柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第三十二話 理解できてしまった

公開日時: 2024年10月10日(木) 20:20
文字数:3,031


 【7月30日 午前11時03分】


 何が起こっている?

 おそらくは部屋の反対側にいるまゆずみも同じ考えを抱いているのだろう。あの顔は事態を全く呑み込めていないという顔だ。俺と同じように。

 あの木之内きのうちという男が『斧寺おのでら霧人きりひと』に成りきっているのはわかっていた。つまり唐沢からさわの目的は柏から斧寺霧人を引き離し、木之内に『斧寺霧人』を乗り移らせて復活させる。それが全てだと思っていた。


 だが現実には、唐沢は復活した『斧寺霧人』を自らの手で刺している。


「お、お前は……何がしたいんだよ……!?」


 いくらなんでも理解ができない。あれほどまでに斧寺霧人の復活に執着していた男が、自分でそれを無に帰すようなマネをするはずがない。


「何がしたいって? 柳端やなぎばたくんにも黛さんにも話したはずだけどねえ、私は霧人先生を柏さんから解放したいんだよ」

「じゃあなんでお前は……せっかく復活した『斧寺霧人』を刺しているんだよ!?」

「ぐ、あ……か、唐沢、くん……」


 『斧寺霧人』は痛みに顔をしかめながらも、尚も唐沢の名を呼んでいる。にも関わらず、唐沢の視線は冷たかった。


「……やっぱり君は霧人先生じゃないよ。やぐらくん」

「そんな、はずは、ないのだよ……だって君が……言ったじゃないか……私は『斧寺霧人』だと……君が私にそう言ったんじゃないか……」


 『斧寺霧人』の言葉で俺は自分の認識が誤っていたことを理解した。

 かしわから斧寺霧人が失われ、代わりに木之内の身体に宿ったわけではなかったんだ。この部屋にある斧寺霧人やG県警察に関する資料を読み込んだ木之内は、唐沢の「言葉通り」に自分を『斧寺霧人』だと受け入れただけだったんだ。

 しかしそこまで理解できても、唐沢の行動は理解できない。


「君は私を『アキヒト』とは呼んでくれない。霧人先生はそう呼んでくれたけど、君はその呼び名の意味も理解しなかった。なら君は霧人先生じゃない。ああそうだ。霧人先生はもうこの世にいない。これが『絶望』でなくて何なんだ?」


 唐沢が『絶望』というワードを出したことで、違和感が生じた。

 斧寺霧人や唐沢にとって『絶望』というワードはむしろ好ましいものだ。そして今、唐沢は斧寺霧人はもうこの世にはいない状態こそが『絶望』と評した。つまり、唐沢は霧人に会いたいと願っているが、霧人がもうこの世界にいてほしくないとも思っている。


 それらの要素と、唐沢の行動をつなぎ合わせた結果、俺はある可能性に思い当たった。


「お前……まさか……!」


 思えば唐沢は『斧寺霧人を柏恵美えみから解放したい』と言っていた。それはつまり……


「お前は……最初から斧寺霧人が柏の中にいるなんて話を信じていなかったのか……!」


 俺の言葉に黛が目を見開いて反応する。


「ど、どういうことよ……!?」


 何を言っているのか理解できていなさそうだったが、無理もない。俺もまだ完全には理解できていない。

 だが先入観を捨てて考えていけば、むしろ唐沢は斧寺霧人が柏の中にいると信じていない可能性の方がよほど現実的だ。

 なら唐沢の目的とは何なのか? 斧寺霧人が既にこの世にいないと考えているなら、『斧寺霧人を解放する』とは何を意味するのか。


「信じるも何も、私は霧人先生のご自宅にも伺って、お線香を上げさせてもらったからね。霧人先生が亡くなったと受け入れるしかなかったよ」

「なら、お前は斧寺霧人を復活させたいのではなく……」


「私はねえ、霧人先生をちゃんと死なせてあげたいんだよ。この世界から完全にね」


 コイツの目的は最初から、柏恵美の中に『斧寺霧人』がいないと確定させることだったんだ。


「二年前に小霧こきりくんから柏さんのことを聞かされた時、耳を疑ったよ。なにせ霧人先生が命がけで守った女の子が霧人先生と同じ口調で同じ考えを持っていると言うんだからね。だけどいくらなんだって霧人先生の意識が彼女の中に入り込んでるはずがない。私だってそう思ったさ」


