柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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最終話 それぞれの道

公開日時: 2024年12月19日(木) 18:52
文字数:3,012


 【8月1日 午後1時10分】


「そうですか……唐沢からさわ先生は警察に……」


 エミを助け出して二日後の昼間。商業施設のフードコートに萱愛かやまなかんぬきを呼び出した私たちは『スタジオ唐沢』との間に何が起こったのかを全て説明した。萱愛は俯いているけど、この分だとどうせまた『自分のせいで』と落ち込んでいるんだろう。

 別にそれはいい。というかコイツがエミのことを教えたのも今回の事件の一因であることは間違いない。怒りはしないけどわざわざ私が慰めてやる必要もない。


「ひひっ、しかし唐沢氏はかしわ先輩の中に斧寺おのでら霧人きりひとなる人物が潜んでいると考えて今回の事件を引き起こしながら、最終的にはその死を受け入れたことで自ら身を引いたということですが……説明をお聞きしてもその部分だけは理解が及びませんねえ……」

「理解も何も言葉通りの意味なのだよ。斧寺霧人は十四年前に死亡し、彼はそれを今になってようやく受け入れられたということだ」

「……まあいいでしょう、あなたの説明を全て理解する必要などありません。小霧こきりさんがこれ以上巻き込まれずに済むというのが確認できただけで十分でございます……」


 閂はそれ以上の会話には興味を示さず席を立った。


「さて、それでは行きましょうか小霧さん。柳端やなぎばた氏がお待ちですよ」

「は、はい、香奈芽かなめさん。それじゃまゆずみさん、ありがとうございました」


 頭を下げて立ち去る萱愛たちを見送った後、私は隣に座るエミと向かいに座る樫添さんに声をかけた。


「ねえ樫添かしぞえさん、アイツらいつの間にお互いを名前で呼ぶようになったんだっけ?」

「あー……そういえばなんか呼び方変わってましたね」


 それなりに衝撃を受けていた私に対して、樫添さんはあまり驚いていないようだった。


「まあアイツら付き合ってるんだしそんなもんじゃないですか? 黛センパイだって元カレに『瑠璃子るりこ』って呼ばれてたじゃないですか」

「そ、そういえばそうだったわね」

「それに私も彼氏からは『保奈美ほなみ』って呼ばれてますし」


 へえ、樫添さんも彼氏には名前で呼ばれて……


「……」


 ……ん?


「え、あれ、樫添さん?」

「なんですか?」


「アンタ彼氏いるの!?」


「え? ああ、はい。あれ、言ってませんでしたっけ?」

「い、いつの間に!? というか相手は誰なの!?」

「いや、普通に同じ大学の同期ですけど……付き合い始めたのは今年の春くらいからですね」

「そ、そう、なんだ……いや、そりゃ、そうなんだろうけど……」


 冷静になってみれば樫添さんだって女子大生なんだし彼氏くらいいるのは自然だろう。

 でもなんだろう。友達にいつの間にかそういう関係の人間がいることに対してなぜかものすごい驚きがある。今までなかった感覚というか……


「ふふふ、感謝するよ樫添くん。君のおかげで私は新たなルリの一面を見れたようだ」

「そりゃどうもなの。あ、そうだ柏ちゃん。一応確認したいんだけどさ」

「なんだね?」


「まだアンタの中には、『容赦なく殺されたい』って願いがあるの?」


 樫添さんの表情は真剣だった。その表情が何を意味するのかまではわからないけど、ウソや冗談を期待している顔じゃない。


「あるよ」


 質問に対し、エミも真剣な表情で答えた。


「私がどれほど他者からの影響を受けてようと、これからどれほど他者から影響を受けようと、その根幹は変わらない。いや、変えられないのだよ。私が変えられるとするなら、解釈の方だけだ」

「解釈?」


「私はルリにずっと殺されている」


 あまりにも物騒な言葉に樫添さんも眉をひそめた。


「……それはどういう意味なの?」

「私はルリによって少しずつ変えられている。私の奥底に潜んでいた『斧寺霧人』としての意志も、最終的には彼女に殺され、屈伏した。『狩る側の存在』によって全てを奪われて支配されたいという願いが、『黛瑠璃子という絶対的な支配者』によって全てを管理されて支配されたいという願いに変えられていき、ついには私は自分でルリに屈伏したいと願い始めた」

