「閂先輩! 識霧さん!」
黛さんたちと合流し、地下駐車場に駆け込んだ俺たち四人が見た光景は、地面に倒れる識霧さんと苦しそうにうずくまる閂先輩、そして……
「……陽泉さん!」
識霧さんの首を踏みつけ、ユラリとこちらを振り向いた陽泉さんの姿だった。
「あれ、小霧くん? おかしいな、先に帰ってくれって連絡入れたはずなのに、なんでここにいるのかな?」
不思議そうに俺に問いかける陽泉さんが気にはなったが、俺がするべきことはひとつだった。
「閂先輩! 大丈夫ですか!?」
俺は陽泉さんの横を駆け抜け、地面に座り込む閂先輩に駆け寄る。そう、まずは閂先輩が無事かどうかを確認する。それは俺にとっての最優先事項だ。
「かや、まな、し?」
「閂先輩! 俺です! 萱愛小霧です! わかりますか!?」
「……ええ、ひひ、やはり、来て下さったの、ですね……ごほっ! ごほっ!」
「先輩! 無理しないで下さい!」
閂先輩は苦しそうに咳き込むが、見たところ特に怪我をしたわけでもなく、出血しているわけでもない。
よかった。本当によかった――閂先輩はまだ、俺の前にいる。
「あ……」
そう考えていた俺だったが、突然首が暖かい何かに覆われる。俺の肩に小さな頭が押しつけられ、長い髪が俺の頬に当たる。
閂先輩が俺に抱きついてきた。それを認識するまで、数秒かかってしまった。
「か、閂先輩!?」
「萱愛氏……少し、こうさせて、いただけますか……?」
その言葉でさすがの俺も察した。閂先輩は、俺を見て安心したのだと。
先ほどまで何があったのかはわからないが、陽泉さんが閂先輩や識霧さんに危害を加えたのはおそらく間違いない。そしていくら閂先輩でも、屈強な大人の男性に襲われれば恐怖を感じるに決まっている。だから今、先輩は俺に縋り付いている。
「閂先輩……!」
だから俺も、閂先輩の身体を抱きしめた。
そうだ、俺はこの人を『大切な人』だと言ったじゃないか。他の何よりも、閂先輩を優先すると決めたじゃないか。
それなのに俺は何をやっていた? 大切な人にこんなに怖い思いをさせて、今まで何をやっていた?
俺はとんでもない大馬鹿者だ。誰を選ぶべきなんて、とっくに決まっていたはずなのに。
「エミ! しっかりして! エミ!」
「柏ちゃん! 聞こえる!? 柏ちゃん!」
後ろを見ると、黛さんと樫添先輩が壁にもたれかかる柏先輩に必死に声をかけている。柏先輩のことも心配だが、まずは乗り越えなければならない問題がある。
「小霧くん? 何をやっているのかな?」
それはもちろん、目の前にいるこの男――萱愛陽泉に打ち勝つことだった。
「小霧くん、なんでその子を心配しているのかなあ? その子は小霧くんにとって良くないって伝えたはずなんだけどな」
「陽泉さん……」
陽泉さんは不思議そうな顔で俺を見下ろしている。駐車場の蛍光灯が逆光になっていることでその姿が不気味に映る。
……やはり、俺はまだこの人が怖い。俺を愛しているという理由で容易に他人に暴力を振るうこの人が。俺への愛のためなら、人を殺してしまうこの人が。
だがそれでも、俺はこの人に勝たなければならない。大切な人のためにも。
「陽泉さん、ひとつ聞きます」
「んー? なんだい?」
「……閂先輩と、識霧さんを傷つけたのはあなたですか?」
「うん、そうだよ」
「どうして、ですか?」
そう、まず俺が確かめないといけないのはそこだ。万が一、先に危害を加えようとしたのが閂先輩や識霧さんだとしたら、責任は陽泉さんにはない。
いや、たぶん俺はまだ信じたいんだ。陽泉さんが、自分の父親が、俺の大切な人たちに暴力を振るうような人ではないと。
だけど、もし。もし陽泉さんがそうなのだとしたら……
俺の敵だという事実は、もう覆せなくなってしまう。
だから俺は願った。陽泉さんが、『危ない目に遭ったから仕方なかった』と言ってくるのを願っていた。
だけど――
「どうして? それはもちろん、小霧くんのためだよ」
俺の願いは、あっさりと裏切られた。
「さっきねえ、そこの柏さんが変なことを言ったんだ。『私が仮にあなたの息子にとって害のある存在なら、あなたは私を殺しに来るのだろうか。私はそれが知りたいのだよ』なんてことをね。あー、これはちょっと小霧くんに良くないなあって思ったから少しお仕置きしようと思ったらね、その子、閂さんだっけ? その子が隠し撮りをしようとしてたんだよねえ」
「……それが、理由ですか?」
「そうだよー。だって僕は閂さんが小霧くんに良くないって言ったんだけどねえ。それなのにまだ小霧くんや僕に付きまとってるわけじゃないか。これは小霧くんを守るために、僕が動かないとなあって思ったんだよ」
「……そうですか」
今、確定した。
俺は――この人を許せないと思っている。俺を愛していると言いながら、俺の大切な人を傷つけ、その人生を狂わそうとしたこの人を許せないと思っている。
この人が俺の父親? 俺はこの人に恐怖を抱いている?
