翌日。
「お疲れさまです」
私はアルバイト先のコンビニで、同僚に挨拶をしていた。このコンビニは駅前からすこし離れた位置にある上に、裏通りに面しているのでそこまで来店する客は多くはない。にも関わらずこの店の売り上げが安定しているのは、近所の足が悪く遠くに出かけられないお年寄りなどが、毎日のように品物を買っていくパターンが多いためである。
私は試験期間が終わったために、朝から昼間にかけてのシフトに入っていた。今後のためにも時間があるときにお金を稼いでおきたいのだ。
だけど私は少し悩んでいた。それはやはり、柏ちゃんと黛センパイのことについてだ。
私はどうして、あの二人にここまで入れ込んでいるのだろう。確かに二人とも大切な友人ではある。柏ちゃんは結果的に私を救ってはくれたし、黛センパイは共に柏ちゃんを守り抜いた仲間だ。今更あの二人との関係を疑いたくはなかったが、それでも私は少し引っかかることがあった。
それは、私は黛センパイほど柏ちゃんに執着していないということだ。
確かに柏ちゃんは大切な友達だ。だけど黛センパイの柏ちゃんに対する感情は、もはや友情という言葉の範疇を超えているように思えてならない。だからどうしても、私は黛センパイほどには柏ちゃんを守ろうとは思えない。いざとなったら、自分の身の安全の方を心配してしまうと思う。
そんな自分に、少し負い目を感じているのは、確かだった。
「おはようございます。樫添さん」
更衣室で制服に着替えていると、同じシフトに入っている年下の女性店員に挨拶された。背丈は私と同じくらいで、ヘアゴムで束ねられた長い髪と、ぱっちりした大きな目が特徴の女の子だ。
だけどその子の外見にはもう一つ大きな特徴があった。それは……
「おはよう、後小橋川さん」
私は思わず、後小橋川さんの顔を見ずに挨拶をしてしまった。なぜならどうしても、彼女の顔に貼られた大きな『ガーゼ』が気になってしまうからだ。
彼女――後小橋川薫子がこの店にバイトで入ってきたのは、私が入った少し後のことだった。彼女は少し前に通っていた高校を中退し、今はフリーターをしているらしい。
正直言えば、初対面で彼女の顔を見て驚いてしまったのは隠しきれなかったと思う。それほどまでに、彼女の左頬に貼られた大きなガーゼが特徴的だったからだ。
さすがにそのガーゼが貼られている理由は聞けなかった。だけどおそらく、傷か何かを隠しているのだろうという推測は出来た。私だって女だ。顔に大きな傷が出来たら、少し目立つ方法でも隠したいと思う心は理解できる。
だけど流石に顔を見ずに挨拶してしまったのは失礼だと思い直し、改めて彼女の顔を見て話しかけた。
「今日は朝からなの?」
「はい、特にやることもないし、時間があるので。どうせ何をしてても同じですし」
「そ、そうなの……」
『どうせ何をしてても同じ』。彼女のその言葉が私にはひどく異様なものに聞こえた。普通の人間ならば、私のように『時間があるからお金を稼いでおきたい』と考えるものだと思う。
だが彼女は違う。彼女にとってはこのアルバイトもその他のイベントも、等しく価値の無いものなのだ。私はそのことをこの数週間で感じ取った。
彼女がこのコンビニに入ったとき、当然店長が面接を行ったのだが、『なぜここで働きたいのか』という質問に、彼女はこう答えたそうだ。
『死ぬまでにはまだ時間があるからです』
その異様な返答に店長も彼女を雇うのを躊躇ったそうだが、人手不足だったこともあり、彼女を採用したという。
私も彼女と一緒に働くことが何回かあったので、後小橋川さんの異様さを何回か見たことがある。彼女の仕事ぶり自体は全く問題は無かったが、あまりに愛想がないのだ。一度、その愛想のなさをお客さんに注意されたことがあったが、その時には彼女はこう答えた。
『私が気にくわないのであれば、殺せばいいじゃないですか』
結局、その時は彼女の返答に戸惑ったお客さんが付き合ってられないとばかりに店を出ていったことで事態は収まったが、私はその発言が『殺されたがり』の誰かさんに似ているように思えた。
「樫添さん、商品の補充終わりました」
「ありがとう。レジの備品の補充は?」
「そっちも終わってます」
「わかった。それじゃ、しばらくレジ見ててくれる?」
「はい」
勤務が始まってから、数時間。今日の仕事も特に何事も無く過ぎようとしていた時だった。
「樫添さん、少しいいですか?」
「ん、どうしたの?」
彼女から話しかけられることは滅多に無かったので少し驚いたが、上手くその動揺を隠しながら返事が出来たとは思う。
「樫添さんって、死んだら救われるって考えたことはありますか?」
「は?」
何? いきなり何を言ってるのこの娘?
