「おっとぉ、姐さぁん。男を追うのもいいけど、アタシとも踊ってくれないかい?」
朝飛嬢がどういう動きをするのかも気になったけど、アタシはこっちの楽しみを取ることにした。
朝飛嬢の姉貴、棗夕飛。晴天がずいぶんとご執心らしい女。アイツが恵美嬢に拘るのは『希望』に関係することだろうけど、夕飛に拘るのは純粋な恋愛感情だとか言っていた。
アタシとしちゃ、それが本当かどうかなんて興味ない。問題はこの女が……
「アタシに『絶頂期』をもたらしてくれるかい?」
夕飛はアタシに対して怒るでもなく呆れるでもなく、立ち止まっている。ま、特にケンカに慣れてるってわけでもなさそうなオバサンだ。自分からアタシを殴るってわけにもいかないんだろう。
「……全く、晴天もこんな子まで巻き込んで、本当に迷惑な男だよ」
「ヒャハッ、別に巻き込まれちゃいないさ。アタシは楽しそうだからここにいるだけさね」
「楽しそう、ね。だったら大人しくしてて頂戴。私は朝飛を連れ戻しに来ただけで、アンタを楽しませる気はないから」
「そうかい。だけどねえ、楽しいかどうかを判断するのは、アタシだよ!」
どちらにしろ、この女に朝飛嬢を取り戻されちゃ困るんだ。だったらアタシのやることは決まってる。
一気に間合いを詰めて、夕飛の左脚めがけて蹴りを放ってやる。コイツがどういう気持ちでいようと、これで動きを封じられるなら、アタシを楽しませてくれるような女じゃない。
「っ!!」
驚きの表情をしながらも、夕飛は咄嗟にその場に跳んで蹴りを避けた。どうやらこういう場の経験はあるみたいだ。
「本当に怖い子ね。見た目の割にはやってくることは堅実じゃないの」
「そういう姐さんも、場慣れしてるみたいだねえ。子育ての合間に鍛えてたりしたのかい!?」
どちらにしろ、こんな狭い室内じゃ、いつまでも避けていられるはずもない。コイツが朝飛嬢を止めるつもりなら、どうあってもアタシに攻撃してくるはずだ。
今度はもう片方の脚を狙って蹴りを放った。相手の体は壁際にある。避けられるスペースもない。
「くっ!」
その蹴りを、夕飛は脛で受けた。これくらいは防げるか。だったら……
「こういうのはどうだい!?」
傍にあった花瓶の中身を、夕飛の目にぶちまけてやる。目にまともに水が入ったことで、視界は完全に封じたはずだ。
「あうっ!」
「ヒャハハ! どうしたんだい姐さん! このままだとアンタもまゆ嬢も死んじまうよ!?」
「……」
これでおしまいなら、どっちにしろ『絶頂期』なんてもんは得られない。さっさと片づけて朝飛嬢の手伝いに行くか。
「それじゃ今は寝てなよ、姐さん!」
とどめの蹴りを頭めがけて放った時だった。
「あ?」
消えた。目の前にいたはずの棗夕飛が。ぶっ倒すつもりで放った蹴りが空を切っている。
避けられたのか? それを確認する間もなく……
「がっ!?」
アタシの体は床に倒されていた。
「……あーあ。あなたみたいな若くてかわいい子が、あんなクソみたいな男に手を貸しちゃダメよ。ま、バツイチの私が他人に言えるクチじゃないけど」
「ちっ、何を……ぐうっ!?」
「動かないで頂戴。私もさ、自分の子供くらいの子に乱暴したくないから」
起き上がろうとしても、左腕と右肩を踏みつけられて動けない。なんだいこりゃ、何されたんだ?
