「へー、柏さんってM高校からS市立大学に入ったんですね。あの高校からだったら、もっと上のレベルの大学目指している人多いんじゃないですか?」
「確かにそういった生徒も多かったが、私はルリの支配下にある。彼女がいる場所が、私の場所と言っても過言ではないのだよ」
俺たちは柏を『死体同盟』のアジトへ連れて行くために、柏を包囲するような形で歩いていた。柏の後ろに俺、前に綾小路、そして右横に湯川がついている。左横には店舗が並んでいるため、柏が逃げるためにはどうしても俺たちの誰か一人をどかさなければならない。だが柏が特に拘束されているわけでもないため、傍目には友人同士で談笑しながら歩いているようにしか見えないはずだ。
いや、そもそも柏は逃げ出す素振りも見せずに、湯川と談笑している。こいつが湯川と気が合うのは意外だったが、変に騒がれないのは都合が良かった。
考えてみれば、柏恵美という女が自らの身が危険に晒されることを拒絶するはずもない。連れ去る側としてはこれ以上都合の良いことはないだろう。
「じゃあ、柏さんはその、黛瑠璃子さんに命を握られているってことなんですか?」
「そういうことになるね。ルリは私の願望を潰し、私を支配下に置いている。もし彼女が私の命を奪おうと考えれば、私に為す術はない。まあ、おそらくルリがその気になってはくれないだろうがね」
「うーん……」
相変わらず柏と湯川は楽しそうに会話をしているが、俺からしてみれば柏と会話を合わせられる人間はそれだけで異常者だ。俺はまだ湯川のことはよく知らないが、こいつも俺の理解の外にある人間なのかもしれない。
「ていうか、柏さんはなんで殺されたいんですか?」
そう思っていると、いきなり湯川は真剣な顔で核心を突く質問を投げかけた。まずいな、誰かに聞かれたら怪しまれるかもしれない。
「おい湯川。あまり物騒なことを言うな」
「誰も聞いちゃいませんよ。ほとんどの人間は見知らぬ他人に興味なんてないんです。それで、どうなんですか柏さん?」
「ふむ、そうだね」
柏は少し考え込むように目を閉じると、湯川に向かって微笑んだ。
「私は今、非常に充実した生活を送っている」
「え?」
質問への返答があまりにも予想外のものだったのか、湯川は目を丸くしていた。
「私は大切な友人たちを得て、金銭的にも不自由のない生活を送っている。それを『充実した生活』と認識している。そして私はその『充実した生活』を送ることを強制されている。他ならぬ、私の支配者によって」
「は、はあ」
「そして私も今の生活を『楽しい』と感じている。支配者に願望を潰され、楽しい生活を送らざるを得ない。これも一種の絶望だ」
「うーん、ちょっとよくわからないんですけど……」
俺もよくわからない。しかし、柏が黛によって自分の願望を潰されて、生きていくしかないという状況をも楽しんでいるのは理解した。
「だが私は、その絶望をも潰されてみたいと考えている」
「は?」
「友人と一緒に過ごす、何不自由ない充実した生活。実に楽しいものだろう。だが私の願望はあくまで、自分に何一つ決定権がなく、理不尽に、為す術もなく、この命を失うことだ。圧倒的な存在に踏みつぶされて、自分の人生全てを否定され、支配されることだ。今の充実した生活を邪魔なものとは思わないが、私はやはりこの命を奪われることを望んでいる。もっと言ってしまえば……」
柏は湯川に微笑みを崩さないまま、言い放つ。
「ルリと過ごす幸せな生活を奪われることを望んでいる」
その言葉は、やはり俺では到底理解できなかった。
柏は黛と過ごす時間を幸せなものだと感じている。こいつにも、友人を大切に思う心はあるようだ。にもかかわらず、柏は自分の死を望む。自分の積み上げてきたもの全てを、他者に崩されることを望んでいる。
そんなものが、理解できるはずもない。
「……なんでですか」
理解できなかったのは湯川も同じだったようで、柏に怒りの目を向けている。
「あなたは自分の人生が充実しているんですよね? 仲の良い友達がいて、お金もあって、将来もある。私にない物を全部持ってる。それなのにあなたは殺されたいのはなんでって聞いているんですけど」
「質問への答えは先ほど言った通りだよ。私は自分の人生全てを他者に容赦なく奪われることに悦びを感じる人間である。それだけのことなのだよ」
「意味分かんない。楽しい人生送ってるのに、それを放り出そうっていうの?」
湯川はさっきまでとは打って変わって柏に敵意を向けている。どうやらこいつを理解できない人間だと思ったのは間違いのようだ。こいつは恐らく、最初から柏を気に入っていない。充実した生活を送りながらも、それを全て踏みつぶされることを悦ぶ。その考え方は、湯川からしたら傲慢に見えるのかもしれない。
「『放り出す』という表現は適切ではないね。私は自ら命を捨てたいのではなく、『狩る側の存在』によって命を奪われたい。つまり私の人生を足蹴にするのは、私を殺す者だよ」
「でもアンタはそうされることを望んでるんでしょ? それが意味分かんない。私たちがこんなに生きづらい思いしてるのに、なんでそうでないアンタは楽しそうに『殺されたい』なんて言えるの?」
湯川がヒートアップしているのを見て、綾小路は足を止め、柏と湯川の間に割って入る。
「湯川さん、ちょっと落ち着いてよ」
「いやですよ。空木さんはこの人を『死体同盟』に入れたいみたいですけど、私は反対です。どうせこの人、ただのキャラ付けで『殺されたい』とか言ってるだけですよ」
湯川はそんなことを言うが、俺は知っている。柏はただのポーズで殺されたがっているわけではない。それを知っているからこそ、空木は柏を『死体同盟』に入れたがっている。しかしそれをここで説明しても、湯川は納得しないだろう。どうする?
