柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第七話 脅迫

公開日時: 2021年1月6日(水) 18:08
文字数:6,114


『他人のものまねをするという行為における心理は、次のようなものが考えられます。その人物への好意、もしくは興味。そこまで強いものでなくとも、例えばその相手が気になるという程度のものでも、その人物に少しでも近づきたいという心理が生じる傾向が人間にはあり……』


 翌日、私は通っている大学で受けた心理学の講義を思い出していた。一応は目指す将来が将来なのでこういった講義は熱心に受けていたのである。あの時の教室の中には堂々と寝ている学生もいるが、大学にもなれば自分の行動の責任は自分で取らないとならない。これであの学生が単位を落とすことになろうとも、それは彼の責任で、彼の行動の結果だ。

 しかしその講義を思い返してみると、私の考えは『レプリカ』の真意はなんなのかというものに行き着いていた。


 「ものまね」をする心理。


 「ものまね」という単語で連想したのは、言うまでもなく『レプリカ』のことだ。黛瑠璃子と名乗って、私たちに何らかの危害を加えようとする者。そして私たちの新たなる敵だ。

 彼女はなぜ、黛センパイの「ものまね」をするのだろうか。講義の中では、『その人物への好意や興味がものまねをすることに繋がる』と言っていた。しかし私の印象では、『レプリカ』が黛センパイに抱いている感情はどちらかというと敵意に近いものに感じられた。

 しかし、ただ敵意を持っているだけなら黛センパイのふりをする必要は無い。ただ単に私たちを攻撃すればいいだけの話だ。しかし『レプリカ』はわざわざ私に接触して、自身の存在をアピールしてきた。柏ちゃんの言うとおり、私たちを攻撃するのが目的であれば悪手と言う他無い。

 考えてみても『レプリカ』の目的はわからない。まずは手がかりを集めるのが先だろう。今は試験も終わって講義の心配をする必要はない。いや、この期に及んで講義の心配などしている場合じゃない。


 確かに私は黛センパイほどの覚悟はないかもしれない。それでも柏ちゃんを守りたいとは思っているのだから。


 携帯電話を確認すると、黛センパイからメールが来ていた。


『萱愛に話を聞きに、M高に行く。来れるのであれば連絡を頂戴』


 メールに書かれていたのは懐かしい名前と、私たちの母校である高校だった。おそらくセンパイは、自分たちのことを知っているということは『レプリカ』は母校であるM高校の関係者ではないのかと予想したのだろう。


『私も行きます。M高の近くに到着したらまた連絡します』


 そう返信すると、私はすぐに駅に向かった。



「……それで? 私たちに何か敵意を持っていそうな生徒はいないってわけ?」


 黛センパイから連絡を受けた一時間後。私はM高校近くのコンビニの前で、黛センパイ、そして柏ちゃんと合流した。しかし私が合流したときには、すでにセンパイはM高の制服を着た一人の男子生徒に詰め寄っている所だった。


「す、すみません黛さん。しかし、いきなり柏先輩や黛さんに敵意を持っている人間に心当たりがないかと言われても……」

「……そうね、ごめんなさい。私も少し焦っていたわ」

「気を悪くしないでくれたまえ、萱愛くん。ルリも少し焦っているのだよ」


 柏ちゃんに宥められる形で男子生徒から離れてため息をつく黛センパイを見て、彼も私もつられてため息を吐く。まあ、私のため息は安堵の意味合いだが。


「久しぶり、萱愛かやまな

「樫添先輩も一緒でしたか。お久しぶりです」


 私に向かって礼儀正しく頭を下げるこの男の名前は、萱愛かやまな 小霧こきり。現在はM高校の二年生で、私たちの後輩に当たる。彼もまた、柏ちゃんに関わってその影響を大きく受けた一人だ。私たちが卒業してからも柏ちゃんのことが気にかかるのか、定期的に連絡を取り合ってくれる。


