【6月3日 午後5時15分】
最近では、映画をネット配信で視聴する人が多くなっている。だからレンタルビデオ店でわざわざDVDを借りるなんて客も少なくなった。俺の働いている店もDVDのレンタルコーナーは縮小し、代わりに書籍の販売コーナーやラウンジスペースを併設するようになり、業務内容も複雑化している。
「いいか、ここのラウンジは利用時間中ならスナック菓子やパン、ドリンクを自由に飲食可能だ。だから俺たちはそれらの飲食物を逐一補充していかないとならない。当然、利用スペースの清掃も行いながらだ」
「了解でーす、こうしろーう」
「……ここでその呼び方をするな。ここではお前は単なるバイトの後輩でしかない」
「へえー。アタシが後輩で幸四郎がセンパイかい。なんか新鮮だねえ。楽しくなったし、幸四郎に手取り足取り教えてもらおうかい」
「じゃあ、空いているテーブルの清掃をしておけ。テーブルと本棚のふきんは別だから、くれぐれも間違えて使うなよ」
「ヒャハハ、間違えたらどうなるんだい? 幸四郎がさっきの男に怒られたりするのかい?」
「その時は店長に言ってお前を首にしてもらう」
「なーんだ、つまらないねえ。ま、いいや。幸四郎なら見てるだけでも楽しいし、アンタのいる店ならそのうちもっと楽しいことも起こるだろうさ」
そう言って生花は素直にふきんを持ってテーブルの清掃を始めていく。あまりにもあっさりと俺の言うことを聞いたので逆に面食らってしまったが、アイツにも変化があったのだろうか。
「店員さーん、ちょっといいですかー?」
客が店員を呼ぶ声が聞こえたので接客しようとすると、既に二人組の客が生花に近寄っていた。20代くらいで柄の悪そうな、見るからに遊び人といった風貌の男たちだ。
「はいはい、なんすか?」
「お姉さんさー、髪ピンクじゃん。しかもなんかピアスとか多いし、もしかして結構遊んでいる系の人?」
「あ、そっすよー」
「実はさー、今度俺らで遊びに行くんだけど、なんかおすすめのスポット紹介してる本ないかな? もしくはお姉さんが個人的に行くおすすめスポット知りたいんだけど。そんで、よかったら一緒にそこ行かない?」
「ヒャハハ、そんなの自分らで探しなよ。アンタの好みなんてわかりゃしないし」
……コイツ、あまりにも接客業に向いてなさすぎだろ。
とはいえあの二人もあからさまにナンパ目的で生花に近寄っている。店内で騒ぎを起こされても困るし、代わりに行くか。
「おいおい、いくらなんでも客にその態度はねえだろ。お姉さん、あんまり働いたことない人? それとも、夜の仕事しかしてこなかった人?」
「夜の仕事ってのが、その辺の男とヨロシクやってお金貰うことを言うなら、そうなるねえ」
「うわっ、遊んでるとは思ってたけど、マジで尻軽なのかよ。そんな女がこんなとこで働いてんじゃねえよカスが」
「すみませんお客様、こちらの者が失礼しました。なにかお探しでしょうか?」
生花と二人組の男の間に割って入って強引に会話を止めると、男たちの矛先は俺に向いた。
「失礼しましたじゃねえよ。つーかお前もガキじゃねえか。もっと上のヤツ呼んで来いよ」
「申し訳ありません、まずは私がお詫びします」
「だいたいよ、コイツなんなんだよ。髪ピンク色だし、ロクに敬語使えねえし、派手な見た目のくせにダサい丸メガネかけてるしよ。店員の教育なってねえんじゃねえのか?」
「申し訳ありません。おい生花、お前も頭下げろ」
後ろで様子を見ていた生花の頭を強引に下げさせると、男たちも少し気が収まったのか黙って立ち去って行った。
「ふう、行ったか。お前もう少し言葉を選べ。こんなんじゃこの仕事続かないぞ」
「ヒャハッ、まあそうだねえ。近くに幸四郎がいなかったら、もっと上手くあしらうくらいはしただろうさ」
「まさかお前、俺に頭下げさせるためにワザと……」
「そういうことさ。ま、今度トラブルあったらまたフォローよろしくー」
「……」
決めた。もう今月中にこのバイトは辞めよう。あんな女と一緒に働いていたら俺の精神が保たない。
【6月3日 午後9時00分】
「お疲れさまでした」
バイトの時間が終わり、着替えを終えて店を出た。生花はまだ着替え途中らしいから、また纏わりつかれる前にさっさと帰ってしまおう。
「あれー? もしかして君、さっきの店員だよねー」
「え?」
低く大きい声で呼び止められたと思うと、俺の前に二人組の男が立っていた。コイツら、さっき生花に絡んでいた客か? 関わり合いになるとまずいから無視して帰るか。
「おいおい待てよ兄ちゃん。無視はおかしいだろ」
「すみませんが、あなた方のことは知りませんので」
「知らねえってことはねえだろ? 今日会ったばかりなんだからよ」
「そうそう、ていうかその制服ってM高校のやつだよな? あそこってバイト禁止なんだろ? 学校に知られたらまずいよなあ」
「……!」
痛いところを突かれた。確かにM高校はバイト禁止で、俺は隠れてやっている。普通なら学校にバレてもそこまでお咎めはないだろうが、俺はここのところ欠席が多いし、なにかと騒動に巻き込まれているので教師に目をつけられているかもしれない。下手したら停学になる可能性もある。
「おっ、こっちの話聞く気になったか? それじゃあよ、さっきのピンク髪のメガネの連絡先教えろ。俺らちょっとアイツと話してえんだよ」
「そういうのはお断りします。プライバシーの侵害なので」
「なんだお前、見た目によらず頭かてえな。でもよ、そういうヤツはこうすると頭柔らかくなるんだよな」
そう言って片方の男が手を振り上げてくる。話し合いでなんとかなる相手じゃなさそうだ、逃げるか。
「ぐっ!」
走ろうとしたら傷がまた痛み始めた。くそっ、こんな時に……!
