そして現在。俺は閂先輩が働くレンタルビデオ店を訪れている。『試験』の内容を振り返った俺は、改めて閂先輩に質問した。
「先輩、確認しますが綾小路さんはあのレジにいる店員さんで間違いないですね?」
質問に対して先輩は無言で頷いた。しかしこの質問に対した意味は無い。正直なところ、俺は躊躇しているのだ。綾小路さんに声をかけることを。
当然だ。向こうは俺のことなど知らないし、当の俺も彼女を実際に見るのはこれが初めてだ。そんな全く面識の無い人間に声をかけるのは相当な勇気がいるし、声をかけられる方もあまりいい気はしないだろう。一歩間違えれば俺がストーカー扱いされる。
どうしたものかと考えていると、まさかの事態が起こった。
レジにいたはずの綾小路さんが、いつの間にか俺たちのいる場所にまっすぐ歩いてきている。
まずい、知らぬ間にジロジロ見ていたのかもしれない。だから俺のことを注意しに来たのかも……
だが、綾小路さんの口から出たのは予想外の発言だった。
「ちょっと閂さん、なに無駄話してんの? アンタただでさえキモい見た目してんだからさー。仕事くらい真面目にやってくんない?」
なんと綾小路さんは客である俺の目の前であるにも関わらず、閂先輩を公然と罵倒し始めた。
「ひひひ、すみません綾小路氏。在庫のチェックは終了したものですから……私としても話が弾んでしまったのですよ」
「言い訳はいいから。それにそのキモい口調も辞めてくんない? ていうかさっさとこのバイト辞めてくんないかなー? あんたみたいなのがいるとアタシまでなんか同類に思われんじゃん。もっと人の迷惑考えてよ」
な、なんなんだこの人は。さっきから彼女の発言は明らかに閂先輩への攻撃だ。自分の都合だけを考えた発言だ。こんなことを本人に、しかもこんな公の場で言っていいわけがない。
だから俺は、口を挟んでしまった。
「ちょっと待ってください!」
「はあ? なにアンタ?」
「閂さんの後輩の萱愛という者です。仕事中の先輩に声をかけてしまったのは俺ですし、先輩は何も悪くありません。それに、いくらなんでも貴方は言い過ぎだと思います」
他人が自分の考える正義に反すると、直ぐに首を突っ込んでしまう俺の悪い癖。だけど閂先輩をここまで罵倒されたとなったら、俺も黙っていられなかった。
「あれ、もしかしてアンタ閂さんの彼氏?」
「え?」
「アンタ閂さんの後輩ってことはM高でしょ? この店あの高校から結構離れてるけど、それなのにわざわざ閂さんに会いに来るって事はそうなんでしょ?」
「あ、いや……」
改めて俺と閂先輩の関係を説明するとなると難しいことに気づいてしまったため、口ごもってしまった。そして先輩は俺と綾小路さんを薄笑いを浮かべたまま見つめるだけで何も言わない。
「きゃははは! なにアンタこんな人と付き合ってんの!? ウケルんだけど! え、なに、アンタブス専? うーわあ、よかったね閂さん、アンタみたいな人を選ぶ趣味悪い男がいてさ! きゃはは!」
なんだなんだ、なんなんだ!? 俺とこの人は初対面だぞ。なんで今さっき会ったばかりの人間にこんなことを言えるんだ?
「ちょっと失礼じゃないですか? 貴方に俺と閂さんの関係をあれこれ詮索される筋合いはありません!」
「ごめーん。アタシさ、アンタや閂さんみたいな人にはつい本当のことを言っちゃうタイプなんだよね。そんな怒んないでよ。それにアタシは閂さんのことを祝ってやったんだからいいじゃん」
……なんだろう、この全く話が通じない感覚。今までに出会ったことのないタイプの人間。本当に俺はこの人を救えるのだろうか。
「おい、カヨコ」
その時、乱暴な口調の低い声が綾小路さんの名前を呼んだ。声がした方向を見ると、ヘアワックスで整えた髪を弄りながらやたら攻撃的な表情をした若い男が店に入ってきていた。
「……またアンタ? いい加減にしてくんない? アンタとはもう終わったって言ったじゃん」
綾小路さんもまた声の主を確認すると、眉間に皺を寄せて明らかに不機嫌な表情をした。間違いない、閂先輩が持っていたもう一つの写真に写っていた人物。綾小路さんの元彼氏、剣崎赤礼だ。
「終わったかどうかは俺が判断すんだよ。お前にそんな権利はねえ。わかったらこの前のふざけた発言を取り消せよ」
「はあ!? 勝手なこと言わないでよ! アタシはアタシが付き合いたいと思った男と付き合うし、別れたいと思ったら別れるのは当然でしょ!? アンタとは付き合いたいと思えなくなったの。だから終わり。わかったらとっとと消えて」
バイト中、しかも俺と閂先輩の目の前で喧嘩を始める二人。しかも俺からすれば剣崎くんと綾小路さんの両方の言い分に納得が出来ない。二人とも自分勝手すぎる。相手のことを全く思いやっていない。本当に付き合っていたのかと疑問に思うほどだ。
「……綾小路さん、レジが混んでいるんで戻ってもらえますか?」
「あ、ごめーんコウくん! すぐ戻るよー!」
レジの方から綾小路さんを呼ぶ声が聞こえてきた。どうやら他の店員が彼女にレジに戻れと言っているようだ。
いや、ちょっと待て。今の声って……
「あ、あれ、柳端?」
「……萱愛? 何してるんだこんな所で」
レジにいたのは、俺と同じM高校の二年生、柳端 幸四郎だった。
「や、やな……」
「済まないが、見ての通り今は忙しい。話は後にしてくれ」
「わ、わかった……」
綾小路さんがレジに戻り、柳端と共にお客さんへの対応に回る。しかし二人を見ると、綾小路さんが不必要なほどに柳端に接近しているように見えて、さらに柳端自身はそれにうんざりしているようだった。
剣崎くんはレジが混んでいて綾小路さんに声をかけられないことを悟ったようで、舌打ちをして店を出ていった。
「おやおや、柳端氏とは知り合いだったのですね……?」
「え、ええ、まあ……」
柳端幸四郎。俺と同じ中学の出身で、一年の時に同じクラスだった男。入学した時は髪が長くやつれていたが、今は髪が短く刈られていて、爽やかな印象を受ける。
しかし彼はある事件がきっかけで、一時期不登校になっていた。俺もその事件に少し関わっていた関係で、柳端のことは気にかけていた。だがどうやらアルバイトが出来るほどには快復したようだ。……まあ、アルバイトは校則で禁止されているはずだが、それを指摘するのも野暮だろう。
柳端がこの店で働いていたのは意外だったが、今は綾小路さんのことだ。どちらにしろ俺に対する彼女の反応はあまりよくないし、俺も彼女にあまりいい印象は抱けなかった。
どうすれば彼女を剣崎くんから救えるのか。今の俺には、それがかなりの難題に思えた。
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