「あのセンパイ、萱愛に何を聞いていたんですか?」

「ああ、『レプリカ』は私たちのことを知っていたんでしょ? だからM高の関係者なのかと思ってね」

「黛さん、その、『レプリカ』というのは?」

「そうね、あんたにも説明しておく必要があるか」


 そしてセンパイと私は萱愛に『レプリカ』の存在と一部始終を話した。


「黛さんを騙る謎の人物、ですか……」

「そうなの。現れた時に写真でも撮れれば良かったんだけど、その時はそんなこと思いつかなくてね」

「いいのよ樫添さん。でも、やっぱりもっと情報が欲しいわね……萱愛、M高で私たちを知っていそうな人間に心当たりはない?」

「それは……逆に知らない人間を探す方が難しいと思いますよ?」

「え?」

「柏先輩が在校していた時に色々な事件が起こりましたからね。その中心にいた柏先輩は自然とあの学校では伝説になってるんですよ。そしてその柏先輩の横にいた黛さんも同様に」

「そ、そうなの?」


 知らず知らずのうちに有名人になっていた事実を知り、黛センパイが珍しく顔をひきつらせて動揺する。かくいう私もそんなことは知らなかった。しかし、あれだけ様々な事件を引き起こしていれば、有名になるのも無理はない。


「くふふ、知らず知らずにこの私も有名人か。その中に私を獲物として迎え入れる人間がいることを願うばかりだよ」


 柏ちゃんは顎に手を当てながら相変わらずの反応を見せるので無視する。


「そうなると……M高の生徒で『レプリカ』を絞り込むのは難しそうね……そうだ樫添さん、もう一度『レプリカ』の特徴を聞きたいんだけど」

「わかりました」


 私はあの時の記憶を出来る限り掘り起こし、主に身体的特徴をメモに書き留める。


「えーとですね。まずは格好は黛センパイに似せていましたけど、顔立ちからして年齢は私と同じか少し下くらいかもしれませんね」

「そうなると、ますますM高の生徒が怪しいわね。それで?」

「そうですね……背丈は私より高かったですね。それこそセンパイと同じくらいです。あ、あとですね」


 そうだ、一番大事なことを忘れていた。


「それと長い黒髪の下に少し茶髪が見えました!」

「黒髪の下に、茶髪?」

「ふむ、ルリになりすますためにウイッグも用意したと考えるべきだろうね。全く、用意周到なことだ」


 今度は柏ちゃんがため息を吐く。これは安堵から来るものではないのだろう。


「うーん、私に似たファッションをして、黒いウィッグの下に茶髪がある女か。これだけじゃ到底探せないわね。萱愛、M高に茶髪の生徒なんていた?」

「そういえば……茶髪とまではいかなくとも、少し髪色が明るい生徒はいたような……」


 その時だった。


「あれ、電話が来てる?」


 私の鞄の中で、携帯電話が震えていた。取り出してディスプレイを見てみると……


「え、公衆電話から?」


 ディスプレイには、発信者は公衆電話と表示されていた。不審には思ったが、とりあえず電話に出てみる。


「もしもし?」


『ハロー、樫添さん。『黛瑠璃子』だよ』


「…………!!」


 電話口から聞こえる声に、戦慄した。その人をバカにしたような声、黛センパイとはかけ離れた口調。


 間違いない、私たちが探している張本人、『レプリカ』だ。


「どうしたの、樫添さん?」


 私の只ならぬ様子を察した黛センパイが声をかけてくる。


「センパイ」

「ん?」

「『レプリカ』です」

「……! 電話をスピーカーホンにして!」


 黛センパイに言われて、スピーカーホンにしてこの場にいる全員に相手の声が聞こえるようにする。その直後、『レプリカ』の声がこの場に響いた。


『あれ? 聞こえないのかな樫添さん? 折角『センパイ』が電話をかけてきたのにさ、無視はひどいなあ』


 その小馬鹿にするような物言いに、黛センパイがいち早く反応した。


