【21年前 5月30日 午後2時30分】
オファーを受ける返事をした数日後、俺とマネージャーは打ち合わせのためにG県警察本部を訪れていた。
受付で手続きを済ませて応接室で待機すること十数分。黒髪を後ろに流した中年の男とその部下らしき若手の警官が入ってくる。中年の男の方が前に出て俺たちに名刺を出してくる。
「初めまして、私はG県警察本部警備部長の柏恵介と申します。今回はよろしくお願いします」
どうやらこの男が資料に書いてあった警察側の責任者のようだ。名刺には確かに『警視正 柏恵介』と書いてある。だが俺はその肩書きや階級以上に柏に関して気になることがあった。
警官とは思えないほど小柄だ。
別に俺も大柄というわけじゃないが、その俺と比べても10センチくらいは背が低い。警官には確か身長制限があったはずだが、それをクリアできるかどうかくらいに背が低い。
「おい何してる! お客様にお茶くらい持ってこい!」
「し、失礼しました!」
柏は仕事相手である俺たちの前で平然と部下を怒鳴り散らし、飲み物を用意させていた。小柄さを補うほどに上に立つ者としての器がデカいのかと思ったがそういうわけでもないようだ。
「申し訳ありません、早速ですが本題に入りましょう。ご存じかと思いますが、近ごろ県内におけるイベントにおいて爆発物騒ぎが多数発生しておりましてね。今回私共が考えておりますのは県内でのイベントや催事における危険物対策のコマーシャル動画となります」
「なるほど。ですが白樺は犯罪者の役を演じることが多いので、犯罪対策のコマーシャルとしては不向きではないでしょうか?」
マネージャーの質問は警察への気遣いというより、事務所の『商品』である俺のイメージが損なわれる可能性を指摘している。俳優という仕事が実際の人間性ではなくイメージを売っている以上、それを考えるのは当然だ。
「実は私も白樺さんの出演作をいくつか拝見させていただきましたが、テロリストの役を多く演じているそうですね。ですので警察に捕縛されるテロリスト役としてはいい啓蒙になるかと」
柏はにこやかに笑っているが、どうやらコイツは演技も下手なようだ。
今のコイツの発言は『お前を警察の威信のために見せしめにする』と言っているようなものだ。俳優である俺のイメージダウンなど知ったことではなく、むしろ無様に逮捕される犯罪者の末路を知らしめるのにお似合いだと言っているのだ。そう言われてこちらがどういう印象を抱くかなど何も考えていない。
コイツは権力者だが、権力しかない。権力を笠に着ているというより、それ以外に何も持っていない。だからもう権力に縋るしかない。
嫌悪感を通り越して憐れみすら感じるが、それを表に出さずに笑うくらいは朝飯前だ。
「はは、光栄ですね。県内の安全を保つ手助けとしてお役に立てるよう、頑張ります」
どうせコイツと仕事するのは一度きりだろう。そんな程度の相手をいちいち嫌っていたら俳優なんて務まらない。
どちらにしろ大きな仕事であることには間違いないんだ。利用できるものは利用してやる。
「それで私どもの方のスケジュールなのですが……」
柏が書類を机に広げようとした時、ノックの音が室内に響いた。
「し、失礼します柏部長!」
柏の許可を得る前に30代半ばくらいの男が気まずそうな表情を浮かべて入ってきていた。
「会議中だぞ! 許可もなく中に入ってくるとは何事だ! それでも警察官か!?」
「申し訳ありません! ですが、その……」
「言い訳をするな! お前は確か……捜査第一課の真田だったか? 用件なら後で聞く。とにかくさっさと……」
「……失礼します……柏部長……」
既に開いている扉をノックしながら、今度は真田の上司らしき男が入ってきた。一見しょぼくれた皺だらけの顔と、白髪を真ん中で分けた髪型、くたびれたスーツといった外見が与えてくるのは『ショボいおっさん』という印象だった。
だがそんな外見にも関わらず、男の立ち姿は異様なまでの威圧感を放っていた。身体が大きいわけでも目つきが鋭いわけもないが、まるで床から頭にかけて一本の大きな柱が立っているような、そんな揺るぎなさが感じられた。仮にこの場にいる全員に襲い掛かられてもコイツはまるで動じずに全員を撃退するのではないかとすら思ってしまった。
