柏恵美の理想的な殺され方

さらす
さらす

第三十一話 台無し?

公開日時: 2024年10月9日(水) 20:02
文字数:3,647


 【7月30日 午前10時52分】


「ま、まゆずみ……!」


 小さく呻く声が聞こえた。あの声はたぶん柳端やなぎばただけど、今はその姿を確認している暇はない。


 目の前にいるこの男から目を逸らすことができない。もし、一瞬でもよそ見をした瞬間に何をされるかわからないほどの危険性がコイツにはあるからだ。


「ふむ、話には聞いていたが、君は仲間の窮地でも目的を見失わないのだね、黛瑠璃子るりこくん」

「……」

「おや、会話には応じてくれないのかね? 私としても戻って来たばかりで口を動かしたい気分なのだがね」

「アンタ、昨日は木之内きのうちやぐらって名乗ってたわよね? その前提がある上で改めて聞くわ」

「なんだね?」


「アンタは、誰?」


 自分でもバカげた質問だと思う。だけどこの状況では聞かなければならない。この男は何者で、これから何をしようとしているのかを。


「わかっていないはずもあるまい。だが、今までかしわ恵美えみを守り、『絶望』を与え続けてきた君に敬意を表して答えよう」


 そう言って男はその顔にどこか作り物めいた笑顔を浮かべる。


「私の名前は斧寺おのでら霧人きりひと。昨日まで柏恵美の中にいた者だ」


 ……気になっていることではあった。

 エミの中から斧寺霧人が失われた結果、彼女が私の知るエミではなくなったのなら、今まで私の隣にいたエミは誰なのか。そしてその『中身』はどこに行ったのか。

 唐沢からさわの目的が『斧寺霧人の復活』である以上、その器を用意していたとしてもおかしくはない。それがコイツなのだとしたら。


 今、目の前にいるコイツこそが、今まで私が守ってきたエミなのだとしたら……


「……ふっ!」


 両手で自分の顔を叩いて強制的に思考を変える。

 惑わされるな。コイツは私を『黛瑠璃子くん』と呼んだ。幾多の障害を乗り越え、自分の支配者として私を認めたエミはそんな呼び方をしない。


「なら次の質問。エミはどこ?」

「先ほど唐沢くんと隣の部屋に入っていったよ。会いたければ行くがいい」


 『斧寺霧人』が指示した先の壁にはもう一つの扉がある。言葉通りならエミはその先にいるってことなんだろう。


「アンタがそれを邪魔しないって保証は?」

「ないよ。保証したところで君は信用しないのだろう?」

「わかってるじゃない。だったらこの場でアンタを黙らせてから行くわ。挟み撃ちにでもされたらたまったもんじゃないし」


 コイツが誰であろうと、人間である以上はスタンガンは効くんだろう。エミを助け出すには相手の頭数を減らした方が確実だ。


 その時、さっきの扉が開いた。


「……エミ!」

「……」


 部屋の中から静かに歩いてきたのは病院で見せた感情を消した表情のエミだった。エミは私の呼びかけに対しても一瞬視線を動かしただけで大きな反応を見せない。わかってはいたことだけど、その反応を見ると現実を見せられている気分になる。