そんなの、もう関係ない。
俺は閂先輩から身体を離し、立ち上がる。
「閂先輩、離れていて下さい」
「……わかりました」
先輩はいつもの笑い声を上げることなく、素直に俺の言葉に従う。そして俺は、陽泉さんの前に立つ。
「小霧くん、まあ、今日のところは帰ろうか。閂さんや識霧くんのことについてはまたゆっくりと……」
俺の頭に手が差し伸べられるが、俺はその手を払いのけた。
「え……?」
手を払いのけられたことに驚く陽泉さんに、俺は言い放つ。
「陽泉さん……いや、父さん」
この人は俺の父親だ。その事実は覆せない。
だからこそ、だからこそ俺は――!
「俺は父さんを許せません!」
父親が間違っているのだと、息子として主張しなければならない。
「な、何を言っているのかなあ? 小霧くん、もしかしてこれが、反抗期というやつなのかな?」
「いえ、違います。俺はあなたの息子として、あなたの行いが間違っているのだと言っているんです。父さんは俺の大切な人たちを傷つけた。それを許せるはずがありません。だから俺はもう、あなたの言うことは聞きません」
「こ、小霧くん。もしかして僕のやることを疑っているの? おかしいな。これはおかしいぞ。まさか僕の愛する小霧くんが不良になっちゃうわけないし……」
「父さん! もう受け入れて下さい。俺はあなたの息子です。だけどあなたの人形じゃない! 父親が間違っていると感じることもあるし、父親と違う意見を持つこともある、一人の人間なんです!」
「あ、あれえ? なんで? なんでそんなこと言うの?」
父さんは全身を震わせながら目を泳がせ、頭をせわしなく掻いているが、俺は容赦なんてしない。
父さんは――閂先輩を傷つけたことを償うべきだ。
「父さん、警察に行きましょう。閂先輩と柏先輩、それに識霧さんを傷つけた罪を償いましょう。俺も一緒に行きます」
「いや、いやいやいや、警察? そんなことしたら、僕は小霧くんを守れないじゃないか。ダメだよ、僕は小霧くんを守り……」
「まだわからないんですか!?」
この人には、はっきり言わないと通じない。どうやら俺は、この人のそういうところを受け継いでしまったらしい。
「あなたのしたことは俺の利益になってない! 迷惑しかかけてないんだよ!」
そしてその言葉を放った直後、
「あー……?」
父さんの動きが止まった。
「……なんで、かな、これ? 僕の小霧くんが、なんでこんなことになってるのかな? 僕の愛が届いてない?」
「……」
「あー、そうか。僕の愛がまだ届いてないのか。うん、じゃあ仕方ない。十年だもんね。僕の愛が届かないくらい離れてもんね。そうかそうか」
父さんはブツブツと小声で呟いていたと思うと、突然後ろを振り向く。
「じゃあ、僕の愛が届くようにしないとね」
その視線の先には、状況を見守っていた柳端や黛さんたちがいた。
「……っ! 柳端、逃げろぉぉぉぉ!!!」
俺の叫びと同時に、父さんは敵と見なした柳端たちに飛びかかっていた。
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