そう考えていると、柏が無表情で湯川を見つめていることに気づいた。
「……ふむ、私の願望を偽りだと言うのかね?」
その言葉が放たれた直後。
「えっ?」
柏は湯川の右手を掴み、自分の首を掴ませるように誘導した。
「おい! お前何やってる!?」
「黙っていたまえ、柳端くん」
普段のこいつとは比べものにならない、感情が抑えられた声で制止される。それを聞いた俺の身体は、なぜか動きを止めてしまった。
なんだ? 今の柏には普段のような薄笑いがない。まるで無表情だ。その姿が、今まで以上に俺には不気味に見えてしまう。
「それで? 君は私の願望を偽りと言うのだね?」
「あ、当たり前じゃない。アンタだって死ぬ寸前になったら、怖くなるんじゃないの?」
「ならば今ここで試してみるかね? 君の力でも、私の首を絞めることくらいはできるだろう」
そう言いながら、柏は左手で湯川の右手を掴んだまま、もう片方の右手で湯川の左手も自分の首に持って行く。湯川の両手が、柏の首を絞めるような状態になる。
「君は特に私の望む者ではないようだが……私に自分を殺す人間を選ぶ権利など無い。君が私を嫌い、私を殺したいのなら、それを受け入れよう」
「ちょっと、離してよ!」
湯川はもがいて柏の首から手を放そうとするが、柏はそれを押さえて両手に力を込める。
「が、あ、これで君がもっと力、を、込めれば、私を……」
柏は自分の首を絞めさせながら、強引に言葉を紡いで、湯川を見る。その姿に、湯川は恐怖を感じているかのように、表情をこわばらせていた。
「柏さん! もうやめてあげて!」
そんな二人に綾小路が掴みかかり、柏を力任せに湯川から離そうとする。
「柳端くん! 君も手伝ってよ!」
「……あ、ああ」
なぜか黙って見ていた俺はその言葉でようやく身体が動き、柏と湯川を引き離した。引き離された柏は、咳き込みながらいつも通りの薄笑いを浮かべる。
「ふふ、どうやら……また殺されなかったようだね、私は」
「柏! その辺にしておけ。ここで騒ぎを起こせば、お前にとっても不都合だろう」
「ああ、そうだね。君が私を殺すつもりなら、ちゃんと舞台を整えてくれているのだろう。その途中で警察でも呼ばれたら興ざめだ」
「俺はお前を殺しに来たわけじゃないと言っただろ」
俺は柏を押さえながら、綾小路に目をやる。
「綾小路、湯川は大丈夫か?」
「湯川さん、大丈夫?」
綾小路は湯川を覗き込むが、身体を震わせながら何かを呟いていた。
「なんで……? なんであんな風に考えられるの……?」
震えながら柏を見つめる湯川を見て、俺はため息を吐く。やはり俺も湯川も、柏恵美という人間を理解するにはだいぶ時間がかかるようだ。
「とにかく、お前らはアジトにつくまで離れていろ。柏、これ以上何か妙なことをするなら、応援を呼ぶことになるぞ」
「くふふ、私としたことが、少し熱くなってしまったね。湯川くん、申し訳ないね」
湯川に頭を下げる柏だが、当の湯川はまだ震えを止めていなかった。
幸い、周囲の人間は今の騒ぎに気づいていなかったようで、警察を呼ばれている様子もない。このまま柏を連れて行けば、騒ぎにはならないだろう。
しかしその後はどうする? 空木は柏をどうするつもりなんだ?
そう考えながらも、既に事態が動き出している以上、俺にはどうすることもできなかった。
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