柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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エピローグ 『朝』

公開日時: 2022年12月23日(金) 17:05
文字数:4,610


「黛センパイ、具合は大丈夫ですか?」


 エミの家のベッドに横たわっている私に対して、樫添さんが心配そうに声をかけてきた。


「……うん、特に問題はないわ。それに、ごめんなさい」

「謝るってことは、今回の自分の行動がいかに間違ってたかは理解できたんですね」

「……返す言葉もありません」


 珍しく樫添さんが辛辣な言葉を投げかけてきたけど、それに抗議する権利なんてない。エミの支配者を自称しておきながら、自分から命を投げ出す暴挙に出たのは愚の骨頂としか言いようがないのだから。


「樫添くんの言う通りだよ、ルリ。君が先に『狩る側の存在』に身を捧げてしまったら、私としては妬けてしまう」

「うん、樫添さんはそういう意図で言ってないから、アンタには反論するわ」

「くはは、手厳しいね。それでこそルリだ」


 いつもの調子のエミを見ると安堵してしまう。ああ、やっぱり私はこの日常が好きなんだ。彼女たちと過ごす、この空間とこのやり取りが好きなんだ。


 昨日、晴天の別荘の前で、私たちは空木晴天に打ち勝つことができた。

 だけどその結果、暴走した晴天は目の見えない状態で走ったせいで激しく転倒し、その結果石垣に頭をぶつけて血を流して倒れた。救急車を呼び、曇天さんが同行したけど、その後どうなったのかは聞かされていない。

 ちなみに私たちが警察に追及されることはなかった。曇天さんが上手く説明したのかもしれない。


「エミも、晴天がどうなったのかは聞かされてないのよね?」

「ああ。それに興味もない。あの男が私を殺しにでも来れば話は別だが、そうなればルリに撃退されるだろう。つまり、空木晴天はもう私の敵でも君の敵でもないということだ」

「……晴天は、エミが羨ましかったのかな?」


 空木晴天が語った、エミを狙う理由。それは、自分が恐れている『死』を克服しているエミを否定したかったというものだった。確かに死にたくないと思っている人間からすれば、純粋に『殺されたい』と考えている人間は異常に見える。それは私も例外じゃない。

 だけど晴天は、エミを異常だと断じるだけじゃなくて、否定しようと躍起になっていた。それはもしかしたら、心のどこかで認めていたのかもしれない。


 エミが、本心で『殺されたがっている』人間だということを。


「羨むのも嫌うのも彼の勝手だよ。それで私が『獲物』としての在り方を変えることはない。それに彼には私とは関係のない本来の願いがあったのだ。それに向かって邁進していけばよかった。だが彼は自分からその願いを捨てたのだ。誰に叩きのめされたわけでもなく、強制されたのでもなく、『絶望』に負けて願いを捨てたのは彼自身だ」

「確かに……そうね」

「私なら、『ずっと生きていたい』という願いが叶わずに死の淵に立たされた時の『絶望』が楽しみで仕方ないがね」


 うん、確かにエミだったらそう考えるだろう。彼女は『絶望』を喜びと捉えてしまう。だから人生を楽しんでいる。

 

 その考えだけは、やっぱり私は理解できない。


「それで、棗朝飛はどうなったの?」

「朝飛は夕飛さんに連れられて帰っていきましたよ。曇天さんに合流するとか言ってましたけど」

「そう……」

「ふむ、棗朝飛、か」


 その名前にエミが反応した。


「ところでルリ、もう一度確認したいのだが、棗朝飛は……彼女の姉である棗夕飛の説得を聞き入れたのだね?」

「ええ、あの二人の間に何があったのかは知らないけど、夕飛さんは朝飛に打ち勝ったわ」


 今でもあの時の光景に圧倒されている。夕飛さんは、私に出来なかったことをやってのけたのだ。


「夕飛さんが『夜』と呼んでいたものが、棗香車にも棗朝飛にも存在した。それでも夕飛さんはその『夜』に立ち向かってみせた。だから朝飛は私もエミも殺さずに帰っていったわ」

「……そうか」


 エミは真剣な顔で考え込んでいる。確かに彼女からしたら、『狩る側の存在』を引き下がらせる人間がいるのは、思うところがあるのかもしれない。


「……『狩る側の存在』とは、何なのだろうね」

「え?」

「もしかしたら、私の求めていたものは、幻だったとでもいうのだろうか?」

「エ、エミ?」


 あれ、エミの表情が一瞬、見たことのないようなものになったような……

 今のは……恐怖? いや、違う。不安?