同じ中年の警官でも権力しかない柏とは違う。警察官という力を誇示するまでもなく、ただその場に立っていればいいと思わせる独自の存在感がコイツにはある。
「斧寺……!!」
なにより柏の嫌悪と苛立ちとわずかながらの恐怖が混じった表情が、斧寺と呼ばれた男が持つ力を物語っていた。
「柏部長……その、白樺氏が……友人で先輩です、ので、少しお時間、お願いしたいのです」
「は?」
斧寺が何を言ったのかはわかったが、何が言いたいのかは全くわからなった。
俺や柏の態度を見て自分の意図が伝わってないと察したのか、斧寺は横にいる真田に目配せする。
「すみません、斧寺課長は『白樺氏は私の友人の先輩でして、この会議が終わった後に少し挨拶をしたいのでお時間よろしいですか?』と仰りたいんですよ。そうですよね?」
真田のフォローを受けて斧寺が頷く。なんで今のでわかったんだコイツ。
しかし斧寺の顔を見ながら過去の記憶を探ってみても、この男と出会っていた覚えはない。間違いなく初対面だ。なのにわざわざ俺と話したい理由がわからない。
斧寺は右手で自分の右肩を数回叩いた後、改めて柏に話しかける。
「お願い、できますか?」
「……そこまでかからないから廊下で突っ立ってろ」
それを見た柏はなぜか苦々しい表情を浮かべながらも、斧寺の申し出を受け入れた。
【21年前 5月30日 午後3時16分】
「本日はありがとうございました。それでは後日改めて伺わせていただきます」
「……ええ、ありがとうございました」
打ち合わせは警察側が要請する表現や予算、スケジュールなどの説明と資料を受け取り、こちらの事務所で会議を行った後に改めて制作の打ち合わせを行うと伝えて終了した。
終わるやいなや柏は不機嫌さを隠そうともせずに部屋を退出してしまった。仮にも客人である俺たちを見送る気はないらしい。
部屋の外にも柏の姿が完全に見えなくなったのを確認した後、マネージャーが呆れたように口を開いた。
「……なんだか気難しそうな方でしたね」
「ふん、権力者なんてあんなもんだろ。さっさと行くぞ」
元より警察と気持ちよく仕事出来るなんて思っちゃいない。今日はもう仕事はないし、帰って酒でも飲むかと考えていると、後ろから声をかけられた。
「すみません……白樺隆氏、ですね?」
「ん? ああ、あなたはさっきの……」
後ろを見ると、先ほどの斧寺と真田という警官が立っていた。そういや、話がしたいとか言ってたな。
「私は、その、あなたの後輩の方に知り合ったので、少しよろしいでしょうか?」
「……えーと、すみません、どういうことですか?」
「あの、斧寺は『あなたの後輩と知り合いまして、あなたについて興味深い話を聞いたので、少しお話をさせてもらいたいのですが、よろしいですか?』と言いたいのです。説明不足で申し訳ありませんでした」
「……そういうことです」
いやコイツ口下手すぎるだろ。仕事で会話できてるのか?
「じゃあ白樺さん、私は先に事務所戻ってますよ」
「おう」
マネージャーがエレベーターに向かうのと同時に、斧寺は隣にいた真田に視線を向けた。
「はい、わかりました。私も戻ります」
何も言われていないにも関わらず、真田は斧寺の意図を察してこの場を離れていく。いや待て、いくらなんでもここまで口下手なオッサンと二人だけでまともに会話するなんて無理だぞ。
戸惑っていると、斧寺は先ほどとは打って変わってハッキリした声で話し始めた。
「真田には非常に助けられているのだよ。口下手な私の意図を、上手く他人に説明してくれる」
「え?」
「そう警戒しないでくれたまえ、ここからは真田抜きでも君と会話してみせよう。ついてきたまえ」
……なんだこの妙に芝居がかった口調は? もしかしてこれがコイツの素なのか?
得体の知れない不気味さを感じてはいたものの、俺は斧寺に連れられて廊下を進んでいった。
【補足情報】
柏恵介→柏恵美の実父
真田平一→棗香車の実父
斧寺霧人→萱愛小霧の祖父
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