「……」


「既に私の心は、ルリを中心に動いている。そう言っているのだよ」


 その答えを聞いた樫添さんは表情を緩ませた。


「うん、それを聞けてよかったよ。この分なら黛センパイの負担は減りそうだし」

「私の答えはお気に召したかね?」

「そうだね。この先仮に私が遠くに離れることがあっても、柏ちゃんたちは心配ないって思えるくらいには」


 ああそうか、私は樫添さんに心配されてたんだ。この先自分がエミや私と離れることがあっても、私たちが平和に暮らせるのかと。自分の人生を生きることで、私たちを見捨てる形にならないかと。


 だからエミの答えを聞いて安心したんだ。この先も、友達として適正な距離感で関わっていけると。


「……あ、そうだ! さっき萱愛って柳端と会いにいくって言ってましたよね!?」

「え、うん。どうしたの?」

「私、柳端に用事あったんですよ! ちょっと電話してみます!」


 そう言って樫添さんはなぜか急いで柳端に連絡を取り始めた。



 【8月1日 午後2時15分】


「待たせたな樫添……ぐうっ!!」


 私たちの前に現れた柳端は、挨拶した直後に樫添さんに顔面を殴られていた。


「事前に言ってたよね? 『全部終わったら一発殴らせて』って」

「だとしてもいきなり殴るヤツがあるか!」

「アンタが痛がるタイミングじゃないと意味ないでしょ」

「……ちっ、忘れてた。お前もなかなかいい性格してたんだったな」


 顔をさする柳端の姿を見て、エミが静かに笑っている。


「くふふ、やはり君は振り回されている姿が似合うね。ルリもそう思うだろう?」

「うん、同感。なんかアンタ、『苦労人』って感じよね」

「お前ら……誰のせいだと思ってる?」

「さあ?」


 そう言いながらも、柳端の目には敵意がなかった。上手く言えないけど、刺々しさみたいなのが減った気がする。

 だから私たちもこんな冗談をコイツに言える。コイツは攻撃して来ないと、ある種の信頼のようなものを抱いている。


「……まあいい。今回の件で一時でも『スタジオ唐沢』に協力したのは事実だ。それは謝る」

「ならアンタの分はこれで帳消し。今度はこっちがお詫びしなきゃいけない番ね」

「なに?」

楢崎ならさきから逃げる時に囮になってくれたでしょ? そのお礼はさせてもらうわ」


 私の言葉になぜか柳端は目を丸くしていた。


「どうしたの?」

「お前が……俺に礼を?」

「な、なによ。悪い?」

「いや……珍しいこともあるもんだと思っただけだ」


 『珍しい』か。確かにそうかもしれない。

 思えば私は常に余裕が無かった。エミを守らないといけないという考えが強すぎた。だけど今のエミは私の隣にいてくれると約束してくれる。自ら望んで私の隣にいると言ってくれている。

 大丈夫だ、私たちはもう余裕を持って先に進める。


「だが今日はこの後ちょっと約束があってな。また連絡をくれるか?」

「あ、黛センパイ。実は私もさっき言った彼氏と約束あって……柳端殴ったらさっさと行こうと思ってたんです」

「お前、俺を殴ることをついでみたいに言うな」

「ふふ……」


 柳端と樫添さんのやり取りを見て再び笑ったエミは、私に向き直る。


「さて、私はこの後も空いているのだが、ルリが良ければ一緒に買い物でも行こうではないか」


 エミはまた笑ってくれている。もうあの時みたいに感情のないエミじゃない。

 私の隣に、自然に笑ってくれるエミがいる。


「ええ、行きましょう」


 そして私たちは三方に分かれて、それぞれの道に歩き出す。


 だけどエミだけは、私と同じ道を歩いてくれていた。



 柏恵美の理想的な殺され方 完

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