恵美ちゃんとの会話の場は、医者と上谷が同席の元、診察室に設けられた。まだ恵美ちゃんの精神が不安定であろうと判断しての配慮だ。
しかし医者の判断とは裏腹に、恵美ちゃんの様子は落ち着いていた。さっきのようにフラフラと出歩く様子もない。それを確認して、俺は彼女に話しかけた。
「それで、恵美ちゃん。俺とどうしてお話がしたいって思ったのかな?」
先ほどの様子からしても、この柏恵美という女の子は普通じゃない。そんな子がなぜ俺と会話をしたがるのか、予想もつかなかった。
「確かにまずはそこから説明が必要だろうね。私は先ほど、君の隣を通った時、頭の中に『しぎり』という単語が自然と頭に浮かんでしまった。おそらくは、君は斧寺霧人くんの関係者なのだろうね」
「……か、関係者も何も、斧寺霧人は俺の父親だけども。でも、どうして君がそれを?」
「ああ、それは斧寺霧人くんが死んだ時に、彼の意識の一部が私に流れ込んできてね。そしてようやく、私が『柏恵美』として完成したのだよ。私が君の名前を知っていたのも、彼が君を知っていたからだろうね」
「……」
話を聞いていると、なぜか頭が痛くなってきた。
この子は何を言っているんだ? 親父が死んだ時に、親父の意識がこの子に流れ込んできた? そんなことがあるわけない。
あるわけはないし、子供の与太話と流すこともできるはずなのに、この子のはっきりとした物言いを聞いていると『そうなのかもしれない』と思ってしまいそうになる。
「じゃあ、君が俺の父親のことを知っているんだとしたら、俺が今からする質問にも答えられるってことかい?」
「それに関しては確証が持てないね。私が受け継いだのはあくまで彼の一部のみだ。私の中に元からあったものが全てなくなったわけではないのだよ。あくまで私は『柏恵美』であって、『斧寺霧人』ではないのだからね」
「……わかった。とりあえず最初の質問だ。俺の親父が人生で一番大切にしていたものはなんだい?」
「ああ、その質問になら答えられるよ。なにせ今から、私はそれを求めて生きていくのだからね」
そう言って、恵美ちゃんはその可愛らしい見た目にはそぐわない、妖艶な薄笑いを浮かべた。
「君の父親と、私が求めてやまないもの……それは『絶望』だ」
「……!!」
言うまでもなく、親父の『絶望が人を救うかもしれない』という思想は、他人に話したことはない。大ぴっらに言うことでもないし、到底受け入れられるものでもないからだ。
だが、恵美ちゃんは俺の親父の思想を知っている。あてずっぽうで言い当てられるような答えでもない。これはどういうことなんだ?
「どうやら当たりのようだね。これだけで信じてもらえるとは思っていないが、少しは信ぴょう性があると思うのだが?」
「……確かに、これだけで君の言うことを信じるわけにはいかない。だけど、恵美ちゃんと俺に少なからず関係があるかもしれないとは思ったよ」
「ほう?」
俺は上谷に向き直り、質問を投げかけた。
「上谷さん。もしかして恵美ちゃんは、死ぬ前の親父と一緒にいたんじゃないですか?」
「え? は、はい。確かに彼女は斧寺課長の死体のそばに立っている状態で発見されました」
「つまり、親父は恵美ちゃんをかばって死んだ可能性もある……そういうことですね?」
「おっしゃる通りです。すみません、そのことはあなたには黙っておくつもりでした」
上谷としては、俺が恵美ちゃんに無用な怒りを向けないようにするための配慮だったのだろう。そのことを責めるつもりはない。
だけどこれでひとつ、わかったことがあった。
「恵美ちゃん。もしかして親父は、死ぬ前に君と少し話したんじゃないか? そこで君は、親父の言葉を聞いたんだ。だから君は、親父の考え方を知っている。そういうことじゃないか?」
「なるほど。そう解釈するのかね。ならばそれでいいよ。私としても、他人に理解させられるとは思っていないのだからね」
「それじゃ、さっきの質問に戻るよ。君は俺と話をしたいと言っていたけど、それはどうしてだい?」
「それについては、私の今後に関係することについて話をしたかったのだよ」
恵美ちゃんは、再び妖艶な薄笑いを浮かべる。
「君に私の面倒を見てもらいたい」
「……は?」
俺が、恵美ちゃんの面倒を見る? つまり、俺にこの子を引き取れと言っているのか?
「私は今、父親も母親も失ってしまった。子供である私が生きていくには、面倒を見てくれる大人がどうしても必要となる。斧寺霧人くんの関係者である君なら適任だ。まだ私は自分が望む『絶望』を掴めてはいない。その時が来るまで、私を生かしてほしい」
「ちょっと待ってくれ。確かに俺には子供もいないし、嫁さんもいない。だけど、今会ったばかりの君を育てろってのは、いくらなんでも無理がある」
「それなら別に構わないよ。ここにいる人間たちが、私の処遇を必死になって考えるだろう。なにせ私は、『県警本部長の娘』なのだからね」
さっきから聞いていれば、この子の言動はやはり幼い少女のそれじゃない。自分の立場や状況を完全に把握している人間の言動だ。どう考えてもまともな子じゃない。
しかし俺は、恵美ちゃんの言葉に惹かれていた。彼女が親父に似ているというのもあるが、それ以上に……
この子は俺を『父親』にしてくれる。俺が決してなれないと思っていた、『父親』という立場を与えてくれる。
そのことが、俺の心を掴んで離さなかった。
「ふむ、まあいいさ。今すぐに決断してくれとは言わない。私はまだこの病院にいるのだからね。じっくりと考えてくれたまえ」
そう言って、恵美ちゃんは部屋を出ようとした。慌てて上谷がその後を追いかける。
「え、恵美ちゃん。もうお話はいいのかい?」
「うん。おじさんとはいっぱいお話したから、びょうしつにもどる!」
上谷に対して年相応の反応を返した恵美ちゃんは、目を丸くしている上谷に連れられて病室に戻っていった。
部屋に残された俺は、医者と目を合わせる。俺の動揺を悟ったのか、医者はいったん咳ばらいをして話を切り出した。
「やはり、あの子は殺人現場を目の当たりにしたことで、精神が不安定なのだと思われます。とりあえず、あの子が言ったことは一時の混乱の一種だと判断した方がいいでしょう。本気にはしないでください」
「は、はい」
確かに、医者の言う通り、まだ5歳くらいの女の子があんな言動をするはずもない。それに、本人の希望があっても、俺が彼女を引き取れるかなんてわからない。
とにかく、今日はもう帰ろう。親父が死んだことで、やることは山ほどある。
「あーあーあー、ちょーっといいですか?」
しかしその時、一人の青年が部屋に入ってきた。緊張感のない声と清潔そうな短髪と服装がちくはぐな印象を持たせる、小柄な青年だった。
「君は……確か実習で当院に来ていた学生だったか?」
「はーい。そうですよ」
青年は医者と俺を見て、爽やかな笑顔で自己紹介をした。
「ボクは法条大学医学部の四年生、空木晴天といいます。はーじめまして」
その笑顔は、先ほどの恵美ちゃんの笑顔とは対照的なものに思えた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!