陽泉の人間性の一部を感じ取った私は、この男への警戒レベルをマックスに上げた。やはりこの男……萱愛陽泉は危険だ。それも、私が今まで出会った人間の中でも五本の指に入るほど。
さすがに邪魔な人間を即座に殺そうとするほどではないようだが、それは萱愛小霧というストッパーがいてこそだ。もし陽泉が私たちを息子の成長に害だと見なすのであれば、ためらいなく危害を加えるかもしれない。
なにより陽泉は、それを『悪』だと思っていない。自分が他人を殺したことを『悪行』だと考えていない。過去の事件における被害者はあくまで息子を殴られた自分の方であり、自分が殺した男の方を罪人だと考えている。
だからこの男は、仮に私たち全員を殺すことになっても躊躇しないだろう。なぜなら自分の行いは、全て息子のためだと考えているから。息子を守るため、仕方のない行動だと思っているから。
やはり、陽泉の存在は萱愛にとって害でしかない。
そして何より……
この男を、絶対にエミに引き合わせるわけにはいかない。なんとしてもここで食い止めなければ。
「ひひ、ひひ、よくわかりました……」
私が考えを巡らせていた間に、閂が話を切り出す。一時は固まっていたこいつも、今はいつもの不気味な笑顔に戻っている。
「やはり、私はあなたの存在を認めるわけにはいきませんねえ……」
そして、陽泉を見据えてそんなことを言い出した。この状況で相手を刺激するような発言が出来るのが、閂香奈芽という女だ。
「え? どういうこと?」
陽泉は閂の発言を受けてキョトンとした顔になっているが、私と樫添さんは既に陽泉の暴力に対抗する準備を進めていた。ヤツがこちらに何か手を出そうものなら、その瞬間に左手に握ったスタンガンをお見舞いするし、樫添さんは既にリビングの出口に目を向けて、脱出への体勢を作っている。
来るなら……来い!
「ひひひ……単刀直入に言いますが……あなたを萱愛氏の父親として認めたくはありません……」
臨戦態勢の私たちをよそに、閂はここで爆弾を投下する。
「萱愛氏の、彼女としてね」
「……え?」
突然の交際宣言に、陽泉だけでなく私も驚いてしまった。
なぜ? 仮に閂が陽泉を挑発するにしても、自分が萱愛の恋人だとバラす必要はないはずだ。陽泉は萱愛の友人をも自分の基準で選抜しようとするような男だ。そんな男が自分の知らない間に、息子に恋人が出来ていたと知ったら、どんな暴走をするかわからない。
だがそれは閂もわかっているはずだ。いくら陽泉を挑発するにしても度が過ぎていることを承知の上の言動のはずだ。
だから私は、閂の次の一手を待った。
「……君が、小霧くんの、彼女?」
「ええ、その通りでございます……ひひ、恋人としては至らぬ身であることは承知しておりますが、私は萱愛小霧氏とお付き合いさせていただいているのです……」
「だって、小霧くん、は、そんなこと、一言も……」
「仰っていないようですねえ……ひひ、つまりそれは……」
そして閂は、長い前髪の奥で右目を見開く。
「あなたが萱愛氏から信頼されていないことを、示しているのでは?」
やはり。
やはり、この閂香奈芽という女は相手の急所を正確に突いてくる。相手が最も言われたくない言葉を、相手が最も知りたくない事実を、絶妙なタイミングで言い放つ。
閂はただ陽泉を挑発しているのではなく、他ならぬ萱愛自身が陽泉に不信感を持っているという事実を突きつけている。萱愛が陽泉のことを信頼していないとなれば、陽泉のプランは全て崩壊する。
そうなれば、陽泉も萱愛への接し方を変えるかもしれない。閂の狙いはおそらくそこだろう。ただ挑発するのではなく、陽泉の心変わりを狙っている。確かにその方が、随分と平和的なやり方だ。
問題は……萱愛陽泉という男が、そんな常識が通用する人間なのかどうかという話だ。
「僕が、小霧くんから、信頼されていない?」
陽泉は顔を少し俯かせながら、小声で呟いている。先ほどの閂の発言はやはりショックが大きかったのだろうか。
しかしその直後、陽泉は顔を上げて、こちらに向かって微笑みかける。
「ま、そうかもね」
