柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第六話・3

公開日時: 2020年9月16日(水) 22:07
更新日時: 2020年9月23日(水) 13:23
文字数:3,928


 俺たちと道秀さんの父親との打ち合わせは、意外なほどスムーズに終わった。

 道秀さんの父親はえらく柏を気に入り、柏にアパートの一室を格安で貸し、仕事を用意しただけでなく、俺が提示した、「一週間に一回、俺に様子を伝える」という約束も守ってくれるそうだ。柏の精神的なケアも積極的に行うと言ってくれた。

 ……それについては、正直どうでもいいが。

 とにかく、このまま柏がおとなしく遠くの街に行ってくれれば、香車の未来は安泰だ。

 それにしても――


「……あんた、敬語が使えるんだな」

「おや、私はもう高校生だよ? 敬語ぐらい使えるさ」

「喫茶店では、使わなかっただろうが」

「ふむ、これを変えるのはとても疲れるのだよ」


 やはり、俺ではこの女を理解することは一生出来ない。

 まあ、この女ともこれでお別れだ。俺たちが高校に入る頃には香車も元通りになるはずだ。

 念のために、バイトしながら高校に通って香車を一人暮らしさせよう。そのためにも、柏をここで逃がすわけには行かない。


 俺と柏は恋人同士という設定なので、同じ部屋にしてもらった。


「……これでよし」


 寝る前に、あらかじめ用意していたロープで、柏の腕を後ろに縛る。布団にもぐってしまえば腕は見えないし、万一見つかったとしても、そういう趣味だと押し通す。

 後は柏の携帯電話を没収し、俺のポケットに入れた。


「いやあ、本当に君が『狩る側』でないのが惜しいよ」


 柏の戯言を聞き流した後、俺は疲れていたせいかすぐに眠ってしまった。




 翌朝。


 俺は目覚めた後、隣にいる柏を見る。


 ――はずだった。


 そこには、柏を縛っていたはずのロープだけが残されていた。


「……なんだとっ!?」


 思わず叫んでしまう。

 なぜだ!? 後ろで腕を縛っていたんだ、口で噛み切ることは不可能だ。それ以前に、ロープは刃物で切られていたように綺麗な切り口だった。

 バカな! まさか道秀さんたちが見つけて、ロープを切ったのか!?

 いや待て、ここにロープがあるということは、ここで切ったんだ。つまりここで縛られた柏を見つけたんだ。ということは、俺を問いたださないのはおかしくないか?


 さまざまな可能性を考えるがそれどころではなかった。

 柏はどこへ行った!? まさか香車のもとへ――?

 俺は急いでリビングに行き、そこにいた道秀さんの母親に問いただした。


「あら、恵美ちゃんならちょっとこの街を見たいとかで、早朝に出て行ったわよ」


 まずい! 柏はすでに動き出している。くそっ! 今まで俺の言うことを素直に聞いていたのは、これが狙いだったのか!?

 そもそも誰だ? 柏を解放したのは?

 道秀さんの母親は俺に何か問いただす様子はなかった。彼女は縛られた柏を見つけていない。そういうことだ。


「そういえば、恵美ちゃんの後に道秀も出て行ったわね」


 道秀さんが? 柏の後に?

 ――待て、考えろ。

 道秀さんは、縛られた柏を解放できた。さらに、柏がこのままここに戻らないつもりなら、つまり殺されるつもりなら、柏と一緒に外出したら、その人物は疑われる。そして道秀さんは、柏とは別に外出した。

 そうなると、まさか――


 道秀さんは、柏の目的を知った上であいつに協力した!?


 しまった!

 忘れていた、柏の異常なまでの影響力を。もし、道秀さんが柏に影響されていたとしたら……


 柏を香車の元へ連れて行く。


 いや待て、柏の携帯電話は俺が持っている。香車とはそう簡単に連絡は……



 その時、俺の携帯電話が鳴った。画面を見ると、発信者は黛だった。


「黛か? すまない、不測の事態が……」

『柳端! まずいわ、よく聞いて!』


 電話口から発せられた言葉は――



『棗香車が××町に来ている!』



 考えうる限り、最悪の言葉だった。



 ※※※



「さて、君には駅まで案内してもらおうか、長船くん?」

「あ、ああ……」


 やってしまった。

 俺は何をしている? 幸四郎の彼女を黙って連れ出して何をしている? いや、そもそもこの女が幸四郎の彼女だというのは最初から違和感があった。幸四郎はああ見えて真面目な奴だ。どちらかというと、まっとうな人間が好きなタイプだ。どう考えても、こんな不思議な奴はタイプではない。


