翌日。
俺は始業前に先生に『忘れ物を届ける』という名目で祠堂さんのクラスを聞き出し、三年生のクラスに向かった。
三年の教室にいくと、まだ始業前であるせいか全員はいないようだ。俺は入り口の近くにいた、男子生徒に声を掛ける。
「あの、すみません。祠堂先輩ってこのクラスですよね?」
「あ? そうだけど?」
「祠堂先輩の持ち物らしき忘れ物を拾ったんですけど、どちらにいらっしゃいますか?」
「ああ、あの女ならまだ来ていないよ。いつもギリギリだし」
「はあ、そうなんですか」
「それにしても、忘れ物って何? なんなら届けてあげるけど」
「あ、いや、祠堂先輩の持ち物かどうかわからないので、直接渡します」
「……そう、それってどこで拾ったの?」
「あ、いや、下駄箱の近くの階段です」
「ふーん、わかった。あいつが来たら伝えておくよ」
「はい、よろしくお願いします」
結局、祠堂先輩がどういう人物かもわからないまま、その場を離れざるを得なかった。
※※※
……どうやら、私のことを嗅ぎまわっている新入生がいるようだ。
友人からそのことを聞かされた私は、思わず舌打ちした。
……まさか、昨日のことがバレたのか?
私は昨日、どうしようもない衝動に駆られた。
柏恵美を殺したい。柏恵美を壊したい。
だから、階段の前でこちらを誘うように佇んでいたあの女を突き落としてしまった。
だが、あの女は突き落とされる直前、こちらを見て、
確かに、笑った。
まるで期待通りの行動だと言わんばかりに、まるでこちらの思うとおりだと言わんばかりに。
それが腹立たしい。私があの女というか、誰かの意志に踊らされているようで腹立たしい。
だがそれ以上に、あの女が私を告発していないことが腹立たしかった。
どういうことだ。あの女は私をどうしたい?苛立ちが募る中、先ほど友人から新入生のことを聞かされ、さらに苛立った。
どうやら、その新入生は教師に私のことを聞いていたらしい。
そいつが私のことをどこまで知っているかはわからないが、手を打っておく必要はありそうだ。
そして、柏が退院したら今度こそ、
今度こそ……
※※※
昼休み。
俺は再び祠堂先輩のクラスに行こうとした。しかし、そんな俺の前に現れたのは、
「おや、何か進展はあったのかね? 萱愛くん」
柏先輩だった。
「……もうお怪我は大丈夫なんですか?」
「ただの打撲で済んだからね。まあ、それ以外の擦り傷や切り傷についてしつこく聞かれたが」
相変わらず、先輩は不気味ともいえる微笑みを浮かべている。
これが無ければ、綺麗な人なのに。
そして、まるで新たな怪我を負ったことを喜ぶかのように、手に出来たアザをさする。
「さて、私は人気の無い校舎裏で昼食でも摂ろうかな。誰にも邪魔されたくないからね」
そう言って、柏先輩はその場を去ろうとする。
「ちょっ……」
「柏せんぱーい!」
引き留めようとした俺の声を、高い声が遮った。
「先輩! それに萱愛くん! 一緒にご飯食べませんか!?」
いきなり俺たちに駆け寄ってきたのは、ボブカットの元気そうな女の子。
自称・柏先輩のファン、佐奈霧さんだった。
「これはこれは佐奈霧くん。お元気そうでなによりだよ」
「えへへ! それで先輩、どうですか?」
「そうだね、構わないよ。昼休みは長い。君と別れた後でもチャンスはあるだろう」
「はい?」
柏先輩の言動に首を傾げる佐奈霧さんだったが、これは好都合しれない。
俺と佐奈霧さんが一緒にいれば、犯人も迂闊に手を出せない筈。
「先輩、俺もご一緒します」
「そうかね? 君の涙ぐましい努力が実を結ぶといいね」
相変わらずこちらを挑発するかの様な言動をする先輩だったが、気にせず校舎裏に向かうことにした。
柏先輩と共に校舎裏に来た俺は、思わず顔をしかめた。
「さて、私はいつもここで昼食を摂っている。君たちもくつろぎたまえ」
そこにはどこから持ってきたのか、ボロボロのベンチが置かれていた。
そして、ベンチの後ろは崖になっており、高いフェンスで落下防止策をとっているものの、フェンスはかなり傷んでいる。
