私は今、廃工場にあったパイプ椅子に座らされる格好で縛られている。
縛ったのは言うまでも無く、柳端幸四郎だ。
彼は私を縛った後、なぜか入手していたエミのアドレスにメールを送った。
「黛瑠璃子は預かった。返してほしければ、指定する時間に廃工場まで一人で来い」
という内容だ。
私をエサにエミをおびき出す算段らしい。正直言って、これでエミが来るとは思えない。
エミは私の前から姿を消すと言ったのだし、あれから一度も会っていない。
そう、来るとは思っていなかった。だから――
「久しぶりだね。私のことを覚えているかい?」
その姿を見ただけで、私の胸は高鳴った。
「一応、名乗っておこうか」
忘れるわけが無い。あなたのことを忘れるわけが無い。
あなたの名前は――
「私の名前は柏恵美。君を助けに来た者だ」
その言葉に私が歓喜したのは言うまでもない。
※※※
廃工場に入ってきた柏は、相変わらず不気味な微笑を浮かべていた。だが、それもこれまでだ。これがうまくいけば、二度とこいつを香車には近づけさせないことが出来る。
「よく来たな。あんたは香車以外、眼中にないものかと思っていたぜ」
「私にも、それなりの交友関係というものがあるのだよ。……しかし、君も大胆な行動に出たものだね」
柏の言うとおり、普段の俺だったら絶対にしない行動だろう。
女子高生を人質にとり、相手に言うことを聞かせようなどと。
だが、事態は一刻を争う。手段を選んではいられなかった。
俺は縛られている女――黛瑠璃子にナイフを突きつけながら言う。
「要点だけ言う。こちらの要求は一つだ。あんたが今後一切、棗香車に関わらないこと。要求に従わないのであれば、この女、黛を殺す」
正直言って、これは賭けだ。
あの異常者が、この友人とやらをどれだけ大切に思っているかは、全くの未知数だ。だが、現状ではこれが最も有効な策に思える。
「エミ……私は……」
「あんたは黙っていろ。それでどうなんだ? これでもまだ、香車に関わるというのか?」
柏は少し考え込むようなそぶりを見せた後、口を開いた。
「確かに、これは困ったね。いくら私がもうすぐ死ぬ存在だとしても、彼女は私の大切な友人だ。その関係を完全に無かったことには出来ない」
「そうか。それなら要求を呑むんだな? いや、正直あんたが関わらないと宣言しただけでは不十分だ。だから……」
俺は、完全に柏を香車から引き離すための言葉を言う。
「一週間以内にこの街を出ろ」
その言葉に黛が目を見開くが、それは無視する。
「一週間だ。その間、この女は預かる。もし期間内にそのそぶりが見えなければ、こいつを殺す。警察に通報したとしても、俺が捕まる前にこいつを殺す。いいか? もう一度言う。香車にはもう関わるな」
一気に言葉を出して、主導権を握ろうとする。
だが、この状況でも、柏は微笑を崩さなかった。
「……くっくっくっ」
「何がおかしい?」
「いやあ、繰り返すが大胆な行動に出たと思ってね」
だが、その後に続いた言葉は――
「君にしてはね」
思いもよらぬものだった。
「……何が言いたい!?要求に従わないのなら、こいつを殺すぞ!」
「もう一度言うよ。君にしては大胆な行動だ。だが、同時にそれが君の限界だ。君には完全に欠けているものがある」
何を言っている? この状況でこいつの余裕は何だ?