「あんなにモーションの大きい動きしたら、バランス崩しやすいわよ。最初の蹴りみたいに、もっとコンパクトにいかないと」
「アンタ……格闘技かなんかやってたのかい?」
「いや? 私はただ、その瞬間における最適な動きってのをしただけ。『体が勝手に動く』って言えばわかりやすいかもね」
「は?」
「昔からね、思考を切り離して体を勝手に動かすのが得意なのよ」
棗夕飛はそう言って、アタシの肩を踏んだまま体を屈める。
「確かに私はあなたより力も瞬発力もない。たぶん、このまま戦ってたらあなたが勝つ。だからね、なんとしてもここであなたを黙らせる必要があるのよ」
「黙らせる? なんだい、アンタも人を殺したいクチなのかい?」
「冗談言わないで。朝飛があんなに苦しんでるのに、そんなこと思うわけないでしょ」
「朝飛嬢が苦しんでる、ね。んで? だったらアタシをどうするんだい?」
「言ったでしょ。あなたを黙らせておきたいの」
すると、棗夕飛はポケットから結束バンドを取り出し、アタシの両手首を近くのテーブルの足に固定した。
「ま、こういうの用意しておいてよかったわ。とりあえずここでじっとしてなさいな」
「……こりゃあ、つまらないことになったね。アタシはこのままリタイヤかい」
「そういうこと。見たところあなたは今を楽しみたいタイプでしょ? だったら近くで行われてる楽しいことに参加できないのが一番おしおきになるじゃない」
「ヒャハハ、わかってるじゃないか。こりゃアンタの勝ちだね」
「心配しなくても、朝飛を連れ戻したら解放するわ。全部終わったら聞かせてあげる」
棗夕飛はアタシの髪を掴み、再度顔を寄せてきた。
「私の家族に手を出した空木晴天が、どんな末路を辿ったのかをね」
その顔は、相手を安心させる笑顔を浮かべる朝飛嬢とは対照的に、はっきりと怒りの感情を浮かべていた。
「夕飛さん…」
その時、リビングの入り口から苦しそうな声が聞こえてきた。棗夕飛の肩越しに前を見ると、幸四郎が腹を押さえてこちらに近寄ってきている。
「柳端くん! 大丈夫!?」
「俺は大丈夫です……ですが、黛がまだ……」
「わかった。柏さんたちは朝飛といるのね? 私が行くから、柳端くんはこの子見張ってて」
「わかりました……」
幸四郎と入れ替わりに棗夕飛は出て行った。全く、これからって時にアタシはここに磔かい。確かにこりゃ、効果バツグンのおしおきだね。
「……無様だな、生花」
「ヒャハハ、アンタがそう言うかい? 幸四郎」
「確かにな。結局俺は、また『狩る側の存在』に勝てなかった」
ため息をつきながら壁を背にして床に座る幸四郎は、小さく笑ってた。コイツもここでリタイヤか。
「どうだい? 今のアタシなら、何の抵抗もできないよ。今までの鬱憤を晴らす時じゃないのかい?」
「言っただろ。これ以上お前が俺の人生に関わってくるなと。俺はもうお前とは無関係だ」
「ああ、そういえば佳代嬢とよろしくやってんのかい? 別にここならバレやしないさ」
「綾小路は別に俺と付き合ってるわけじゃない。だが、俺がお前に乱暴することは望んでないだろうな」
「相変わらず言い訳の多いヤツだね。アンタ自身の望みはどうなんだい?」
「俺自身の望みか」
アタシの言葉を受けて、幸四郎はこちらに手を伸ばしてきた。
「なんだい。やっぱりアタシに仕返し……」
その手はアタシの頭に乗せてある眼鏡に伸びて、いつかのようにアタシに眼鏡をかけさせた。
「なんのつもりだい?」
「お前は『死体同盟』で俺と戦った時も、眼鏡をかけることを嫌がった。俺の姿を見ることを、世界をはっきり見ることを嫌がった。だが今なら、俺をはっきり見るしかないはずだ」
「……」
「よく見ろよ、沢渡生花。今のお前の眼前にある光景を」
確かに、眼鏡のおかげで遠視のアタシにも目の前にいる幸四郎の顔も姿もはっきりと見える。見えてしまっている。
中学の頃にコイツと付き合ってから、わかっていたことだった。幸四郎は先のことを考えている。先のことを考えて、必死に努力している。アタシと付き合ったのも、棗のボウヤが道を外れないようにするためだ。
その姿が、どうしても華さんと、必死に頑張ったのに報われなかった『母さん』とダブってしまう。
幸四郎もまた、報われているとは言えなかった。結局は棗のボウヤを止められなかったし、『死体同盟』の誘惑に屈したりもした。それでも幸四郎はまた立ち上がってアタシの前に立ちはだかってくる。報われてないのにも関わらず、まだ必死にあがいている。
だから見たくなかった。アンタの顔も、必死に頑張る姿も。アタシはそういうのが一番見たくない。
「どうだ? お前にはこれが一番効くんだろう? なら俺の仕返しはそれで十分だ」
「……つまらないね、幸四郎。アンタ本当につまらないよ」
「そうか。なら俺にとっては最高の誉め言葉だな。お前にとってつまらない男なら光栄だ」
「ちっ……」
どんなに見たくない光景でも、今のアタシはそれを見なきゃならない。
全く、恐ろしい女だよ、棗夕飛。アンタなら……
朝飛嬢も、空木晴天も、全部ぶっ飛ばせるかもしれないね。
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