正直、いつフェンスに穴が開いてもおかしくない。とてもじゃないが、ここで昼食を食べる気分にはならなかった。
「どうした萱愛くん。座らないのかね?」
「あ、いえ、お気遣いなく」
「じゃあ、私が先輩の隣に座っちゃいますねー」
佐奈霧さんは躊躇いもなく、柏先輩の隣に腰かける。
……この人もよくわからないな。
しかし俺は、弁当を広げる柏先輩を尻目に、周囲の警戒を始めていた。犯人が事を起こすのであれば、昼休みくらいしかない筈。
授業中に教室にいなければ事件が起こった時に怪しまれるし、柏先輩は教室にいて手を出せない。
だが、この人気のない校舎裏でなら人目につかずに柏先輩を襲うことが出来る。今が最も危険な時間帯なのだ。
「あのー、なんで先輩はこんなところでご飯を食べているんですか?」
佐奈霧さんが、全く遠慮なく柏先輩に質問する。
「ふむ、それはね。ここが一番助かりにくい場所だからだよ」
「助かりにくい?」
「見たまえ。目の前の校舎は特別教室として使われるため、昼休みに誰かがいることは無い。そして、この校舎裏から出るには校舎伝いどちらかの方向にぐるりと回るしかない。しかし、その二つのルートを塞がれて挟み撃ちになったとしたら?」
「に、逃げられません!」
「そう、そして逃げ道を塞がれた私は、フェンスの前に追い詰められて思い切り押される。そして、傷んでいたフェンスが壊れ、私は崖下に転落してその命を終える。まあこうなる可能性が高いというわけだ」
「すごい! 完璧です!」
何が完璧だというんだ。思わず、俺は柏先輩に話しかけてしまった。
「先輩、冗談でもそういった発言は慎むべきです。柏先輩を大切に思っている人が聞いたら、悲しみますよ?」
「冗談で言っているわけではないよ。私の理想を言ったまでだ。尤も、『彼』は私の上をいくだろうがね」
……結構、柏先輩の間違いを正すには骨が折れそうだ。
その時、気づいた。
校舎の端から誰かがこちらを見ている。目を凝らすと、女生徒が俺たちのいるベンチを見ている。
いや違う、あれは柏先輩を見ている。
女生徒は俺に気づかれたことを察したのか、校舎の陰に隠れてしまった。
怪しい、これは怪しい。
「先輩、ちょっとトイレに行ってきます」
「ん? そうか」
俺は適当な理由をつけて、その場から離れて女生徒を追うことにした。
まさか、今のが祠堂先輩か?
もしあれが祠堂先輩であれば、柏先輩を見ていた理由は……
「ちょっといいですか?」
俺は校舎の陰に隠れていた女生徒に声を掛ける。
「な、なによ?」
リボンの色は三年生だということを示していた。
やはりこの人が?
「柏先輩になにか用ですか?」
「べつに。ただ、あの『カカシ女』が誰かとお昼を一緒にしていたから珍しくて見てただけ」
『カカシ女』。たしか柏先輩のあだ名だったな。
「人をそういうあだ名で呼ぶのは良くないですよ」
「なにアンタ? 優等生気取り?」
「そういうつもりじゃありません。あなたの間違いを正そうとしているんです」
「はあ? アンタ何様よ?」
……いまいち話が進まない。
もしかして本当に珍しくて見ていただけなのか?
「萱愛くーん!」
そうこうしているうちに、佐奈霧さんがこちらに来た。
「さ、佐奈霧さん?」
「柏先輩がそろそろ教室に戻るって。あれ? この人は?」
「あ、ああ。ちょっとね……」
「全く、なんでイノリもこいつらを見張ってろなんて……」
「え?」
俺がその言葉に反応すると、女生徒はしまったと言わんばかりの反応を見せた。
「祠堂先輩にここで見張っていろって言われたんですか?」
「いや、その」
「答えてください! 祠堂先輩はなんでそんなことを?」
「知らないわよ。どうせあの女が気に入らないからでしょ」
やはり祠堂先輩は柏先輩に敵意を抱いていた。もしかしたら、暴力も振るっていたのかもしれない。
そこまで考えて、気づいた。
佐奈霧さんがここにいるということは、柏先輩は今一人でいる。
そしてもし、この人が囮だとしたら?
