十数分後。
「つまり、黛先輩は大切なお友達である柏恵美さんのために、昼夜を問わず奔走する日々を過ごしているのでございます……柏先輩の支配者としてね」
「……そう簡単には信じられねえ話だな」
コイツが明かした瑠璃子の現状はこうだ。
瑠璃子には柏恵美という名の一歳下の女友達がいる。
柏恵美は『容赦なく殺されたい』というわけわからん願望を持っている。
柏と一緒に生きていたい瑠璃子はその『殺されたい』という願望を叶えられないように、柏の命を狙う敵を叩き潰し続けた結果、柏の支配者として認められたが、今もそのせいで頻繁に命の危険に晒されるハメになっている。
「ひひひ、しかしこれは全て事実なのですよ……そして実際に黛先輩は命の危機にあります……」
「オレが信じられねえのはそこじゃねえよ」
「ほう?」
「今の瑠璃子に、そうまでして守りたい人間がいるって部分だ」
オレが知っている黛瑠璃子は、周りへの興味が極端に少なく、さらにはオレにフラれたことで『自分は誰にも好かれない』という『絶望』から周りの人間全てを敵に回しても生きる強さを身に着けた女だ。そんな瑠璃子がたった一人の友達のために、しかも自分から殺されに行くような女のために何度も身体を張っている。とてもじゃないが信じられる話じゃない。
だけど、もし本当に、瑠璃子にとってそれほどまでに大切な人間が現れているというのなら。
今の瑠璃子は、満たされているんじゃないだろうか。
そして瑠璃子がその満たされた日常を手放したくない気持ちは、オレにもわかる。ミーコとの未来がやっと見えてきた今の日常を手放したくないのはオレも同じだ。誰にも興味を持たなかった瑠璃子からしてみれば、その柏恵美という女の存在はオレの想像をはるかに超えて大きいんだろう。
「なるほどな、瑠璃子が置かれている状況はわかった。だがまだわかっていないことがある」
「なんでしょうか?」
「お前の目的はなんだ? 瑠璃子を助けさせることで、お前に何のメリットがある? 仮にオレが瑠璃子を助けられたとしても、その後でお前が敵に回るのなら意味がねえ。その辺はハッキリさせておきてえんだよ」
コイツの言葉が全て真実だとしても、瑠璃子を助けた後にコイツが何を企んでいるのかによっては話がまるで変わってくる。確認するのは当然だ。
「……こう見えて、私にはお付き合いしている男性がおりましてねえ」
「そりゃ物好きな野郎だな」
「その男性ですが……とてもお優しい方なのですよ。私のことを最優先してくださるのですが、本心では自分の身の回りの人間全てを助けたいと本気で考えるほどに……とてもお優しく、とても美しいお方なのです……そしてその方は、ご自分の後輩である弓長氏のことも応援したいと考え、黛先輩に弓長氏を紹介したのですよ……」
「なんだ。つまり弓長ってヤツはお前の彼氏も騙しているってことか?」
「簡単に言えばそういうことです……ひひ、先ほども申し上げましたが、私の恋人はとてもお優しいお方です。ですので例え相手が悪人と判明したとしても……自分の身を顧みず助けようとするでしょう……あの方は、他人の善意を信じていますが、悪意を信じられないのです……」
コイツの彼氏の気持ちはオレとしても理解できる話だ。オレもミーコとの交際を公表したことで、周りの女子が一斉に悪意を向けてくるなんて予想もしなかったからな。
「ですが、私は違います」
そう言うと、女は左目を閉じて頭を左に傾けていった。
「私は人間に悪意があることを存じております……あの方と出会うまでは家族以外に心を許そうともしませんでした……ひひ、そうなのですよ……よりによって弓長氏とその背後にいる人物は……私の大切な恋人の善意を利用し、道具にして踏みつけたのです……ひひひ……なので私はこう思いました……」
