な女性だが、どことなく先輩に顔が似ているところもある。

 この人が、先輩のお母さんである「閂真守」さんのようだ。


「ほら香奈芽ちゃん、ジュースとおやつ買ってきたよ。萱愛くんもほら、遠慮せずに食べて」

「い、頂きます……」

「いやー、それにしてもすごいね君はー。あのバカの元から香奈芽ちゃんを助けてくれたんだって? 本当、この子もムチャするんだから……でも、本当にありがとうございました」

「まあその、詳しい事情は話せませんが……」

「いいのよ、私としてはこの子と君が無事だったのなら。あのバカにとってもいい薬になったでしょ。全く、我が弟ながらあきれ果てた男だよ」


 そう言いながらも、その顔は少し憂いを帯びたものになっていた。……やはり、実の弟を憎みきれないところはあるのだろう。


「でも本当にありがとうございました。貴方が気づかなかったらどうなっていたか……でも君も、香奈芽ちゃんも、もう二度とムチャなことはしないでね」

「は、はい」

「……お母さん、借金の保証人の件は、どうなりましたか?」

「ああ、全く連絡もないし、私は無罪放免なんでしょ。あのバカがしつこいから少し手を打ったけど、香奈芽ちゃんにも事情を話しておくべきだったね。ごめんなさい」

「いえいえ、お母さんと碌に話もせずに行動を起こした私も浅はかでしたよ……申し訳ありませんでした……ひひ」


 ……それにしても、先輩ってお母さんと話すときもこんな感じなのか? イメージ通りと言えばそうだけど、何だかなあ……


「さて、それじゃ私はこれからちょっと職場に行かないといけないけど、萱愛くんはゆっくりしてていいからね」

「はい、ありがとうございます」

「あとね、お母さん夜中まで帰ってこないから、このチャンスをモノにしたほうがいいと思うよ」


 そう言いながらお母さんはウインクをする。それが妙に決まっていて、なぜか圧倒されてしまう。


「は、はあ……」

「それじゃ、若いお二人の未来をオバサンは祈ってるよー」


 そう言いながら先輩のお母さんは玄関を開けて出かけていった。


「ひひひ、母がおかしなことを言って申し訳ありません……」

「いえいえ、素敵なお母さんじゃないですか」

「そ、それで萱愛氏、先ほどの話、なのですが……」

「……そうですね」


 俺は改めて閂先輩に向き直る。そして頼みごとをした。


「先輩、前髪を上げてもいいですか?」

「……はい」


 先輩の許可を取った俺は、右目を隠している前髪を左手で上げ、彼女の顔を露わにする。改めて考えてみると、先輩の前髪に隠れていない顔を間近で見るのは初めてかもしれない。こうして見ると、左右の目の色が違う以外は、先輩はとても普通の女の子のように感じられた。


「……萱愛氏、今とても失礼なことをお考えになっていませんでしたか?」

「い、いいえ」


 ……どうやら俺は顔に感情が出やすいタイプのようだ。いけないいけない。

 気を取り直して、先輩の顔をしっかり見据えた。


「……いきますよ、先輩」

「……はい」


 そして俺と先輩の顔が近づいていき……


 ――――

 ――


 翌日。学校に復帰した俺は朝一番である男の元に向かった。


「柳端!」

「おう、萱愛か。無事で何よりだ」

「ああ、お前がいなかったら先輩を救えなかった。ありがとう」

「気にするな。あのとき言ったように、俺とお前との間で貸し借りをとやかく言うつもりはない」


 柳端はそう言ったが、本当にこいつには感謝してもしきれない。思えばこいつも辛い境遇を乗り越えてきたんだ。そう考えれば、こいつの強さも頷ける。


「教師には上手く説明しておいた。とりあえず無断欠席ということにはならないだろう」

「そうか……今度お昼でも奢らせてくれ」

「はは、それなら、またファーストフードでも食べに行くか。お前の奢りで」

「ああ、そうしよう」


 柳端とこうして無事に会話を交わすことで、日常に戻ってきたことを感じる。俺がそう思っていると、彼は思いだしたかのように話題を変えた。


「そういえば、閂も学校に来ているのか? 電話であいつの無事は確認したが……まだショックは大きいのか?」

「ああ、そのことなんだけど……」


「ひひ、私をお呼びしましたか? 柳端氏……」


 俺が紹介する前に、先輩が俺の後ろから姿を現した。だが柳端は先輩の姿を見て、口を開けたまま動きを止めている。

 ……まあ、多少は驚くよな。


「お、お前、閂か……?」

「ひひ、これは奇妙なことを仰る。この私が、閂香奈芽以外の何者に見えると言うのですか……?」

「い、いや……」


 俺たちの前に現れた閂先輩は、髪を肩までの長さまで切り、短くなった髪をアップに纏め、さらに前髪をヘアピンで留めて、右目を露わにしていた。そうすることで先輩の素顔が柳端にもはっきりと見えている。

 当の柳端は先輩のあまりの変貌に言葉を発せない様子だったが、数秒の後、俺に近づいて耳元で問いかける。

 

「お、おい、アイツの身に何があったんだ? 本当は手遅れだったのか?」

「い、いやいや、そういうことじゃない。今から説明するよ」


 そして閂先輩は俺の腕に両腕でしがみついた。柳端は今度は両目を見開いている。まあ、無理もないか。

 驚く柳端をよそに、俺は閂先輩を改めて見る。


「紹介するよ、柳端。閂先輩は……」


 そして俺は、これからの自分の信念、そして生き方を貫き通すために、ここに宣言した。



「俺の、『大切』な人だ」



閂は罪人を封じている 完

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