……まずい!
「佐奈霧さん! 急いで戻ろう!」
「え?」
「柏先輩が危ない!」
俺たちは、急いで校舎裏に戻った。
女生徒がいた場所から校舎裏に戻った俺たちが見たものは。
「い、いない!?」
誰一人座っていない、ベンチのみだった。
「あれ、先輩もう戻っちゃったのかな?」
「違う! たぶんどこかに連れて行かれたんだ!」
「え、ええ?」
戸惑う佐奈霧さんを後目に、俺は先ほど女生徒がいた場所とは反対側に走る。
「ま、待ってよ!」
佐奈霧さんが俺についてくる。
それにしても迂闊だった。せめて佐奈霧さんにも事情を話しておくべきだった。
後悔しながら、俺は校舎の角を曲がる。そこには。
「あれ、君何してるの?」
「せ、先輩?」
今朝、俺が声を掛けた男子生徒が立っていた。
「えっとその、柏先輩を見ませんでした?」
「え? ああ、あいつならさっき向こうの校舎に行ったよ。祠堂も一緒だったかな」
「そ、そんな!」
なんてことだ、祠堂先輩と一緒にいる!?
まさかもう、柏先輩は……
いや、まだだ。まだそうと決まったわけじゃない。
俺は急いで、男子生徒が指し示した校舎に向かうことにした。
※※※
やはり手を打っておいて正解だった。
おかげであの新入生を引き離すことには成功したし、あいつがここに来ることもないはずだ。
「くふふ、随分と彼を警戒するのだね」
目の前の『カカシ女』は、相変わらず挑発的な微笑を浮かべている。
腹立たしい、実に腹立たしい。だがそれも今日で終わりだ。
私は今から、この女を殺す。
そうしなければならない。そうでなければ、私はこの女から解放されない。
そうだ、二年前のあの時からそうだったんだ。
二年前、私はこの学校で中学生が屋上から飛び降りるのを目撃した。
人間が死ぬ瞬間を見たことなど無かったし、かなりショッキングな光景だったのであの時のことはよく覚えている。
だが、さらに衝撃だったのはその直後のことだ。
屋上からある女がまるで起こっては行けないことを見るかのように、中学生の死体を見つめていた。
私はその時、その女に釘付けになってしまった。
なんと表現すればいいのだろう。執着というか、こだわりというか。
そう、なんというか私はその女を傷つけなければならないような衝動に駆られた。
そして、その女が同じ学年の柏恵美だということを知った後、私は柏を猛烈に意識するようになった。恋愛とは違う。どちらかというと、獲物を狙うような感覚に近かった。
そしてその衝動は今年の春になって一気に増大した。
友人たちとともに、言いがかりをつけては柏を攻撃した。だが自分ではわかっていた、柏を攻撃するのに特に理由など無いことに。
自分が自分でないようだった。私の意志と衝動が一致していない。
なぜなら、柏をいくら攻撃しても私の衝動が満たされなかったからだ。
もはや私には、この女を殺すくらいしか衝動を満たす手段が見つからない。それしかないのだ。この女から解放されるには。
「……随分といい目になったね祠堂くん。そんなに私を……」
「黙れ! それ以上言うんじゃない!」
私は私だ。私の意志でこいつを殺すんだ。
決して、この女や他の誰かに踊らされているんじゃない。
ここなら誰も来ない。あの新入生も来るはずがない。
私は手にした木刀を握りしめ、柏に近づく。
「柏先輩!」
だが、突然の大声が私の行動を阻む。振り返ってみると。
「やはり、ここにいましたか……祠堂先輩!」
私を嗅ぎ回っていた新入生が立っていた。
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