柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第五話・3

公開日時: 2020年10月24日(土) 20:14
文字数:3,250


 ――本当に、恐ろしい存在になったものだ。

 今の『香車くん』と黛くんの戦いを見て、私は心からそう思った。

 間違いなく今、黛くんは自分の命を懸けている。一歩間違えたらその命を失う。

 だが今の彼女はそれを十分理解した上で、尚も私を救いに来た。

 自分を守る、そして私も守るという綱渡りを選択したのだ。

 そして彼女はその綱を渡りきる自信がある。だからこそ、ここにいる。

 先ほどの私の発言は間違ってはいなかった。


 黛くんがいる限り、私は『香車くん』には殺されない。


 だからそう、私にとっての勝利は――


 黛くんと私の両方の、死だ。


「残念だよ……君がここで死んでしまうのは……」


 呟いたその言葉は、隣にいる樫添くんには聞こえたようだ。


「柏ちゃん、もういいでしょ!? 黛センパイの言ったとおり、こんなものは茶番に過ぎないんじゃないの!?」


 樫添くん……

 彼女がここで私を守る以上、私は『香車くん』に近づくことが出来ない。

 だから『香車くん』が黛くんを殺し、その後で私と樫添くんを殺す。

 順番は前後しない。私が死を迎えるには、黛くんが死なないとならない。


「全く、やられたよ。樫添くんがここまで協力したのもそうだが、君を素早く動かした黛くんの判断には恐れ入る」

「柏ちゃん……」


 だがそれでも、私の運命は決まっている。

 そう、『香車くん』と黛くんとでは大きな違いがあるのだ。


「どうしたのだね、黛くん?」

「……」


 『香車くん』の首筋にナイフを突きつけたまま、黛くんは動かない。


 いや、動けないのだ。

 黛くんは人を殺すことは出来ない。


「『香車くん』」

「……」

「黛くんを……せめて苦しまないようにしてやって欲しい……」


 私の言葉を受けて、『香車くん』は動き出した。


「くっ!!」


 黛くんから素早く一歩離れた後、ハンマーを横薙ぎに振る。

 間一髪でその一撃は避けられたが、ハンマーが彼女の頭に叩きつけられるのは時間の問題だ。

 そう、黛くんは人を殺せないが、『香車くん』は殺せる。

 片方は殺さない気で、片方は殺す気で戦っているのだ。結果がどうなるのかは明らか。


「黛センパイ!!」

「いいのかね、樫添くん? 君がここから離れたら、私は『香車くん』の元に行ってしまうよ?」

「くっ……」


 樫添くんがここから離れられない以上、この戦いは一対一。そして黛くんに勝ち目はない。

 ならばせめて、彼女が苦しまずに死ぬことを祈るまで……


 ……?


 私は何を考えているのだろうか。

 なぜ私はこの期に及んでここまで黛くんを心配している? ついに念願が叶うというのに。

 確かに黛くんは大切な友人だ。だが私は『香車くん』が傷つくことよりも彼女を心配している。

 彼女の負けが確定しているから? 本当にそうなのだろうか。

 ……いかん、ここまで来て何を考えている。こんな考えは邪魔でしかない。


 彼女は『希望』だ。私が『絶望』に浸るのに邪魔な存在だ。


 だから……消えてくれ、黛くん。


「ああっ!?」


 樫添くんの声で我に返ると、『香車くん』が黛くんをフェンスに追いつめていた。

 ついに決着か……


「……何か言い残すことはありますか?」

「……」

「あなたは、本当に邪魔でしたよ、黛さん!!」


 そして、最後の一撃が振り下ろされる。

 思わず目をつむった。流石に見たくなかった。

 だが……


「なっ!?」


 『香車くん』が驚きの声を上げる。

 その声で、目を開けてしまう、すると……


「……あんたに言っておくことはあるわ」


 黛くんが『香車くん』の腕を掴み、懐に飛び込んでいた。

 そして次の瞬間。



「『どいてよ、幸四郎』」



 その言葉と共に……


「ぐ、は……」


 ナイフを『香車くん』に突き刺した。


「……なに?」


 『香車くん』の体から液体が流れ出る。ポタポタと。暗くてよく見えない。

 何だ? 何が起こっている?

