「そんなことが、あったの……」
『レプリカ』からの電話が切れた後、私たちは後小橋川さんから『レプリカ』の正体と、その過去に何があったのかを聞いた。
『レプリカ』――飛天阿佐美は後小橋川さんの親友だったこと。しかし柏ちゃんを巡る一件から仲違いしてしまったこと。そしてその後、菊江くんによって後小橋川さんが顔に傷を負わされてしまったこと。
そして今回の事件は、自分を守れなかったことに罪悪感を抱いた飛天阿佐美が、私たちへの八つ当たりで起こしたのではないかということ。
「私は顔に傷を負った後、一度も学校に行くことなく退学しました。だからアサミとは仲違いしたまま会っていません。でもまさか、ここまで思い詰めていたなんて……」
後小橋川さんは顔を俯けてポツリと呟く。確かに自分のせいで友達が凶行を犯したとなれば、ショックを受けるのも無理はないだろう。
だけど私は、飛天阿佐美に対しては今までとは違う怒りを感じていた。
飛天は大切な存在である友達を守れなかった。それを悔やむ気持ちも、友達を守れなかった自分を許せない気持ちもよくわかる。
しかし、だからこそ私は飛天に対して怒っていた。彼女はあまりにも昔の私に似すぎている。友達を守れなかった怒りを、本来何の関係も無い柏ちゃんにぶつける所までそっくりだ。だから許せない。
そんなことをしても、何の解決にもならない。むしろ大切な友達の存在を利用して自分の怒りを身勝手に発散しようとする愚かな行為以外の何物でもない。
だから……
「後小橋川さん」
「はい?」
「今回の件、私が絶対に決着をつけるの」
「樫添くん?」
柏ちゃんが不思議そうに私を見る。質問が飛んでくる前に、私は答えた。
「私は飛天阿佐美の行動が許せない。黛センパイを浚ったことだけじゃない。大切な友達をダシに使ったことが許せない」
「ふむ、確かに同感だ。『レプリカ』は樫添くんやルリを侮辱した。ルリを取り戻すこともそうだが、このままヤツを放っておくわけにはいかないのだよ」
私たちは決意をした。黛センパイを連れ戻すだけじゃない。絶対に飛天阿佐美の目を覚まさせる。例えどちらかが傷を負う結末になったとしても。
「しかしまさか、後小橋川くんが私に好意を抱いていたとはね。私も獲物としての魅力が磨かれてきたということかな?」
「あ、その、獲物っていうか、その……」
「柏ちゃん……アンタはもっと一般的な感性を持った方がいいの……」
柏ちゃんのいつもの調子に呆れていたその時、再び電話が鳴った。
「……来た!」
すぐさま通話ボタンを押し、電話をスピーカーホンにする。そして予想通りの声が聞こえてきた。
『……聞こえているかい? 樫添保奈美』
「『レプリカ』……いや、飛天阿佐美。アンタの正体は掴んだよ」
『ふん、まさかアンタらがカオルコと繋がっていたとはね。どこまでも私を苛立たせるね!』
飛天の口調には今までの余裕は感じられず、明らかに怒りが含まれていた。やはり後小橋川さんの出現は向こうにとっても予想外の展開だったのだろう。
『さて、こちらの要求を言うよ。まずはアンタと柏、そしてカオルコの三人だけでこのマンションの505号室に来てもらおうか。もちろん、警察に連絡したり部外者を連れてきたりすれば、即座に黛を殺す』
「……わかった」
『マンションの玄関も、部屋のドアも開けておく。505号室に着いたらチャイムを鳴らした後に自分でドアを開けて入ってこい。十分以内にだ』
「……」
無言で柏ちゃんに目配せする。彼女は『ここは従うべきだろう』という意志を伝えるように頷いた。私もそれには同意だ。
「わかったの。でもこちらも言っておく。……センパイに手を出したら、ただじゃおかない」
『泣かせる友情だね。だけどアンタらのそれがまがい物だってことを必ず証明してみせるさ』
今までの挑発的な口調を取り戻したような飛天の言葉を最後に、電話は切られた。
「樫添くん、聞いての通りだ。ルリの安全を考えるならば、萱愛くんも警察も呼ぶべきではないだろう。私たちだけでこの件に決着をつけよう」
「うん。私も、この件からは逃げたくないの」
そう、私はアイツだけには負けるわけにはいかない。
自分の弱さから逃げ、他人にその責任を擦り付けて子供のように八つ当たりをするようなヤツには。
『昔の私』だけには、負けるわけにはいかない。
