「樫添さん?」
「後小橋川さん……?」
私の前に現れたのは、よく見知った二人。だが一人は高校からの友達で、もう一人はバイト仲間である少女。
この二人の共通点は、私の知り合いであるという一点だけ。それなのになぜこの二人が私を介さずに出会っているの?
「樫添くん、そういえばルリはどうしたのだね?」
柏ちゃんの言葉で私は再び状況を思い出す。そうだ、私のせいで黛センパイが……
「柏ちゃん! 大変なの! わ、私のせいで……私のせいで!」
「……どうやら只ならぬ事態が起こったようだね。だがまずは落ち着きたまえ。君がそんな取り乱していては状況は改善しない」
柏ちゃんが私の肩に右手を置き、左手で私の頬に触れる。
「まずは、深呼吸だ。ゆっくり息を吸い、ゆっくり息を吐いてくれ」
言われた通りに頭の中の焦りを一旦無視して、ゆっくり息をすることだけに集中する。
「……すーっ、はーっ。すーっ、はー……」
深呼吸を何度か繰り返した所で、私の頭の中が幾分か整理された。右頬に触れる柏ちゃんの手の熱もきちんと認識できる。
そうだ、ここで焦って自分を責めても何も解決しない。まずは情報の共有が先だ。
「柏ちゃん、よく聞いて」
「……ああ」
「黛センパイが、『レプリカ』に浚われたかもしれないの」
「……!!」
私が告げた事実を聞き、柏ちゃんが珍しく目を見開く。しかしその直後に堅く目を閉じて、先ほど私がしたような深呼吸を一回だけ行い、表情を戻す。
「……そうか、しかしルリのことだ。『レプリカ』に黙って浚われたとは思えない。いや、そもそも彼女を浚うなど『レプリカ』一人に出来ることなのか?」
「実は、『レプリカ』には協力者がいたの。それはおそらく、私の後輩の菊江教理っていう男子。このマンションに住んでいるの」
「なるほど、確かに男手があればルリを浚えるだろうね」
「しかもセンパイはさっき足を捻ってまともに歩けない状態なの。巧く『レプリカ』に反撃できたとしても、逃げ出せるかどうか……」
「ふむ、中々にやっかいな状況だね。だがこちらも菊江という協力者の存在とその住所を特定できた。おそらくルリと『レプリカ』もその男の家か、少なくともこのマンションの中にいるのだろう。ならば話は早い。どうにかしてこの中に入り、ルリを連れ戻すまでだ」
しかしそう言いながらも、柏ちゃんは再び目を閉じて辛そうな表情になった。
「ど、どうしたの?」
「……ルリを連れ戻すと言ったが、おそらくそれの成否は樫添くん、君にかかっている」
「え? どういうこと?」
「私は『獲物』だ。戦いにおいては一方的に攻撃される存在。そんな私が戦いに参加しても、君の足を引っ張ってしまうかもしれない」
「い、いやいや、『獲物』っていうのは柏ちゃんが勝手に自称しているだけでしょ?」
「だが私は今まで、誰かを守るための戦いを経験したことがない」
「あ……!」
そうだ。確かに今まで私と黛センパイは柏ちゃんを守るために何度か戦いを経験してきた。だけど柏ちゃんは違う。『獲物』であり、黛センパイが守るべき存在である彼女は、守られることはあっても守ることをしていないのだ。
つまり、黛センパイがいない今、私が柏ちゃんを守り、尚且つセンパイを助け出さなければならない。
「……当然ながら、私もルリを助けに行く。だが私が『レプリカ』との戦いで適切な行動を取れるかどうかはわからない。それを頭の片隅に置いて欲しいのだよ」
「……わかった」
だけど、この私にそれが出来るの?
いざという時に、自分の身より柏ちゃんやセンパイの身を優先できるの? 私は――
「あの……さっきから何の話をしてるんですか?」
私たちの後ろで、後小橋川さんが恐る恐るといった様子で話しかけてきた。そういえば、彼女の存在を忘れていた。
「えっと、そもそも後小橋川さんはどうして柏ちゃんと一緒にいたの?」
「ん? ああ、先ほど彼女がホームセンターで興味深げに包丁を眺めていたので、同類かと思い声をかけたのだよ。まあ結果として違ったわけだが。そうだろう? 後小橋川くん」
「まあ……柏さんが樫添さんの友達とは思っていませんでしたが」
「……柏ちゃん。あなた、初対面の女の子にどんな話題振ったの?」
「なに、ただ『獲物』の悦びについて喫茶店で熱く語っただけだよ」
「……あんたねえ」
柏ちゃんの行動は確かに問題だったが、もう一つに気になることがあった。
「そういえば、萱愛は?」
「萱愛くんかね? ホームセンターでは行動を共にしていたが、彼がいると後小橋川くんとじっくり話が出来そうもなかったからね。上手く撒かせてもらった」
「萱愛……役に立たないわね……」
「ですが樫添さん、私としても柏さんの思想は興味深かったですよ。私とは違った形で『死ぬこと』を肯定的に受け止めている人がいるとは思いませんでした」
後小橋川さんは顔のガーゼに手を当てながら私を見る。その顔はどこか暗い印象を受ける笑顔を浮かべていた。
「あんまり柏ちゃんを甘やかしちゃだめなの。この子、何するかわからないんだから」
「くはは、樫添くんは相変わらず手厳しいね。ある意味ではルリ以上だ」
「ふふ、本当にいいお友達なんですね」
「……そうだね」
いいお友達。私はそうだと思いたい。
「そうだ、それより何かまずいことがあったんじゃないんですか?」
「そ、そうだったの……」
話が本題に戻ったが、どちらにしろ無関係の後小橋川さんをこの件に巻き込むわけにはいかない。何か適当な理由をつけて帰ってもらおう。
「あの、つい……」
だが、その時だった。
ピリリリリリ……
「!! 電話だ!」
「樫添くん、出てくれ!」
電話のディスプレイを見ると、非通知設定と出ていた。だがこのタイミングで私に電話をかけてくる人間は一人しかいない。
「……もしもし!」
『やあ樫添さん。私からの手紙は見てくれたかな?』
相変わらず人を小馬鹿にしたような口調と、電話口からでもわかる特徴的な声。
「『レプリカ』……!」
電話をかけてきたのが因縁の相手だとわかった瞬間、私は電話をスピーカーホンにして柏ちゃんに電話を向ける。彼女も事態を把握したのか、電話を見つめて顔を引き締めた。
『さてと、樫添さん。一応今の状況を説明してあげようか?』
「必要ないの。センパイはアンタの所にいるのね?」
『ははは、話が早いね。そうさ、黛瑠璃子は私が預かった』
「……!」
予測していたことではあるが、こうして事実として突きつけられると焦りが加速する。そんな私の様子を察してか、柏ちゃんが再び私の肩に手を置いた。
『さてと、樫添さんならこの状況で私の要求に従わないとどうなるかわかるよね?』
「センパイに何かするつもりなの?」
『場合によっては、そうなるね。でも樫添さんが私の言うことを聞いてくれるなら彼女には何もしないさ。私はね』
「……『私は』?」
『この件が終わった後、アンタたちの関係がこれまで通りに行くかはアンタたち次第ってことさ』
……どういうことだ?
私は考えを頭の中で巡らせてみる。『レプリカ』は手紙に書いていた通り、黛センパイや私に柏ちゃんを見捨てさせようとしている。そしてヤツは黛センパイを人質に取った。そうなると……
「……アンタ、まさか!」
『そろそろ理解できたかな? そうさ、アンタたちが柏恵美を見捨てなければ、黛瑠璃子の命はない。そう言っているのさ』
「アンタ……!」
『そんなに怒らなくても、アンタたちが一言『今後一切、柏恵美を助けることはしません』って言えば、樫添さんも黛瑠璃子も無傷でいられるさ。簡単だろ?』
「そんなこと、出来るわけないじゃないの!」
『出来ない? そんなことはないだろ。自分の身の安全を優先して友達を見捨てるだけだよ? 皆がやってることじゃないか』
「私は! そんなこと!」
『しないって言うのかい? そんなことは無いね。アンタも……』
「いい加減にしろ。『レプリカ』」
その時、私と『レプリカ』の会話を低く鋭い声が遮った。
私はこの声の主を知っている。だが、彼女がここまで他人に怒りを含んだ口調になったのを見たことがない。
しかし現実に――
「黙って聞いていれば、貴様如きが私の友人たちに対して大層な口を利くじゃないか。実に、実に腹立たしいね」
柏恵美は、その顔を確かな怒りに染めていた。
『おや、柏サンも一緒だったのか。どちらにしろ呼んでもらうつもりだったから丁度いいね』
「そうか。だが私は貴様の発言一つ一つが腹立たしい。そんな相手にこれから会わなければならないなど、こんな嬉しくない苦痛は初めてだよ」
『はははっ! まさかあの柏サンがそんなことを言うとはねえ。もしかして私は凄いことをしているのかな?』
「ああそうだ。貴様は凄く愚かなことをしている。畏れ多くも、あの黛瑠璃子に私の支配を断念させようとしているのだからね」
……これが本当に、あの柏恵美なのだろうか。
いつも不敵な微笑みを崩さず、自分に降りかかる苦痛を喜んで受け入れていた彼女。その彼女が、確かな怒りと鋭い敵意をもって、『レプリカ』と対峙している。
そう、やはり柏恵美にとっても、黛瑠璃子は大きな存在なのだ。
「断言しておこう、『レプリカ』。黛瑠璃子は貴様がどうにか出来る存在ではない。だが私も寛容な方だ。今、彼女を解放するのであれば、私もルリも今回ばかりは貴様を見逃してやる」
『おいおい柏サン。今の状況わかってる? 事実として私は、黛瑠璃子をどうにか出来ているんだよ?』
「そう、現時点ではね。だがルリは必ず貴様の手から抜け出す機会を虎視眈々と狙っている。そうなれば貴様の負けは確定だ。だから今の時点で負けを認めるのであれば、今回ばかりは無傷で帰してやると言っているのだ」
柏ちゃんは、柄にもなく強い言葉を使っている。
その顔は怒り以上にどこか不機嫌そうだ。その理由を、彼女の普段の様子を基に推測してみる。
もしかして本当は、彼女自身もこんなに強い言葉を使いたくないのではないだろうか?
彼女は自分を『獲物』と称している。一方的に攻撃される弱い存在だと称している。そんな自分が強い言葉を使うべきではない。彼女は普段からそう思っているのかもしれない。
だけど今、彼女は『レプリカ』に向けて強い言葉を使っている。自分のポリシーを曲げてまで。全ては――
黛瑠璃子を救い出すため。
やはり柏ちゃんと黛センパイは強い絆で結ばれている。そのことに寂しさを感じないと言えば嘘になる。
そもそも本当に黛センパイを救うのに私の力が必要なのだろうか? センパイなら自分でなんとかしてしまうのではないだろうか?
もしそうなったら、私がここにいる意味は――
だが、その時だった。
「……アサミ?」
その声は、この場には似つかわしくない小さな声だった。しかし、この拮抗した状況に一石を投じる声だった。
その声を発した後小橋川さんは、私の持つ電話を見ながらもう一度呟く。
「ねえ、もしかしてアサミなの? あなた、何やってるの?」
『……っ!!? アンタまさか、カオルコ……!?』
「え?」
後小橋川さんが発した『アサミ』という名前に、『レプリカ』は大きく動揺している。いや、それだけではない。
「ほう? どうやら後小橋川くんと君は、知り合いのようだね? 『レプリカ』」
『くっ……!!』
そうだ。『レプリカ』は後小橋川さんの名前も出した。そうなれば二人はお互いに相手を知っている間柄。しかも、決してただの顔見知り程度ではないほどの間柄のはずだ。
『まさかアンタら、カオルコのことを知っているのか!?』
「ああ知っている。そして君の正体も大体予想がついた。これでやっと条件は対等になたというわけだ」
今日知り合ったばかりだというのに、息をするように自然なハッタリをする柏ちゃんに感心しながらも、私は再度、後小橋川さんを見る。
「……」
彼女は電話を見ながら何かを考え込んでいるように沈黙している。その表情からは全く心中が見えなかった。
『……くそっ!!』
それと同時に、『レプリカ』の苛立ちのこもった一言と共に電話が切られた。
「……さて、どうやら君はこの件には無関係では無かったようだね、後小橋川くん?」
「……そうですね」
柏ちゃんが後小橋川さんに向き直り、顔を近づける。
「話してもらおうか。君と、今の電話の相手、『レプリカ』との関係を」
有無を言わさないとばかりに、柏ちゃんは後小橋川さんに迫る。彼女も特に抵抗せずにその言葉に応えた。
「わかりました……おそらくですが、あなた方が『レプリカ』と呼んでいる人間の正体は……」
そして彼女は、『レプリカ』の正体を告げる。
「私の友達だった、飛天阿佐美です」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!