二月も中旬とはいえまだ肌寒さは残る。
柏ちゃんたちと別れて家路につくことにした私は、駅に続く表通りを眺めながら歩いていた。
歩道を歩く私の横を、様々な人がすれ違う。部活帰りの高校生、取引先に向かうであろう会社員、自転車に乗って歩行者の間をすり抜ける主婦。
しかしその中でも私の気を引いたのは親しげに歩く若い女子二人だった。
「それでさー……」
「ねえ、あの映画面白いんだって。見に行かない?」
「今日さ、家でご飯食べてかない?」
「……」
一応地方都市とは言えるほど栄えてはいるこの町なら、駅周辺はかなりの人がごったかえす。その中の会話の一部分が聞こえてくるのはごく自然なことだ。
だけど私はその会話を聞いているうちに、先日感じた疑念を思い出してしまった。
私は本当に黛センパイや柏ちゃんの友達と言えるのだろうか。
黛センパイは間違いなく柏ちゃんの友達だ。本人の中でもその思いはもう揺るぎないだろうし、私から見てもそう思う。なぜならもうセンパイは柏ちゃんを守るための行動が迷い無く出来るからだ。柏ちゃんに危機が迫ればその危機をもたらす原因を排除するために動くだろうし、柏ちゃんとの平穏な生活を誰よりも願っているのは他でもない黛センパイだ。それはやはり揺るぎないだろう。
だけど私はどうだろうか。私はセンパイほど柏ちゃんを守るために行動できない。心のどこかで迷っている。その証拠に、先ほど私の横をすれ違った男女連れを見てこう思ったのだ。
『羨ましい』と。
私たち三人の中で、私だけどこか外れているような気がする。柏ちゃんと黛センパイという完璧な組み合わせの中に、私という異物が入り込んでいるという疑念を抱いている。
仮に。仮に先ほどの女子二人が柏ちゃんと黛センパイだとする。そうだとしても、あの二人は同じように親しげに歩いていただろう。仲むつまじい二人でいただろう。
しかしもし、私と黛センパイ、あるいは私と柏ちゃんだったとしたらどうだろう。
私とセンパイで歩いていたら、話題はおそらく柏ちゃんをどう守るかということになるだろうし、柏ちゃんと歩いていたら、話題は黛センパイがいかにすばらしい支配者ということになるだろう。
そう、どうあっても、あの二人の間に私がいるのは邪魔なのだ。
だから私はこうして不安になっている。いつか私とあの二人との友情が自然に消えてしまうのではないか。また私は友人を失ってしまうのではないか。
かつて私には無二の親友と呼べる存在がいた。だけど彼女はもういない。彼女を失ったときの喪失感をまた味わいたくはない。
しかしあの二人にいつまでも私という異物が引っ付いているわけにはいかないのではないか。私は私で相応しい友人を見つけなければいけないのではないか。そんな考えが私の頭を支配していた。
~♪
その時、私の携帯電話に着信が入った。ディスプレイを見て、発信者を確認すると……
「え? 菊江くん?」
そこには、菊江 教理と表示されていた。珍しい相手から連絡が来たと思いながらも電話に出る。
『樫添先輩っすか? お久しぶりです』
「うん、久しぶり」
『あのっすね、突然ですけど、ちょっと相談したいことがあるんすよ。今からちょっとお会いすることって出来ますか?』
「今から? いいけど、あなたどこにいるの?」
『今学校が終わったところなんで、学校の近くっす。樫添先輩は?』
「S市立大学の近く」
『じゃあ、俺がそっちに行きます。三十分ほどで着くと思うんで、どこかの店の中で待っててもらってもいいですか?』
「うん、わかった」
菊江くんらしい少しぶっきらぼうで勢いのある口調に懐かしさを感じつつ、電話を切った。
菊江くんは高校時代の私の後輩だ。彼が一年生の頃、同じ委員会だったこともあって何度か話して連絡先も交換したのだ。その時は坊主頭が特徴で、素直で行動力のある男の子だったことを記憶している。だけど私が卒業してからは殆ど連絡を取っていなかった。それなのに急に会いたいと言い出したということは、何かあったのだろうか。