 さらに昨日、幸四郎が風呂に入っている最中。俺は柏恵美がいる部屋から物音がしたので中に入った。


 そこには腕を縛られた、柏恵美がいた。


 思わず何事かと叫びそうになったのを遮られた。


「大声を出さないでくれるかな? 彼に気づかれてしまう」

「こ、幸四郎のことか? あいつがあんたをこんな……?」

「ふむ、彼は私を敵視しているようだ。全く、獲物である私をそんなに警戒する必要が、あるとは思えないがね」

「え、獲物? 何を言っているんだ?」

「そのままの意味だよ。私は獲物。『狩る側』に狩られる存在だ」

「狩られるって、幸四郎があんたを殺すっていうのか!?」

「違うよ、『狩る側の存在』は他にいる。私はその彼を待っているのさ」

「ま、待て。あんたが言いたいのって……」

「ふむ、直截的な表現がお望みかな?」


 そして、柏恵美は――



「私は殺されることを望む獲物」



 俺の理解を超えた発言を放った。


「そう言っているのだよ」


 発言を強調するかのような言葉に、我に返る。


「あんた……自殺志願者なのか?」

「少し違うな。私は自分に殺されたいのではない。『狩る側』に殺されたいのだよ」

「なんで死にたいんだよ? ここに来た理由と関係があるのか?」

「わからないかな? 私は容赦ない絶望に突き落とされたいのさ」


 いまいち会話がかみ合わない。だが、何だろう。こいつは殺されたいと言っているのに――


 なぜ、ここまで生きる活力に満ち溢れているように見えるのだろう。


 まるで俺とは間逆だ。

 最近では死ぬことばかり考えていた俺だが、本心ではこのまま死にたくない気持ちでいっぱいだ。

 死にたくないのに、死んだような生活を送っている俺と……

 殺されるために、生きようとしている柏。


 もしかしたら、こいつの生き方は俺に何かを示してくれるかもしれない。


 そうこう考えているうちに、柏が次の言葉を口にした。


「さて、君は私に興味があるようだ。そこで君にお願いがある」

「お、お願い?」

「私に協力して欲しい。言い換えるなら、私を殺させる手伝いをして欲しい」

「なっ!?」

「心配はいらないよ。あくまで私を殺すのは、『狩る側』である彼だ。君はただ、私を彼の元まで送り届けてくれればいい」

「……送り届けるだけで、いいのか?」

「ん?」


 俺は何を言おうとしている? 

 もしかして、見たいのか? こいつが殺されるところを見たいのか?

 こいつが目的を果たすところを見たいのか?


 その場に立ち会うことで、俺の人生を特別なものにしたいのか?


 自分の思考がまとまらないまま、口から言葉が出た。


「俺が舞台を用意しようか? あんたが殺される舞台を」


 その言葉を聞いた柏は、より一層不気味な微笑を浮かべた。


「くっくっくっ、いいねえ、君は期待以上だよ」


 何の期待かわからなかったが、その後俺は柏に言われた通り、幸四郎が寝静まった後に柏のロープを切り、早朝に家を出た。


 そして柏と合流し、今に至る。


「ああわかった、すぐに向かうよ」


 柏はやけにゴツい携帯電話を鞄にしまう。


「長船くん、駅はやめだ。市立図書館に向かってくれ」

「あ、ああ。図書館か、そこに何かあるのか?」

「ふふ、まるで久しぶりのようだなあ、彼に会うのは」


 その時の柏は、まるで恋する乙女のようだった。



 ※※※



 最近の携帯電話には、位置情報を提供する機能がある。

 柏さんは、事前に自分の携帯電話の位置情報が僕に分かるようにした。僕は自分の携帯電話で柏さんの位置を知り、この××町にやってきた。駅の改札を抜けて、バスロータリーの前に着くと、ポケットからメモを取り出す。


 柏さんの、衛星電話の番号が書いてあるメモだ。


 彼女は僕に二つの電話番号を渡していた。先ほどから、柏さんの位置情報は動いていない。つまり、電話が幸四郎に没収されている可能性が高い。だから、衛星電話の方にかけることにした。


 だが、その直前、視線を感じた。


 僕がその方向を見ると、視線の主は慌てて目を逸らした。だが、その人が僕を驚愕の目で見ていたことは見逃さなかった。誰だろう。知らない人だ、だが高校生のように見えた。


 長い黒髪の女性と、茶髪の二つ結びの女の子。


 いやな予感がしたので、その場から離れてから柏さんに連絡する。彼女はすぐに出た。


『ああ、香車くんかね。今から電車でそちらに向かうよ』

「柏さん、僕はもう××駅にいます」

『おお! 私を追ってきてくれたのか。嬉しいなあ、ではこのまま駅に……』

「待ってください。さっき駅で、長い黒髪の女性と小柄な女の子が僕を見ていました。柏さんの関係者ですか?」

『おや、おそらくその二人は私の友人だよ。だとしたら、このまま駅に向かうのはまずいかな?』

「はい、とりあえず僕は市立図書館に向かいます。そこで合流しましょう」

『ああわかった、すぐに向かうよ』


 電話を切った後、バスに乗り込む。……どうやら思ったより、障害は多そうだ。

 まあ――




 いざとなったら、全員「狩る」。




 ※※※



 柳端幸四郎があの提案をしたのは偶然だった。

 だが、私が長船道秀を協力者に指名したのは偶然では無い。私は柳端くんを調べていくうちに、長船くんにたどり着いていた。資産家の息子である彼にたどり着いていた。

 やはり香車くんが『狩る側』と言っても、彼はまだ中学生だ。どうしても、活動に限界がある。だからこそ、必要だった。


 彼の協力者が。


 そして長船くんは、それにうってつけの人材だった。

 そう――


 「非日常」を望む存在だった。


 集まっている。役者がこの町に集まっている。

 そして幾多もの障害を越えて、彼が私を狩りにくる。このためだ。私はこのために生きてきた。

 私の終わりが近いことを感じながら、思い出す。



 ――私が「生まれた」十年前の出来事を。




第六話 完

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