「あ、ああ。そういえば、柳端くんと沢渡くんはどうしたのだね?」


 エミは樫添さんに向き直って話題を変えてきた。今はまだ触れない方がいいのかもしれない。


「沢渡は救急車が来る前に柳端が解放したそうなの。なんか、『ヒャハハ、幸四郎にゃいつかリベンジしたいねえ』とか言ってたらしいよ」

「ふむ……彼女がそんな先のことを言うとはね。柳端くんもやるじゃないか」

「柳端は夕飛さんと一緒に朝飛を見張るって。アイツも怪我してたけど、大したことないそうです」

「柳端にも、後で謝っておかないといけないわね」


 今回の件では、私が柳端を巻き込んだ形になる。一言謝罪をした方がいいだろう。


「でも、意外でした。センパイがまさか自分から朝飛に着いて行っちゃうなんて」

「う……」

「私も意外だったよ。まさかあの強いルリが、あんなに弱い部分を見せるとはね」

「ううっ……」


 ああ、これあれだ。二人ともちょっと怒ってる。いや、ちょっとじゃない、めちゃくちゃ怒ってる。

 当たり前だ。仮に逆の立場だったら私はめちゃくちゃ怒ってる。自分の立場に置き換えたら、すぐにわかった。


「センパイ。なんであんなことしたんですか? 柏ちゃんや私がセンパイを守りに来ないとでも思ったんですか?」

「それは……」


 確かに、よく考えてみればエミや樫添さんが私を見捨てるような人間じゃないなんてわかりきってることだった。なのに私は、自分の命を捨てればエミが安全だと思ってしまった。

 その理由は、ひとつしかない。


「……私が、他人から捨てられるような人間だって思い込みがまだあるからでしょうね」


 そう、私はいざとなったら捨てられるのだという思い込みを拭うことがまだ出来ていない。それほどまでに、私の芯まで刷り込まれている。


 あの時、無残にも捨てられて否定されたことが、私の心をまだ縛っている。


「センパイ?」

「……いつか、このことについても話すわ」

「君の心の整理がついていないのであれば、私は待つよ。まあ、君ならその思い込みとやらも打ち破ると思っているがね」

「……そうね。打ち破らないといけないわね。エミを守りたいのなら」


 その言葉に甘えて、私はこの場では黙っていることにした。



 だけど、エミに私の過去を打ち明ける機会は、意外と近い未来に訪れることとなる。そのことを、私はまだ知らなかった。



 ※※※



「……はい、はい。明日には復帰できそうです。はい。よろしくお願いします」


 職場である保育園に連絡を取り、明日にはいつも通り出勤する旨を伝えた。もともと有休を取っていたので、問題なく復帰は出来るだろう。


「仕事は問題なさそう?」

「うん、日ごろの勤務態度がいいからね」


 お姉ちゃんは私に目を向けると、厳しい表情になった。


「じゃあ今度は柳端くんと話す番だね。何を言うべきかは、わかってるわね?」

「……うん」


 私は今、お姉ちゃんの家で監視されている状態だ。そりゃそうだろう。今回の私はあまりにも多くの人を巻き込みすぎた。本来なら警察に連れてかれているはずなのだから、文句は言えない。しばらくはここでお姉ちゃんと一緒に生活することになった。

 そして、柳端くんはこの家のベッドで安静にしている。私に刺された傷はそこまで深くなかったから救急箱の道具で手当ては出来たけど、この家に来るまで私と目を合わせてはくれなかった。