笑い声を出してはいるものの、その顔は前髪に覆い隠されて見えなくなっている。
だが、その髪の隙間からさっきまで隠されていた右目が露わになり……
「私の萱愛氏を利用して、ただで済むと思うなよ、カスどもが」
……ああ、なるほどな。
コイツの言ってることは真実だ。瑠璃子の命が狙われていることも、弓長ってヤツが瑠璃子に近づくためにコイツの彼氏を利用したことも、そしてコイツの第一の目的が愛しの彼氏を救うということも。
そうでなきゃ、当事者でないオレでさえ背筋を凍らせるほどの怒りは抱けない。
「わかったよ。お前が瑠璃子を助けたいのも、その理由も信用してやる」
「ひひひ、ありがとうございます……」
「ただ、お前自体を信用したわけじゃねえ。そもそもまだ名前すら聞いてねえしな。だからお前に協力するとは言えねえ」
「そうでしょうね……私も簡単に協力していただけるとは思っていません……」
すると女は立ち上がり、オレの横でスカートの裾を持ち上げながら頭を下げた。
「私は、法条大学一年生の閂香奈芽と申します……もしご協力いただけるなら、明日までにお返事をお願いしますよ……」
そう言って、閂は店を出て行った。
その日の夜。
「もしもし、ミーコか?」
『うん、お疲れ。どうしたのメイジ?』
自室でミーコに電話したオレは、今日の出来事を話した。瑠璃子の現状、そしてアイツに迫っている危機についても。
「ミーコ。オレは今、とんでもねえことを言う。お前と一緒に暮らすって未来がすぐそこに迫っているのを承知で言う」
『……うん』
「オレは瑠璃子を……助けに行きたいと思ってる」
自分でも不義理を働いていると思う。彼女との同棲が控えているにも関わらず、とっくに別れた元カノの危機に駆けつけようとしているんだからな。
だとしても、もし瑠璃子がいなかったら今のオレたちはない。その事実を忘れて自分たちだけ幸せであればいいと、そこまで開き直れるほどオレはまだ大人じゃない。
『メイジ……マユズミさんは、私ともアンタとも二度と会いたくないって思ってるだろうね』
「そうだな」
『実際さ、メイジがマユズミさんの前に現れたらあの人はまた傷つくと思う。たぶんめちゃくちゃ怒るだろうし、私だってメイジにそんな危険なところに行ってほしくないよ』
「ああ」
『でも、私はメイジに助けられた。こういう時に手を差し伸べてくれる男だったから、救われた』
「……必ず生きて戻ってくる」
『うん、行ってらっしゃい』
こうしてオレは“腹黒”な閂香奈芽と手を組み、瑠璃子を救い出すために一芝居打つことになった。
※※※
大学の正門から飛び出したオレは、背後を確認して弓長を振り切ったことを確認する。
「よし、これで上手く行ったな……あとは瑠璃子に事情を説明すりゃあ……」
瑠璃子と一緒に逃げた閂に連絡するため、ポケットの中のスマートフォンに手を伸ばす。
だが、それがオレのミスだった。
「おーい、君。私の教室に来てくれた男の子だよねえ?」
その声が、オレの耳に届いた直後。
「ぐっ!」
大きな手がオレの右肩を握り,激痛が走った。
「が、あ! テ、テメエ……!!」
「困るんだよなあ。君、どうせ閂さんの差し金だろ? 全くあの子は本当に私の邪魔をしてくれるねえ」
背後からオレの肩を握る大柄の男。コイツのことは、閂から聞かされていた。
弓長波瑠樹を差し向け、瑠璃子を騙し、さらには排除しようとしていた紛れもないオレの敵。
「か、ら、さわ!」
「年上にはちゃんと敬語使った方がいいよ? 工藤メイジくん」
『スタジオ唐沢』の教室長、唐沢清一郎。コイツこそ、瑠璃子を苦しめる真の黒幕だった。
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