飛天の言った通り、オートロックの玄関は開けられていた。おそらく各部屋から開けられるような仕組みになっているのだろう。エントランスに入り、先ほど上った非常階段とは反対側にあるエレベーターを見る。
「柏ちゃん、エレベーターを使う?」
「いや、相手がエレベーターの前で待ち伏せをしている可能性も無くはないだろう。向こうは二人いる。一人がルリを見張り、もう一人が私たちに不意打ちを仕掛けることも可能だ。非常階段を使った方がいい」
柏ちゃんの指摘に頷く。しかしそんな私たちを、後小橋川さんは不思議そうに見つめていた。
「ど、どうしたの?」
「いや……二人とも、こんな非常事態なのにすごい冷静だなあって……普通、不意打ちの可能性なんて考えませんよ?」
「う……」
確かに、私も柏ちゃんを守るために数々の非常事態を経験してきた。それに柏ちゃんも日頃から自分が襲撃される妄想をしていると言っていた。だから相手がどのような攻撃をするかある程度予想が立てられてしまう。
しかしそれほどまでにこのような非常事態を経験してしまった自分が、いわゆる『普通』の考え方から離れ始めていることに危機感を抱かないと言えば嘘になる。私も、それに黛センパイも、望んでいるのは平和な日常なのだ。戦いの日々じゃない。しかし危機管理意識があることはまあ、マイナスにはならないだろう。
そうやって無理矢理自分を納得させた私は、先頭に立って非常階段に向かう。
「柏ちゃん、私が先頭で階段を上るの。だから後ろを警戒してくれる?」
「了解した。後小橋川くんは私と樫添くんの間にいてくれ」
「は、はい」
「それと樫添くん、これを持っていたまえ」
そう言って柏ちゃんが差し出してきたのは、お化粧につかうコンパクトだった。
「これは?」
「階段の曲がり角に出たら、このコンパクトで死角になっている場所を見るんだ。もしかしたら『レプリカ』がいきなり襲いかかってくる可能性もある」
「わかった。それじゃあ、行くよ!」
そして私たちは非常階段に向かい、襲撃に警戒しながら慎重に階段を上っていった。途中何度かでコンパクトを使い、誰かが待ち伏せしていないかを確認してみたが、結局そんなことはなく私たちは無事に五階に到着した。
「ここが、505号室ね……」
飛天が指定したのはこの部屋だ。おそらくセンパイも飛天も菊江くんもここにいる。
「樫添さん……その……」
私がチャイムを押そうとすると、後小橋川さんが申し訳なさそうに声をかけてきた。
「……わかってる。私だって飛天阿佐美が傷つくような結末にはしたくない」
「……」
「だけど私たちにも譲れないものがある。それだけはわかってほしいの」
「……はい」
既に状況は後戻り出来ないところまで来ている。誰もが救われる結末こそが最善だとは私もわかっている。
でも、世の中はそんな私たちに都合の良いようには出来ていないのだ。それはこれまで柏ちゃんと関わってきてよくわかった。
……改めて覚悟を決めて、私はチャイムを押した。
『……来たね。さっきも言ったけどカギは開いている。自分で開けて入ってきなよ』
カメラ付きのインターホンから飛天の指示が聞こえる。インターホンにカメラが付いているということは、室内からは私たちの姿が確認できるということだ。対して私たちは中の様子がどうなっているかわからない。
「柏ちゃんはインターホンのカメラを手で隠して。私がドアを開けて中を窺ってみる」
『心配せずとも、指示に従ってくれればアンタたちには危害を加えたりはしないさ』
「……」
飛天の言葉を無視して、柏ちゃんにインターホンのカメラを手で塞いでもらい、ドアノブに手をかける。そして身体がドアに隠れるようにしながらゆっくりと開けた。
「……」
ドアを開けても誰かが襲ってくる様子はない。死角から身体が出ないように、そっと中を窺ってみる。
「……来たね、樫添保奈美。見ての通り、私たちはここにいる。さっさと中に入ってきなよ」
玄関から続く廊下の奥には、リビングで椅子に座らされている黛センパイとその横に立つ菊江くん。そしてセンパイに刃物を向けている飛天阿佐美がいた。
「柏ちゃん、今まで通り私が先頭で行く。着いてきて」
「了解した」
柏ちゃんたちを伴って私は部屋の中に入る。律儀に靴を脱ぐなんて事はしない。
そして私は505号室のリビングで、再び飛天阿佐美と対峙した。
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