「柳端くん? 入るわよ」

「……どうぞ」


 寝室に入ると、柳端くんは横たわった状態で窓の外を見ていた。まだこちらに目を向けようとはしない。


「具合はどう?」

「傷は大丈夫です。今日にはもう帰れます」

「そう。じゃあ今度は朝飛から言うことがあるそうよ」


 お姉ちゃんに促されて、私はベッドの横に立つ。


「柳端幸四郎くん。私は……棗朝飛は、あなたを傷つけてしまいました。それも、あなたのことを恨んでいるわけでもなく、あなたのことを知っているわけでもないのに、自分の身勝手な欲望を満たしたいという理由であなたを傷つけてしまいました」


 それが、私の罪だった。私は今まで、他人を一方的に傷つけたり、殺したりできるものだと思っていた。だけど違ったんだ。私は今まで、守られていただけだった。お姉ちゃんに守られていただけだった。お姉ちゃんが私に保育の仕事を勧めたのも、他人を守る側の気持ちを私に体感してほしかったからだ。そのことに、今になって気づいた。


「私の中の『夜』を解放したい。その願いは今でも私の中にあります。だけどそれは、他人からすれば私の身勝手に付き合わされるということです。事実、今回は私の身勝手であなたを傷つけてしまいました」


 もし、『夜』を抱えていたのが柳端くんも同じだったら。そうでなくても、柳端くんが私を恨んで殺そうとしていたら、私は今ごろ死んでいたかもしれない。ただの子供だった私は、一方的に殺されていたかもしれない。

 ……そう考えたら、とてつもなく怖かった。


「だから、本当に、申し訳ありませんでした。あなたを私の身勝手に付き合わせて、申し訳ありませんでした」


 地面に頭をつけて謝罪の言葉を述べることに、抵抗がないわけじゃない。だけど今回の私は、それほどまでのことをしてしまったと理解していた。


「柳端くん、私からも謝ります。本当に申し訳ありませんでした。だけどお願いがあるの」


 お姉ちゃんも私の隣で頭を下げて、言葉を続ける。


「もし、朝飛を殺すつもりなら、先に私を殺してからにして頂戴」


 ……お姉ちゃんは、命を捨ててるわけじゃない。それは私も理解できる。

 これはお姉ちゃんの中で、私がそれほど大きな存在であることを示しているんだ。


「……夕飛さん、朝飛さん。頭を上げてください」


 そう言って、ようやく柳端くんがこちらに顔を向けた。


「朝飛さん。ひとつだけお聞きします」

「なんですか?」

「……あなたなら、香車を止められましたか?」


 そう聞かれたら、私はこう答えるしかない。


「たぶん……いや、絶対に彼は私にも止められなかったよ」


 香車くんは私が出会った時には既に人を殺していた。彼はもう、『夜』そのものだった。


 彼にはたぶん、お姉ちゃんの言葉も届かなかった。


「なら、もうこの件は決着です。俺は朝飛さんのことを恨んだりしませんよ」

「柳端くん……」

「恨めるわけがないじゃないですか。香車を育ててくれたのは……あなたと夕飛さんなんですから」

「……ありがとうございます」


 涙を流しながら、私はもう一度頭を下げた。


「さ、朝飛。とりあえず立ちなさい。アンタにはこれからやることたくさんあるんだから」

「うん……」

「とりあえず、この家の掃除とか洗濯とかしばらくやってもらえる? 散らかっちゃってて仕方ないのよ」

「お、お姉ちゃん……」

「夕飛さん、やっぱり家事はまだ苦手なんですか?}

「ええ、香車と槍哉にはよく怒られてたわ」


 笑顔を浮かべながら自分の苦手分野を隠そうともしないお姉ちゃんを見ると、私も自然に笑顔になる。これは相手の心を操作するための笑顔じゃない。

 もしかしたら、私はただお姉ちゃんの傍にいられればそれでよかったのかもしれない。他人の心が自分に向いている実感があれば、それでよかったのかもしれない。


 少なくとも、今の私の中では、『夜』が明けて『朝』を迎えていた。


 棗姉妹編 完

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