 だが私がそれを理解する前に――


 『香車くん』は、崩れ落ちた。


「……なんだ、これは?」


 まだ頭が理解していない。目の前の光景を理解していない。

 私の口の中が乾いていく。樫添くんが目を見開いている。


 そして黛くんが崩れ落ちた『香車くん』を冷ややかに見下ろしている。

 その手に持ったナイフから液体が垂れている。


 まさか、まさか、彼女が。


「『香車くん』を、殺したのか……?」


 黛くんは何も言わずに、こちらにどんどん近づいてくる。

 その顔は全くの無表情で、自分の行動をまるで意に介していないようだ。


「……あ、ああ」


 それを見て、私は――


 明確な恐怖を感じた。


「あ、ひ……」


 思わず後ずさる。目の前の彼女が怖い。

 『死』の恐怖とは違う。まるで別種。『死』の恐怖が全てを奪い去られる恐怖だとしたら、今の恐怖は全てを管理下に置かれる恐怖だ。

 私にまるで自由はない。精一杯抵抗することすら許されない。

 そういったこと予感させる恐怖を、彼女に抱いている。

 そうだ、思えばそうだった。

 私は悉く、悉く彼女に潰されてきたのだ、私の目的を。

 彼女がいたから、私は死ねなかった。いや違う、『死ぬ自由を与えられなかった』。

 そして今回もそうだ。私はまた、死ねなかった。

 つまり彼女は、


 私を生かしたまま、その全てを支配するつもりだ。


「エミ……」

「っ!!」

「思い知らせてあげる」

「な、何を……」


「私の前では、あなたは無力だという事を」


 ……!!

 あ、ああ、あああ……

 こわい、こわい、こわい。

 本気だ、彼女は本気で私を支配するつもりだ。

 全身が震える。体に力が入らない。

 恐れている。私は初めて支配されることを恐れている。

 何か、何か手は……!?


 そして目に入る、彼女の持つナイフが。


 あ、あれだ……もうあれしかない。

 彼女は『香車くん』を殺した。彼女は目的のためなら人を殺せる。


 そう、彼女も『狩る側』となったのだ。


 ならば、君にこの命を捧げよう。だから、だから……


「……君は、私の全てを奪え!!」


 思い立った直後、私は飛び出していた。

 樫添くんが止める暇もない。一直線にナイフの前に身を差しだし……


 一気に貫かれた。


――

――――

―――――――――


 つらぬ、

  つらぬかれ……


「……え?」


 なんだこれは?

 まるで痛みがない。いや、刺さった感触がない。

 違う、これは、


 刺さっていない?


「エミ」


 突如として名前を呼ばれ、体が反応する。


「私が、あなたを殺す可能性を残すと思う?」


 私のすぐ近くにある黛くんの顔は、まるで幼女に接するかのように穏やかな顔だった。

 そして私の体からナイフを離し、その刃先を指に当て、


 刀身を、柄の中に押し込んだ。


「な、んだ、それは……」

「よくあるでしょ? 刺さったと見せかけて、刀身が引っ込む玩具。あれと同じ物よ」

「え……?」

「この液体も、授業で使った墨汁。暗かったから血に見えたでしょ?」

「で、では……」


「ええ、柳端は生きているわ。多分、棗に刺されたショックを思い出して気絶しているだけ」


 ちょっと待て。

 彼女は最初からこの玩具を持っていた。この玩具で彼と戦っていた。

 そうなると。


「ば、馬鹿な!! そんなものでこの戦いに臨んだというのか!? 自分が死ぬかもしれないというのに!!」

「そうよ、あなたが死ぬ可能性を少しでも排除したかった。だから武器を持ち込みたくは無かった」


 そんな……

 それだけの、それだけのために。

 私の最後の一手も全て読み切り、とことんまで私を死なせないために。


 こんな危険な賭けをしたと言うのか。


「これでわかった? エミ」

「あ……」


 黛くんは私の手を握る。


「あなたは絶対に殺されない。私がそうさせない。私がいる限り、あなたの望みは叶わない」

「……」

「だから、私と共に、生きるしかない。あなたにはそれしか許されない」


 それしか……許されない。


「は、はは……」


 何故かはわからないが、笑いが漏れる。

 私の意志ではない。どこか強制された笑い。


 そして今、思い知らされた。

 私はこれからも、黛くんによって願望を踏みにじられるのだろう。

 私がどんなに『狩る側』に近づいたとしても、彼女は全て蹴散らしてしまうのだろう。

 私はこれから、彼女に負け続ける。何をしたとしても、負け続ける。


「……認めよう、黛瑠璃子。この戦いは……」


 だから私は――宣言するほか無かった。


「私の負けだ」


 陽が暮れた夜の屋上に、私の敗北宣言はよく響いた。






第五話 完

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