「君はこの状況においても、人を殺す選択肢を選ぶことが出来ない」
その言葉に思わず動きを止めてしまいそうになる。
まずいな、こいつのペースに飲まれてはいけない。
「言うじゃないか。だが忘れたのか? あの時俺が、あんたを殺そうとしたことを。俺だってその気になれば、やるときはやるぜ?」
「ふむ、ならば聞こうか」
そして柏は――
「なぜ、再び私を殺しに来ない?」
俺が全く考えていなかった選択肢を出してきた。
「それが一番手っ取り早いだろう? 私が死ねば、君の目的は達成される。だが君は黛くんを人質にとり、私をこの街から追い出すという、非常に回りくどい方法を取っている。一度、私を殺そうとしたのにも関わらず」
「やめてよ!」
柏の言葉に対し、黛が叫んだ。
「自分を殺しに来いなんて……言わないでよ」
黛は涙を流していた。それを柏は、珍しく真剣な表情で見つめている。
だが、すぐに俺に視線を戻す。
「話を戻そうか。君は私を殺すことで、事態の解決を図るという選択肢を、最初から除外していた。排除したい本人を殺せないような人間が、無関係な人間を殺せるのかね?」
「てめえ……俺がそれを出来ないとでも言うのか!?」
「出来ないね。君は今、人を殺したら自分がどんな追及を受けるかを考えている。前回は香車くんがまさに私を殺そうとしていたからこそ、私を殺すことを決意出来たのだろうが、今回はあの時ほど緊急事態ではない。だからこそ君は先の事に気を取られてしまう。自分が捕まったらどうなるか、同時に香車くんがどうなるか、考えてしまう」
待て、まさかこいつが言いたいのは――
「君は先のことに気を取られすぎなのだよ」
俺が最も、言われたくないことだった。
「お前が……お前がそれを言うんじゃない!」
「ふむ。ならば、黛くんか私をこの場で殺すことが出来るのかね?」
「出来るさ! 何なら、こいつの指でも切り落としてみせようか!? それがいやなら、要求を呑め! 二度と香車に関わるな!」
まずい、少し感情的になっている。これは奴のペースだ。
だが、俺がそのペースから逃れることは出来なかった。
「君は、それをしないことを条件に、黛くんを巻き込んだのではないのかね?」
その言葉を言われてしまったから。
「……何のことだ?」
「この際だ。直截的な表現で言わせてもらおう」
だめだ。こいつは気づいている。
「私はこれ以上、君たちの茶番劇に付き合う気はない」
俺と黛が手を組んでいることに気づいている。
「そう言っているのだよ」
※※※
目の前の男子中学生、柳端幸四郎はポケットからナイフを取り出した。
やはり彼が、「狩る側の存在」……! 包丁を握る両手に、汗が滲むのがわかる。
だが、彼は――
取り出したナイフを、地面に投げ捨てた。
「……何のつもり?」
彼は投げ捨てたナイフには目もくれず、じっと私を見つめている。
「わからないか? 俺はあんたと争うつもりはない」
「エミを狙うのを諦めるってこと?」
「その前提が間違っているんだ。俺はあんたが探している人間じゃない」
この期に及んで、言い逃れをするつもりなのか。だが妙だ。この状況で自分の武器を捨てる理由は何だ? 他に武器を隠し持っているのだろうか。
冷静に状況を分析しようとする。
「俺は、あんたが探している人間を救おうとしている者だ」
だけど、その言葉にあからさまに動揺してしまった。私が探している人間……つまり、「狩る側の存在」。それを救おうとしている? 何を言っているの?
「棗香車」
「……え?」
「あんたが探している人間の名前だ。数日前にここで怪我を負った」
「刺されたっていう、男子生徒のこと!? そいつが、『狩る側の存在』!?」
「違う! あいつは……あの女、柏恵美に誑かされたんだ!」
エミが「狩る側の存在」を誑かした?そういえば、エミは「狩る側の存在」に自ら名乗り出ると言っていた。
つまり、こういうこと?
エミは、棗香車という男子生徒に、自分を無理やり殺させようとしている?
いや待って、この話が真実とは限らない。
「……それが本当だとしたら、そいつはエミを殺そうとしたんでしょ!? だったら何で、そいつが刺されたのよ!? まさか、エミが刺したとでも言うの!?」
そうだ、エミが人を傷つけることはありえない。沼田の時も、柄の部分を首に押し当てていた。彼女は殺されたいと思っていても、殺そうとは思わないはずだ。
「……香車は、自分で自分を刺したんだ」
「はあ!? 何でそんなことを!?」
「柏の呪縛から、すんでの所で逃れることが出来たんだ」
「そんな……エミの影響だって言うの!?」
「友人である、あんたには信じられないかもしれない。だが、あの女が現れてから香車はおかしくなった。逆に言えば、あの女がいなくなれば、香車は殺人犯にならずに済む」
正直言って、荒唐無稽だと思う。まだ、棗という男子生徒がエミをかばって怪我をしたと考えるのが自然だ。
……いや、待って。
よく考えたら、エミは殺されたがっていたんだ。なのに何で、エミは救急車を呼んだ?