しかしここで無視をしたり怒ったりするのもまずい。相手が真剣に相談をしている可能性もある。とりあえずは無難な返事をしておこう。
「質問の意味がよくわからないけど、私はその人次第かなって思うの」
「どういうことですか?」
「死ぬことが本当にその人にとっての安らぎだったら、死んだら救われるという状況はあるかもしれない。そういうこと」
「……」
うん、我ながら真剣に答えられたとは思う。
「……ふふ」
だけど予想に反して、私の答えを聞いた相手は小さく笑っていた。
「な、何がおかしいの?」
「すみません。今までにない返答だったもので……」
『今までにない』って、この娘今の質問を私以外にもしてたの?
「この質問をした相手は、大体『死ぬなんて論外だ』とか、『死んだらそこで終わり』って返してきました。だけど樫添さんが皆と違う返答をしたのが意外だったんです」
「そうなの……?」
「もしかしたら、樫添さんは私と考え方が近いのかもしれませんね」
後小橋川さんと考え方が近い? 私が? 実感は無かったが、もしかしたらそうなのかもしれない。
なにせ私の近くにはあの柏恵美がいて、私もその影響を知らず知らずのうちに受けているのかもしれないのだから。
「お疲れさまでしたー」
アルバイトが終わって挨拶をした後、私はバイト先と自宅の途中にある喫茶店に寄ることにした。以前、黛センパイと一緒に行こうとして挫折した店と同じチェーン店だ。しかし、あそこよりは少し初心者も入りやすい雰囲気ではある。
店内は結構混んでいたが、二人用のテーブルが一つ空いていたのでそこに鞄を置き、ドリンクを注文する。
「さて、旅行の計画を立てないとね」
この間の打ち上げの時に黛センパイと私はそれぞれ旅行の計画を立てて、二人の計画のうち、より柏ちゃんに危険が及ばない方を提案するというを決定していた。もちろん柏ちゃんに計画を立てる権利はない。
昨日のうちに駅などで見つけたパンフレットを見ながら、行き先を絞っていく。その時だった。
「あのさ、相席しても大丈夫かな?」
声に反応して顔を上げると、そこには髪の長い女性が立っていた。顔立ちからして私とそう変わらない年代なのはわかる。
しかし何というか、女性の少し色黒の肌と活発そうな雰囲気と比べて、その長い黒髪や暖色系で露出の少ないファッションが妙に似合わないものに感じられた。なんだろう、この不自然さは。
「……聞こえなかったかな? 相席大丈夫?」
「あ、すみません。大丈夫です」
女性の不自然さに気を取られて返答が遅れたのを詫びる。パンフレットをテーブルからどかし、席に座れる状態にした。
「どうぞ」
「ありがとう」
女性は席に座り、持っていたカップをテーブルに置く。その落ち着いた仕草はどうもぎこちなく、やはり似合っていない。
しかし彼女が何であろうと、私には関係ない。そう思っていた。
「さて、初めましてかな、樫添保奈美さん」
彼女が、いきなりそんなことを言うまでは。
「……誰ですか、あなた?」
少なくとも、私の知り合いにこんな女性はいない。しかし向こうは私の名前を呼んだ。そうなると、可能性は一つだ。
この女は、私をまた非日常に引きずり込む存在だ。
その証拠に、彼女は自分をこう称した。
「『黛瑠璃子』の未来の姿……そう言っておこうかな」
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