部屋の外から何か騒ぐような声が聞こえてくる。あの声は柳端くんのものだ。何かあったんだろうか。
扉を開けて、廊下から吹き抜けになっている大広間を見下ろすと、柳端くんが沢渡さんから携帯電話を奪い取っていた。ああ、沢渡さんに携帯電話をイタズラされて、怒ってたんだ。
何事もないことを確認してから、アタシは部屋に戻る。ベッドの上では湯川さんが寝息を立てている。アタシの顔を見ている人は、今は誰もいない。
今のアタシは――綾小路佳代子は、きっと嫉妬に満ちた顔をしているのだろう。
沢渡さんは柳端くんと付き合っていたらしい。前にアタシが柳端くんに彼女はいるのかと聞いたとき、『彼女がいたことはない』と答えた。その答えから推測すると、柳端くんにとって沢渡さんとの交際は、隠したい過去なのかもしれない。
確かに柳端くんと沢渡さんはかなりタイプが違う。沢渡さんはどちらかというと、以前のアタシ以上に『遊んでいる女』のように見える。見た目に反して結構堅い性格をしている柳端くんと、相性がいいとは思えない。
だけど柳端くんは沢渡さんと付き合っていた。それがすごく羨ましい。そして今、沢渡さんが柳端くんをからかって楽しそうにしているのが、すごく腹立たしい。
でもアタシは、さっきの柳端くんの言葉を思い返す。
『お前も疲れてるなら無理せずに休め』
彼がアタシを気遣うようなことを言ってくれるのは初めてだ。一緒にバイトしていた時は、アタシのことを鬱陶しいと思っていた彼が、今ではアタシに優しい言葉をかけてくれる。
やっぱり柳端くんは素敵な人だ。こんなアタシに対しても優しくしてくれる。以前のアタシは嫌われて当然だったのに、今ではアタシのことを気遣ってくれる。
『死体同盟』に入って本当に良かった。こうして柳端くんとの距離をもう一度縮めることが出来たのも、『死体同盟』に入ったおかげだ。
……もう思い残すことはないかもしれない。
このまま柳端くんにアタシの『死体』を見てもらえるのであれば、アタシの人生は大満足だ。このまま前科者として苦しい人生を送るよりは、その方が幸せなのかもしれない。
そこまで考えていた時、部屋のドアがノックされた。
「綾小路さん、空木です。よろしいでしょうか?」
「あ、はい。どうぞ」
空木さんがドアを開けると、後ろから柏さんと鎚屋さんも入ってきた。
「さて、話し合いの結果ですが、しばらく柏様もここで生活していただくことになりました」
「え? ああ、そうなんですか」
「ただ、急な話なので着替えや日用品なども用意しておりませんので、綾小路さんには柏様と一緒にお洋服を選んでいただきたいと思っています」
「は、はい。わかりました」
「由美子ちゃんのことは私が見ておくから、おねがいね。綾小路さん」
そう言って槌屋さんは湯川さんが寝ているベッドの横に座る。
「お金はこちらに用意しました。何かあったら、すぐに私に連絡を下さい。いいですね?」
「はい」
空木さんは私に封筒を渡してきた。中を確認すると、一万円札が五枚ほど入っている。これなら一通りの衣服は買えるだろう。
「さて、綾小路くんだったか。私の名前は柏恵美。この場所に招かれた者だ。私が殺されるまでの間、よろしくお願いするよ」
そう言って、柏さんは右手を差し出す。
「は、はい。よろしくお願いします」
よくわからないまま、柏さんと握手を交わす。すると彼女は、私に微笑みかけた。
……なんだろう、この柏恵美という人は。この人はアタシや湯川さん、柳端くんのように、人生に絶望しているようには見えない。だけどさっきの湯川さんとのやり取りからして、この人の『殺されたい』という願望が嘘偽りとは思えない。
「どうしたのかね? 私の衣服を見繕ってくれるのだろう?」
「え? あ、じゃあ、行きましょうか」
心の中の動揺が消えないまま、私は柏さんと出かけることになった。
十数分後。
アタシたちは最寄り駅の近くにある商業施設にいた。施設の中に全国展開しているアパレルチェーンがあることを確認したので、とりあえずはここで揃えよう。
「あの、柏さんはファッションの好みとかあるんですか?」
とりあえずは本人の嗜好を聞いてみて、そこから適当に買えばいいと思っていた。
「そうだね。私は私服であまりスカートを穿くことはないのだよ。どちらかというとパンツスタイルの方が多い」
「だったら、それと合わせて上も軽い感じのシャツとかの方がいいですか? もう結構暑くなりましたし」
「ふむ。だがこの機会にスカートなども購入してもいいかもしれない」
「え? なんでですか?」
「その方が君たちから逃げにくいだろう?」
「……」
この人は徹底的に、自分が殺される確率を高めたいのかな。
そう思っていると、棚に並べられた洋服を手に取りながら柏さんはアタシに話しかけてきた。
「ところで……君はあの『死体同盟』という集団をどう思っているのだね?」
「え?」
『どう思っている』と言われても、ざっくりしすぎた質問過ぎてどう答えればいいのかわからない。
「私も先ほど空木曇天くんから説明を受けたのだが……『死体同盟』の理念は『自分が望む死に方を模索する』というものらしいね。しかし私としては、そこに疑問を抱かずにはいられないのだよ」
「疑問、ですか? でも柏さんは、殺されたいって思ってるんですよね? だったら『死体同盟』の理念は理解できるんじゃないんですか?」
「残念だがその理念と私の理想は似て非なるものだ。いや、全くの別物と言ってもいいだろう」
「な、なんでですか?」
柏さんの言っていることがよくわからない。『死体同盟』も柏さんも、自分の死について考えているのは一緒なんじゃないの?