 そう、それが常識的な考えだ。誰だってそう考える。しかしそこに、ある可能性が加われば。

 

「だけど、もし。もし本当に、霧人先生が柏さんの中にいるのだとしたら……霧人先生がまだこの世界にいて、私の前に現れてくれるかもしれない! その可能性がほんの少しでも残されていたら! 私にはもう他の選択肢なんてないんだよ」


 『死んだはずの大切な人間にもう一度会えるかもしれない』という可能性が加われば、その常識的な考えなど容易に覆すほどの力がある。


 いつの間にか唐沢の表情は何かに縋りつくような引きつったものに変わっていた。


「知ってしまったら試すしかないじゃないか……もし、万が一にでも、霧人先生ともう一度会えるかもしれないなら、私に試さないなんて選択肢はない。だから柏さんの周りからあらゆる人間を排除して、私の前に現れたら、彼女が霧人先生としての記憶を取り戻して私をまた『アキヒト』と呼んでくれるんじゃないかと思ったんだ」


 ああ、ちくしょう。わかってしまった。今になってコイツの考えを理解できてしまった。

 コイツにとって斧寺霧人がどういう存在だったのかなんて知らない。だけど少なくとも、『大切な人間』だと思えるほどに大きな存在だったんだ。そしてその大切な人間がある日突然いなくなったその喪失感を、俺は身をもって知っている。


「だけどこの間、私の教室で柏さんと出会った時に思ったよ。この子は口調や考えこそ霧人先生と似ているけど、全くの別人だとね」


 その言葉の後、唐沢の表情が今度は怒りに染まる。


「もしかしたら! もしかしたら霧人先生がまだ生きているんじゃないかと思ったさ! だけど実際に私の前に現れたのは霧人先生とは程遠い小娘だった……『絶望』で人を救おうとしていた霧人先生を! よりによってあんな偽者がガワだけ真似て私の前に現れたんだ……!」


 そして唐沢の怒りは事態を見守っていた柏に向く。


「わかるかい? 私にとっちゃ、柏恵美という存在そのものが、脆くて中途半端な『希望』なんだよ」


 これこそが、唐沢が柏を激しく憎む理由だったんだ。


「『絶望』こそが人を救う。そう仰っていた霧人先生を、よりにもよって柏さんは中途半端な『希望』という形でこの世界に留めたんだよ……! 許せるはずがないだろう? だから私はやぐらくんを霧人先生に仕立て上げて、彼女の化けの皮をはがしてやろうと思ったんだ……そして今、柏さんの中にもやぐらくんの中にも、霧人先生はもういないと確信できた。そして柏さんたちもいなくなれば、私は完全に『絶望』できるんだよ!」


 考えてしまう。もし俺の前に、香車きょうしゃの口調や上っ面の考えだけを真似た男が現れたとしたら、俺は怒りを抑えられていただろうか。更には俺は実際に香車の幻影に縋りついて『成香』に成り果てた。だから理解できてしまう、唐沢の狂気とも言える行動には、筋道の通った理由があるのだと。俺は理解できてしまう。


「バカバカしい……わね……」


 そして、まだ柏恵美という大切な人間を失っていない黛瑠璃子るりこはそれを理解できない。


「アンタの言ってること、何ひとつ理解できないわ……! 斧寺霧人が死んだって自分の中で結論付けてるのに、生き返るなんてことは絶対にないってわかってるのに、単なる八つ当たりでエミを巻き込んだ極悪人のことなんて、理解できるはずない!」

「そうだろうね、君はそうだろう。いや、君だけじゃなくて誰もわからないだろう。それでいい」


 唐沢の視線は柏に向く。


「柏さんさえ消えてくれれば、それでいい」


 その選択を取る限り、唐沢と黛が分かり合うなんてことは絶対に不可能だった。

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