「なるほどね。あんたが私の物まねをする、身の程知らずの『レプリカ』さんってわけ?」

『あれ、もしかしてそういうアンタは、『ホンモノ』さん? ははは、ようやくお話ができるってわけだ』


 『レプリカ』は電話の向こうで嬉しそうに笑う。だがその喜悦と反比例するように、黛センパイの顔は険しくなった。


「一度だけ聞くわ。アンタの目的は何?」

『あれ、樫添さんから聞いてないの? 仕方ないなあ、もう一度言ってあげるよ。私の目的はアンタになることだよ』

「漠然としすぎてわからないわね。私になるっていうのは、私そのものになるってこと? そんなの出来るわけないじゃない」

『これも言ったはずなんだけどね。私はアンタを私と同じ境遇にしたい、ただそれだけ。その目的にはご立派な理由も、アンタへの憎しみもない。只の八つ当たり』

「なにそれ? 只の八つ当たりで私たちに危害を加えようってわけ?」

『そうさ』


 きっぱりと言いきった『レプリカ』の物言いを聞いた黛センパイの顔に怒りが滲んでくる。しかしここは冷静にならないといけない。


「とりあえず、私たちはアンタのことを『レプリカ』と呼ばせてもらってるの」

『そうかい? まあ、何とでも呼ぶといいさ』


 黛センパイに代わって私が『レプリカ』と会話を始める。まずはこいつを揺さぶって情報を引き出そう。


「それで、アンタが私たちに八つ当たりをする理由はだいたい予想がついてるの」

『へえ?』

「アンタは過去に大切な人を失った。だから今、現在進行形で柏ちゃんという大切な人を守り続けている黛センパイに嫉妬して、柏ちゃんに危害を加えようとしている。違う?」

『…………』


 『レプリカ』が一旦沈黙する。こちらの質問に素直に答える可能性は低いが、核心を突かれれば多少は動揺するはずだ。ということは、『レプリカ』はやはり大切な人を失う苦しみを黛センパイに与えようとしているのだろうか。


『……くく』

「え?」

『ははははっ! 確かにねえ、普通はそう考えるだろうさ! いややっぱり樫添さんに事前に接触してよかった!』

「な、なにがおかしいの!?」

『教えてあげるよ。確かに私には大切な人がいる。だけどね……』


 そして、少しの溜を作った後に言った。


『別に私は大切な人を失ってなんていないのさ。彼女は今も生きている』

「え……?」

『当てがはずれたね、樫添さん。残念だけど、これだけヒントを与えてもアンタには私の目的の本質がわからないわけだ』


 尚もこちらをバカにするような口調に、思わず拳を握りしめてしまう。だがその拳が、誰かの手に包み込まれた。


「落ち着きたまえ」

「か、柏ちゃん?」

「『レプリカ』は私たちの動揺を誘っている。真意はわからないが、『レプリカ』はなんとしても私たちを出し抜きたいのだ。ここで乗せられてはいけない」

「うん……わかってる」


 柏ちゃんの忠告で握りしめていた拳をほどく。そしてここで柏ちゃんも動き出した。


「では、今度は私の番といこうではないか、『レプリカ』」

「その口調……これはこれは。あの柏恵美さんと電話越しとはいえ会話できるとは」


 電話の向こうで嬉しそうにくすくすと笑う声が聞こえる。口振りからして、やはり柏ちゃんの存在は有名らしい。


「さて、私のルリを騙る愚か者よ。一つ質問をさせてもらおうか?」

『はいはい、どうぞ』

「君は『黛瑠璃子』をどこまで知っている?」

『……質問の意味がよくわからないよ』

「直截的な表現でないとわからないかね?」


 柏ちゃんが両手を広げ、電話を見据える。


「君は黛瑠璃子が、この私、柏恵美を未来永劫支配するたった一人の存在だと知っているのか? そう言っているのだよ」


 その台詞を発した柏ちゃんの顔は、いつもの不敵な薄笑いを浮かべてはいない。いつになく真剣で、そして、僅かな怒りを含んでいた。

 