「そうだね、先ほど湯川くんも言っていたが、君たち『死体同盟』は多少なりとも生きづらさを感じているようだね。そしてその『生きづらさ』こそが、自分の『死』を考える理由となっている。違うかね?」
「違わない、ですけど。あなたは違うって言うんですか?」
「ああ、違うよ。そしてそれこそが、君たち『死体同盟』と私の最大の違いだ。君たちは生きづらいからこそ『死』を選ぼうとしている。私は積み上げた『生』を理不尽に壊されることを求めている。この二つは全く違うと思うのだがね」
「……あなたは、『死体同盟』を否定しているんですか?」
「そんなことはないよ。君たちは君たちで『死』について考えればいい。その過程で私を殺そうとするのであれば、歓迎するよ」
そう言いながらも、柏さんはアタシの方を見ることもなく、洋服を選んでいた。それがまるで『死体同盟』が柏さんの中では興味のない人たちであるかのように思えて、少し腹が立つ。
この人が『死体同盟』の何を知っているというのか。いや、アタシの何を知っているというのか。アタシがこんなにも『生きづらさ』を抱えているのに、どうして人生を楽しんでいるこの人が『死体同盟』を否定できるのか。
『死体同盟』に出会わなければ、アタシは柳端くんとも再会できなかったし、自分の中の『死』への気持ちを気づくこともなかった。『死体同盟』は少なくともアタシを救っている。
空木さんはこの人をどうしてこの人を引き入れたいのか。今のアタシにはわからなかった。
「空木さん、戻りました」
「おかえりなさいませ、綾小路さん。こちらも買い物を済ませてきましたよ」
洋館に戻ると、空木さんは両手に大きな紙袋を持っていた。
「食料品を買い込んで参りました。これでしばらくは、柏様も衣食住に不自由しないでしょう。ごゆるりとお過ごし下さいませ」
そう言って空木さんは柏さんに頭を下げるが、彼女はそれを見て少し顔を曇らせていた。
「ふむ、君たちは私を食客として招いているのかね? のんびりしていては、ルリがここを突き止め、私を救い出してしまうよ」
「ご心配なさらずとも、我々の拠点はここだけではありませんので。もしここを突き止められたとしても、すぐに移動の準備を整えますよ」
「だとしても、君が私を殺したいのであれば、早くしてほしいものだね。私はもてなしを受けたいわけではないのだからね」
「善処致します」
柏さんは少し険悪な会話を交わしながらも、それ以上話すことがなかったのか、大人しく案内された部屋に入っていった。
「綾小路さん、あなたもしばらくはここで生活していただきたいのですが、よろしいですか?」
「え?」
「無理にとは言いません。ですが、黛さんに気づかれる可能性は少しでも下げておきたいので……」
「わかりました。両親には連絡を取っておきます」
なんだか少し物々しい雰囲気になってきた。これからどうなるんだろう。
「あの、柳端くんは?」
「柳端さんなら、二階の部屋でお休みになっていますよ」
柳端くんは柏さんをここに招いたことをどう思っているんだろう。アタシはそれが気になった。彼が賛成しているのであれば、アタシはそれに従うだけだ。
二階に上がって部屋のドアをノックする。だけど中から返事はなかった。
「柳端くん?」
勝手に入ったらまずいかもしれないと思いながらもドアを開けて中を覗く。そこには……
「おや、佳代嬢も幸四郎を求めてきたのかい?」
下着姿の沢渡さんが、ベッドに横になっている柳端くんに馬乗りになっていた。
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