とりあえず私は近くのファーストフード店に入り、彼を待つことにした。
三十分後。
菊江くんは近くに到着したとメールしてきたが、窓から見る限り彼らしき姿は見えない。道に迷っているのかと思いもう一度メールしようとした時だった。
「あ、樫添先輩! お疲れさまです!」
「え、菊江くん……?」
私の前に現れたのは、男子にしては長めに伸ばした髪をヘアワックスで整え、赤いコートを着ている、いかにも今時の高校生といった風貌の男子だった。
「どうしましたか、樫添先輩?」
「いや……随分髪が伸びたし雰囲気が変わったなと思ったの」
「ああ、これですか? いつまでも坊主頭ってのも格好悪いかなと思って伸ばしたんですよ」
「そうなんだ……」
「でも、中身は殆ど変わってないんで大丈夫っすよ!」
そう言いながら菊江くんは右手を突き上げる形で体の前に出し、拳を握る。確かにこれは彼が大事なことを言うときの癖だった。どうやら中身はあまり変わっていないようだ。
「あはは、確かに相変わらずなの」
懐かしさを感じて自然に笑いが出た。相手を元気にさせるのが彼の魅力の一つだ。そして菊江くんは注文をして、私の向かいの席に座った。
「……そうっすか。先輩も無事試験が終わったんすね」
「そうなの。菊江くんはこれから?」
「はい、勉強大変で……気分転換でもしようと思って樫添先輩に会いに来たんです」
「なにそれ、私は一種の清涼剤なの?」
「い、いえ、決して先輩を道具扱いしているわけじゃないっす!」
「あはは、わかっているの」
そういえば、同年代の男子とこうして二人で会話するのは久しぶりかもしれない。その新鮮さが私の心を躍らせていた。
「そういえば、先輩は今もあの二人と遊んでるんすか?」
「ああ、柏ちゃんたちのこと?」
「そうっす。ちょっとそれが気になってまして」
菊江くんは少し目を逸らして、考え込むように腕を組む。
「気になってる?」
「こんなこと言うと気分悪くするかもしれませんが、柏先輩ってちょっと変わっているというか……」
「まあ……そうなの」
ちょっとどころではなく変わっているのは私も大いに認めるところだ。
「それでその、柏先輩に合わせてて樫添先輩が疲れてないかってちょっと心配になったんすよ」
「そうだったの……」
確かに柏ちゃんと関わったことで、いくつもの事件に巻き込まれてきた。疲れていないと言えば嘘になるし、今も悩みを抱えている。
「心配してくれてありがとう。でも私は大丈夫なの」
だけど彼に余計な心配をかけるわけにはいかない。嘘をつくことに少し心は痛んだが、これも必要な嘘のはずだ。
「……先輩、無理はしないで欲しいっす」
「え?」
「先輩が大丈夫と言うのであれば俺もこれ以上は聞きませんが、先輩は高校に居たときも柏先輩を守るために随分苦労していたことを知ってます。友達を守りたい気持ちもわかりますが、先輩には自分の幸せも大事にして欲しいっす」
「それは……」
彼の言葉に、思わず目を逸らしてしまう。
私は望んで柏ちゃんを守っている。彼女を友達として守りたいからだ。しかし今、柏ちゃんの隣にいるのは黛センパイであり、私ではない。その事実が私を今まさに迷わせているのだ。
「先輩、もし何か辛いことがあったら、俺を頼ってください。大した力にはなれないかもですけど、出来る限りのことはしたいっす」
「菊江くん……」
何をやっているのだろう私は、こんな後輩の男の子にも心配をかけて。
「ありがとう。もしもの時は相談させてもらうの」
「いつでも大歓迎ですよ! 任せてください!」
そして彼は再び拳を体の前で握り込んだ。その姿に感じる頼もしさは、私よりも柏ちゃんを守る役目に相応しいのではと思わせるほどだった。
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