『噂には聞いていたけど、アンタらは本当にそういう関係なんだね……質問の答えはね、そのことは十分に知っているさ』

「ほう? ならばそれを知った上で、本物のルリを押しのけてこの私を支配しようなどという無謀な挑戦をすると言うのかね?」

『少し違うね。私はアンタを支配することには興味なんてないさ。ただ私は黛瑠璃子を私の地獄に落としたい。そのためにはアンタらの関係を引き裂く必要があるのさ』

「ふむ、引き裂く、か……」

『……』


 柏ちゃんがその言葉を復唱した瞬間、僅かに電話の向こうで舌打ちするような音が聞こえた。そうだ、柏ちゃんたちの関係を引き裂くというのは新たな情報だ。これは収穫かもしれない。


『さてと、そろそろこっちの用件を伝えようかな』


 『レプリカ』は自分の失言を悟ったのか、話題を変えてきた。しかしこちらとしても相手の出方を見る必要がある。ここは会話の流れを断ち切るべきではないだろう。


『まず、私の要求を言うよ。黛瑠璃子には柏サンを見捨ててもらおうかな』

「……見捨てる? 私がエミを?」


 黛センパイはまるで到底信じるに値しない荒唐無稽な噂話を聞かされたかのようにキョトンとした顔をした。そう、この人にとって『柏恵美を見捨てる』という選択は、それほどまでにあり得ないことなのだ。


「アンタ、もしかして頭がどうかしているの? 私がエミを見捨てる理由がないじゃない?」

『確かに、そのままならね。だけどもし、見捨てないとアンタの身が危険に晒されるとしたらどうする?』

「面白いじゃない。その時はアンタを二度とそんな舐めたことを言えない状態にしてやるわよ」

『はは、その余裕がいつまで持つかな?』


 『レプリカ』がそう言った直後、今度は電話が短く震えた。これは……メール? 電話を操作してメールの画面を確認すると、確かにメールが一通来ていた。発信者はフリーメールのアドレスだ。


『そのメールに添付されている画像を見てみなよ』


 メールを開いて画像を表示する。そこには……


「これは……!」


 そこに写っていたのは、白い外壁の一軒家とその前にある門。


 表札に、『黛』と刻まれている門が写っていた。


『私は既にアンタのことを調べ上げている。対してアンタは私の情報をなにも得られてはいない。これが何を意味するかわかるかな?』


 言うまでもない。状況は圧倒的に不利だ。既に黛センパイの自宅まで突き止められている。その気になれば『レプリカ』は四六時中センパイを狙うことが出来る。

 流石のセンパイもこれでは……そう思っていた。


「……それで?」


 だがセンパイは、この状況でもまるで動じていなかった。


「これがどうしたっていうの? 確かにアンタは私を調べ上げているかもしれない。でもそんなの関係ない。私がエミと離れる理由にはならない」

『……自分の身が危険に晒されるのに?』

「そんなの、エミを守ると決めた時から承知のことよ」


 そうだった。

 黛瑠璃子とはそういう人なのだ。一度決めたら、それを貫き通す強さを持っている。決して途中で投げ出さない執念深さを持っている。

 

 でも、私は?


 私にはここまで柏ちゃんを守る覚悟があるの? いや、そんな覚悟がない私がこの人たちの友達だと胸を張って言えるの?


『なるほどね、私はアンタを強敵だと認めるさ。だけど私だってそんなことは関係ない。必ずアンタを私の地獄に引きずり込んでやる』

「やれるものなら、やってみなさい。地獄に堕ちるのはアンタだけで十分よ」


 そして戦いの始まりを告げるかのように、電話は切られた。


「聞いた通りよ、エミ。私はこれから『レプリカ』と戦う。だからしばらくは一緒にはいられないかもしれない」

「ふふ、私の身の安全を守るため、だろう? 承知したよ、しばらくは大人しく君以外の人間に守られていよう」


 柏ちゃんと黛センパイがそれぞれ決意をする横で、私の心にはどんよりした暗雲のようなものが広がっていた。

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