 たとえエミを助け出せたとしても、私の知るエミはもう戻ってこないかもしれないという現実を。


 だけどそんな現実は後はいくらでも見てやる。今ここにエミがいるなら、もうこんなところには用はない。


「エミ! ここから逃げ……」


「来ないで」


「!!」


 冷たく言い放ったエミの手には小さなナイフが握られていた。


「クロエおねえちゃんは、どこ?」

「エミ……なんで……」

「わたしはクロエおねえちゃんがどこにいるのか聞いてるの」

「その質問には答えられない。私はエミを……アンタを守るためにここにいる。アンタが何を言おうと、力づくでも連れ出すつもりで来たの。だから答えられない」

「……そう」


 私の言葉にも何も反応を示さず、エミは興味を失ったように顔を背けてしまった。


「ねえおじちゃん、あなたはわたしを助けてくれる?」


 そして代わりに、『斧寺霧人』に顔を向けた。


「おじちゃんって『斧寺霧人』って人なんだよね? クロエおねえちゃんと一緒にいた時とはなんかお顔ちがうけど、わたしを助けに来た人なんだよね?」

「ああそうだよ、柏恵美。私は君を『絶望』で救うため、ずっと君の傍にいたのだよ。そして今、ようやく君を救うための準備が整ったのだ」

「よくわかんないけど、おじちゃんは私を助けてくれるんだね!」

「その通りだ。喜びたまえ、私たちの悲願がようやく叶う」


 ふざけんな。たとえエミ本人がそれを『悲願』と認めたとしても私は認めない。今までずっとエミの傍にいたのなら、ここで私が何と言うかもわかっているはずだ。


「いきなり出てきて……勝手なこと言ってんじゃないわよ!」


 誰であろうとやることは変わらない。スタンガンで動きを封じて二度とエミに手を出せないように叩き潰す。それだけだ。


「ま、待て……! 黛!」


 苦しそうな声で名前を呼ばれたけど、その意味を理解した時にはもう遅かった。


「が、はっ!!」


 目で追えないほどの速さで私の腹には『斧寺霧人』の足がめり込み、身体が壁に叩きつけられていた。


「ふむ。なかなか動きはいいようだねこの身体は。これなら邪魔が入らずに済みそうだ」

「あ、ぐううううう……!!」


 喉が焼けるような熱さを感じた直後に、口から吐しゃ物がまき散らされていた。痛みと言うより違和感がお腹全体に広がり、

四つん這いの状態のまま立ち上がることができない。

 柳端や朝飛アサヒさんもこの圧倒的な暴力の前に屈したのだと理解した。確かにこんなヤツが相手じゃ、朝飛さんの『夜』も通用しない。


「ま、待ちな、さいよ……!」


 そうだとしても、私に諦めるなんて選択肢はない。エミの支配者としての思いを、全力で足にこめる。

 震えてんじゃない。這いつくばってんじゃない。私には立ち上がることしか許されない。


 エミの思いを踏みにじっておいて、私が身体を張らないなんて許されない。


「ほう、それが柏恵美を今まで守ってきた者としての矜持というやつかね? なかなかに興味深いものだね」

「行かせない……! 殺させない……! アンタがそのつもりなら、私は絶対に逃がさない!」

「殺させない、か。君は私を殺人者か何かと勘違いしているようだが、私はただ『絶望』によって彼女を救いたいだけなのだよ。君は彼女の命を救いたくて、私は彼女の心を救いたい。その点では私と君は似通っているだろう?」

「ふざけないで……! 私とアンタが似てるはずがない!」


 私はエミを救いたいんじゃない。むしろ彼女の意志をことごとく無視してきた身勝手な女だ。エミにとって正義なのは『斧寺霧人』の方で、悪なのは私なんだろう。


 それをわかった上で、尚も私はエミを守る。それができるから、エミは私を支配者として認めたんだ。


「アンタの思想も思いも知ったこっちゃない。エミを殺すつもりなら……先に私を殺してでも止めてみなさいよ」

「言うじゃないか。ならば君はここまでだ」


 『斧寺霧人』はこちらに向かってくる。現状、私の足はまだ震えていて、蹴られた腹も焼けるように痛い。攻撃をかわすのは無理だろう。

 だけどまだだ、まだ終わってない。コイツは何か武器を持ってるわけじゃない。私にトドメを刺すためには必ず近づく必要がある。いくらアイツの動きが速かったとしても腕でも足でも何でも掴んで、スタンガンを喰らわす。そうすれば止められる。


「おじちゃん、なんでそっちのお姉ちゃんのところに行くの? 私のことを助けてくれるんじゃないの?」

「少し待っていたまえ、柏恵美。君の考える『絶望』は誰かに殺されることなのだろう? 彼女にそれを与えた後、存分に君を『絶望』に突き落としてあげようではないか」

「うーん? うん。わかったよ」


 エミは意味を理解できないように首を傾げているけど、私としても今の発言には少しの違和感を抱いた。だけどその正体を探っている暇はない。

 首でも腕でも何でもいい。肌の露出しているところに必ずスタンガンを喰らわす。そうしないと私もエミも終わりだ。


「……なるほどねえ、時間をかけてみたけど、やっぱり無理だったか」


 その時、さっきまでエミがいた部屋から大柄の男が現れた。最悪だ、この状況でコイツまで来るなんて。


「唐沢……!」

「……」


 唐沢はなぜか悲しそうな顔で『斧寺霧人』を見ている。一方で『斧寺霧人』は嬉しそうに声をかけた。


「おや、どうしたのだね唐沢くん? 君は柏恵美を救うための準備を行うのではなかったのかね?」

「そうするつもりでしたけどね、やっと踏ん切りがついたのでここに来たんですよ」

「踏ん切り? 何の話だね?」


 『斧寺霧人』の質問に対し、唐沢は冷たく言い放った。


「やっぱり、私のことを『アキヒト』とは呼んでくれないんだね。やぐらくん」

「何を……っ!?」


 何かくぐもった声が聞こえたと思うと、『斧寺霧人』は数歩下がった後にお腹を押さえながら床に蹲る。


「ぐ、ううっ!? こ、れは……!!」


 何が起こっているのかわからない。いや違う。目の前で起こっている事態が何なのかはわかるけど、なぜそれが起こっているのかわからない。


 なぜ、唐沢清一郎が『斧寺霧人』の腹を刺したのかがわからない。


「ああ、これでようやく、ようやく私と霧人先生は救われる」


 私の混乱をよそに、『斧寺霧人』を刺した唐沢は満足そうに天を仰いで呟いた。


「霧人先生はやはり、もうこの世界にはいないんだ」

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート