「……そうか、W大学を受験するのか」
「はい。自分の将来のためには、そこが一番適しているかなと」
閂先輩が出て行ったあと、俺と御神酒先生は進路相談室で話をしていた。先生は進路指導の担当ではなかったが、少し無理を言ってこうして進路の相談をしている。
「一応聞くが、それはお前が考え抜いた結果なのだな?」
「はい」
「ふむ、それならよし。お前がその道を進みたいと努力するのであれば、私は教師としてそれを全力でサポートする。だがわかっているだろうが、私はお前を甘やかすつもりは一切ない。肝に銘じでおけ」
「ありがとうございます」
御神酒先生は堅い表情をしながらも、俺に対する声のトーンが少し明るくなったような気がした。
……御神酒先生は立派な先生だ。しかし彼もまた先生たちの間で孤立していた。その理由は、先生の教師としての思想にあった。
御神酒先生の思想。それは、『幸せになれる見込みのある一部の生徒を絶対に救う』というものだ。
俺がこの高校に入学したばかりの頃、先生は俺にこう言った。
『萱愛。お前は世の中にいる全ての人間が幸福になることがあると思うか?』
その頃の理想ばかりを追い求めて周りを見ていなかった俺は、迷わず『あります』と答えた。だがそんな俺を、先生はきっぱりと否定した。
『いいや、それは不可能だ。なぜなら、人の幸福の裏には必ず誰かの不幸があるからだ。それが覆らない以上、全員が幸福になることは不可能だ。そしてそれは、『学校』という範囲内でも同じだ。教師は全ての生徒を幸福にはできない』
だから先生は、幸せになれる可能性の高い生徒、幸せになろうと努力している生徒を意図的に優遇し、そうでない生徒は放任している。それが、先生が他の教師から敬遠されている理由だった。
確かに他の先生方から見れば御神酒先生のやり方は過激に見えるし、放任された生徒の保護者も黙ってはいないだろう。そういう俺もかつては、御神酒先生のやり方を激しく否定し、敵視していた。だが俺は、ある人から先生の過去を聞いて気づいた。
御神酒先生は、本当は誰よりも生徒全員を救いたいのだということを。
先生はこの学校に赴任した際にこう言ったらしい、『私が仮に生徒に殺されたとしても、その生徒を責めないでやってほしいのです』と。先生は決して簡単に生徒を見捨てているわけでは無かったのだ。苦渋の想いで、生徒の未来を潰してしまうかもしれないことに罪悪感を抱きながらも、それでも救える生徒のためにその決断をしたのだ。そして先生は、今まで見捨ててきた生徒にいつ殺されても不思議ではないと考えている。
それが、御神酒先生の教師としての覚悟。
その覚悟に俺は気づかされた。他人を救うということは簡単なことではないことを。だから俺は、今では先生を尊敬し、こうして進路の相談もさせてもらっている。
「御神酒先生、今日はありがとうございました」
「ああ」
先生らしい淡々な口調ではあったが、俺の将来を真剣に考えてくれていることは理解できた。俺の希望の進路についての資料も集めてくれたし、厳しい現実も教えてくれたりもした。
だけど俺の決意は変わらない。俺は先生のような教師が支えられない生徒の手助けをする、スクールカウンセラーになると決めていた。
教師が全ての生徒を救えないのなら、俺はスクールカウンセラーになって、少しでも多くの生徒が幸せになれる手助けをしたい。そのための進路だった。
「さて、私は次の授業があるのでもう行くぞ。お前も教室に戻れ」
「はい」
離れていく先生の姿を視界から外し、俺も教室に向かった。
「おう、萱愛くん。今日も御神酒先生に相談をしていたのか?」
「あ、仲里先生。こんにちは」
教室に向かう俺を呼び止めたのは、公民を担当している仲里淑行先生だった。まだ教師になって二年目で、この学校が教師として初めての職場らしい。
「はい。御神酒先生にはいつもお世話になりっぱなしで……」
「ははは、気にするなよ。生徒の世話をするのが教師の仕事だ。御神酒先生もそれを理解していらっしゃるはずだよ」
「……そうですね」
仲里先生は短く刈り上げた頭を一瞬なでた後、俺に問いかける。
「どうした。何かまだ悩みがあるのかい?」
「いえ、これだけお世話になっているのに、自分は御神酒先生に何も出来ないのかなって」
「なんだ、そんなことか。さっきも言ったとおり教師はそれが仕事なんだ。生徒である君が気にする事じゃない」
「ですが……」
「まあ、君の気持ちもわかるよ。僕も御神酒先生にはお世話になったからね」
「え?」
「おっと、口が滑ったな。それじゃ、授業に遅れるなよ」
仲里先生は自分の発言をごまかすかのようにその場を立ち去ってしまった。仲里先生も御神酒先生にお世話になっている? どういうことだろう。
まあ考えても仕方がない。御神酒先生への感謝の気持ちはいずれきっと伝えよう。そう考えながら、俺は先ほど別れた御神酒先生の姿を思い出す。
だけど俺は思いもしなかった。
この後、とんでもない事件が起こってしまうことを……
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