「おいおい、逃げるんならちゃんと逃げろよ!」
殴られると覚悟した瞬間、その手が別の小さな手に掴まれた。
「ウチの学校の先輩に何してるんだよ」
「あ? なんだお前」
男の手を掴んでいたのは、M高校の制服を着た女子だった。リボンの色を見る限り、一年生だ。
いや、そういえばあの顔は見たことがある。コイツは……
「私が誰かなんて関係ないだろ? とにかく手を下ろせよ」
「おいおい誤解すんなよ。俺たちはこの兄ちゃんと話し合ってただけだぜ?」
「なら尚更手を上げる必要はないはずだな。さっさとどこかに失せろよ」
「ずいぶん強気なガキだな。大人舐めてんのか?」
「ガキ相手に手を上げる大人は舐められて当然だな」
まずい、いくらなんでも挑発しすぎだ。ああいうタイプの人間が女子高生相手に手を止めるとは思えない。
「言ってくれんじゃねえかガキがよ!」
案の定、男はもう片方の腕で女子に殴りかかろうとしていた。だが、その直後。
「っ!?」
男の手が止まったと思うと、女子は男の首に小さな刃物を突き付けていた。
「お、お前……なにして……」
「最近は物騒だからな、女もちゃんと自衛できるようになれって周りがうるさいんだよ。だからこんなものを持ち歩くハメになってる」
「だ、だとしても、こんなの首に刺したら……」
「死ぬだろうな。ま、別にいいだろ? 私が『襲われそうだったから仕方なかった』とか泣きわめけば大した罪にはならないだろうし」
「ひ……!」
あまりの出来事に、刃物を突き付けれている男もその仲間も立ちすくんでいる。
「わ、わかった! 俺らが悪かったよ。もう帰るから、手を下ろしてくれ、な?」
「本当だな?」
「ほ、本当だ! ウソじゃない!」
「だったら先に手を後ろに組めよ。そうしたら下ろしてやる」
男は言われた通りに手を後ろに組み、仲間にも動かないように目配せした。そしてようやく、女子も手を下ろした。
「お、おい、行くぞ!」
怯えた様子を隠すこともなく、男たちは走って逃げていった。
「さて、大丈夫っすか? 柳端先輩」
「……ああ」
「そりゃよかった。ああ、私の名前は……」
「紅林だろ? 紅林鈴蘭。有名だからな、顔と名前くらい知ってる」
「へえ、そりゃ光栄だ」
紅林鈴蘭。今年の春にM高校に入学した一年生で、小柄ながら運動神経が良く、数々の運動部で助っ人に呼ばれていると有名な女子だ。短髪な上に男勝りな性格と周りから頼られている姿から、『姉御』とか呼ばれているらしい。
「助けてくれてありがとう。お礼はさせてくれ」
「いいっすけど、私がやったことは学校には黙っててくださいよ?」
「ああ。というかお前、本当に刺すつもりなんてなかっただろ?」
「……お見通しっすか?」
紅林は凄んでいたが、もしコイツが本当に刺すつもりだったら、あんなにベラベラ喋っていない。有無を言わさず刺し殺していたはずだ。本人も言った通り、『襲われたから仕方なかった』という大義名分もある。
不本意だが、俺もこれまでの経験でその一線を踏み越えようとする人間とそうじゃない人間を見分けられるようになってしまった。
「さすがっすね、さすが柳端先輩だ。あの柏恵美の関係者だけある」
「その名前を俺の前で出すな。別に俺はアイツの友人ってわけじゃない」
「すみませんね」
「ただ、お礼はしたい。明日学校で会えるか?」
「いいっすよ。それじゃ、昼休みに会いましょう。あ、連絡先も交換しますか」
いたずらっぽく笑う紅林の姿を見ると、確かに『姉御』という言葉が似合う豪快な人間のように見える。
だが、コイツの本性は別にあると、俺はこの時まだ理解していなかった。
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