そして、あっさりと閂の言葉を認めた。
「ひひひ、お認めになるのですか?」
「まあね。なにせ僕は十年以上も小霧くんをほったらかしにしていたひどい親父だ。小霧くんからの信頼を得られなかったとしても不思議じゃない」
「そうお考えなのであれば、ひひ、先ほどのノートに書いてあった、萱愛氏の未来に関するプランも、一度見直すべきだと思いますがねえ……」
「うーん……」
意外にも陽泉は閂の提案を受けて考え込む素振りを見せた。自分が萱愛からの信頼を得ていないことに気づいているのであれば、ここで考えを改めるとしてもおかしくはない。
「忠告はありがたいけど、それはできないなあ」
しかし、陽泉はそんな私の予想通りに動くような男ではなかった。
「理由をお聞かせ頂きたいですねえ」
「ん? だって小霧くんの信頼を得られてないのは現時点での話でしょ? 僕がこれから小霧くんの父親として、精一杯彼をサポートしていけば、小霧くんも僕を認めてくれるはずだよ」
「……十年間も、それも思春期の時期に、萱愛氏の元を離れていたのに、ですか?」
「だからこそだよ。さっきも言った通り、あのノートは小霧くんに対する贖罪でもある。僕が彼の父親として、そして彼が僕を父親だと胸を張って言えるように、僕が小霧くんを幸せにする。僕には、その覚悟がある」
「……ふざけてるわね、アンタ」
陽泉の話を聞いて、自分でも気づかぬうちに言葉が出てきてしまった。だけどもう遅い。この男に対する私の怒りは、もう抑えられるものではない。
樫添さんと閂が、私を見ている。今の私は、怒りを通り越して無表情になっているのだろう。しかしそんなことは関係ない。
「萱愛を幸せにすることが、アンタの贖罪? アンタ、自分が萱愛によく見られたいだけでしょ?」
さっきから聞いていれば、コイツは萱愛を幸せにすると言いながら、萱愛の幸せに自分が邪魔である可能性を考えもしていない。自分が人を殺しておきながら、自分の存在が息子に悪影響であることを考えていない。
要するにコイツの行動は、ただの自分勝手。私がエミの願望を踏みつぶして、彼女と一緒にいたいと考えたのと同レベル。それなのにコイツは、自分が悪者として愛する息子に憎まれる覚悟すらない。それが私には我慢ならなかった。
「えーと、ルリさんはどうしたのかな? なんか怒ってるみたいだけど、僕の何が気にくわないのかな?」
「何が気にくわないかと聞かれれば、全部だわ。萱愛の幸せを決めつけることも、自分が悪者だと思われたくないことも、柳端を殴っておいて何の謝罪もないことも、そして……」
そして、何よりも。
「私を『ルリ』と呼ぶことも」
その呼び名を、お前如きが使うな。
「ま、黛センパイ。ちょっと落ち着いて……」
樫添さんが私を諫めたことで、ようやく頭が少し冷静になってくる。それと同時に、自分の行動の軽率さに気づいた。
「うーん……困ったな。あんまり女の子にこんなことしたくないんだけどね……」
それを証明するかのように、陽泉は困ったような表情をしながら立ち上がり、そばにあった置き時計を手に取る。
そしてためらいなく、それを私に向けて投げつけた。
「……っ!」
間一髪で頭を動かし、時計は私の後ろの壁に音を立ててぶつかった。
「小霧くんの幸せのために、君たちには消えてもらおうか」
その言葉と共に、私の頭が即座に戦闘モードになる。既に左手に握ったスタンガンにはスイッチを入れた。相手を行動不能にする最適なプロセスを瞬時に割り出し、そのための行動を身体に伝える。
陽泉にパワーでは敵わない。それにこの狭い空間では、満足に攻撃をかわすこともできないだろう。だったらまずは、ヤツの体勢を崩す他ない。
だから私は、先ほどの時計を右手で掴もうとする。だが、その時だった。
「ちょ、ちょっと、何やってるんですか!?」
突然の叫び声。その声の主を、私たちは知っている。この家に呼び鈴なしで入れる人間を知っている。
そう、萱愛小霧。彼が驚愕の表情でリビングの入り口に立っていた。
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