もし、棗が怪我をして動けなくなったら、エミを守るものは何もない。いや、エミの視点からすれば――
エミを邪魔するものは何もない。
それなのに、エミは目的を中断して、救急車を呼んだ。これはおかしい気がする。
そうなると――
「狩る側の存在」を死なせないために救急車を呼んだ?
自分を殺す存在がいなくならないようにした?
「じゃあ、まさか本当に……棗 香車が、『狩る側の存在』?」
「もう一度言うが、香車はあんたが思うような殺人鬼ではない。柏恵美さえいなくなれば、あいつは今まで通り、平和な日常を送れる」
頭の中が、どんどん混乱していく。
そもそも、エミが全ての元凶? いや違う。
エミは「狩る側の存在」を見つけたと言っていた。自分がそう仕向けると言ったわけではない。
でも、柳端幸四郎の言うことも、真実味を帯びてきている。
そうこうしているうちに、彼が口を開いた。
「……考えてみろ。俺とあんたの目的は一致していると思わないか?」
一致? 私と彼の?
どういう意味?
「俺は、棗香車を加害者にしたくない。そしてあんたは、柏恵美を被害者にしたくない。俺たちは、それぞれの思惑でこの二人を引き離そうとしている」
……言われてみれば、その意味では一致しているかもしれない。
いや、それでもまだだ。
「私はまだ、あんたのことを信用したわけじゃない!」
「わかっている。だからこの場は一旦、解散だ」
「解散!?」
「あんたに一切、手を出さないという証明だ。 俺のことが信じられないなら、警察にでも通報すればいい。だが、信用するのであれば、俺に協力して欲しい」
確かに、彼が「狩る側の存在」なら、ここで私を解放する意味がほとんどない気がする。
私は彼が棗を刺した証拠など持っていないから、警察に通報してもたいした意味は無いが、それでもリスクが高い。いや、私は同じ目的を持つ人間がいるという希望に賭けたいのかもしれない。
「……協力って、何をすればいいの?」
そして彼は、私を人質役にして、エミを脅すという計画をもちかけた。その場は一旦解散し、その翌日である今日に、エミにメールを送り、呼び出したのだ。
だが、私たちの企みはエミにはお見通しだった。
「……なぜ、俺たちが手を組んでいるとわかった?」
柳端がエミに問いかける。
彼女はそれを、いつもの微笑を浮かべながら見つめていた。
「以前も言ったとおり、君は人間としては優れているかもしれないが、狩る側の存在とは程遠い。先のことを気にしすぎる君が、このようなリスクの高い行動に出るには、何らかの保険が必要だ。いざとなったら、この一件を狂言で済ませられるという保険がね」
エミは再び、「狩る側の存在」という言葉を口にした。
「狩る側は自身の安全を守り、尚且つ獲物を狩る衝動に身を任せる存在だ。君の場合は……香車くんを守りたいという願望がそれに当たるのだろうが、想像力が豊かな君は、どうしてもリスクを考えてしまう」
「俺が……保身に走ったと言うのか!?」
「そうじゃない。香車くんのためだろう?自分が捕まれば、友人である香車くんもただでは済まないと考えた。違うかい?」
「狩る側の存在」……それは、何なのだろう。
エミはなぜ、そいつに殺されたいのだろう。
「俺は……俺は……!」
柳端は未だに、私にナイフを向けている。
だが彼は、どうしてもそれを私につき立てることは出来なかった。
「まあ、待ちたまえ。君の要求を呑もうではないか」
「……え?」
この流れでは、あまりに意外な言葉に、私と柳端の両方が声を発した。そして言った。
「私はもう、香車くんには関わらない」
彼女の目的を捨てるも同然の言葉を。
幾分かの沈黙が続いた後、柳端が声を上げた。
「何のつもりだ!? それでお前に何の得が……」
「喜ばないのかね? 君の目的は達成されたのだ。私は要求に従う。だから、黛くんを解放して欲しいのだが」
どういうことだ? 柳端は私に危害を加えられないことがわかっているはず。なのに何故、要求に従う?
いや、何のつもりであれエミはもう、棗に接触することはない。
エミは殺されずに済んだんだ。
納得出来ない顔をしながらも、柳端が私を縛っていた縄を解く。
それと同時に、私はエミに抱きついた。
「エミ……エミ……もう、殺されになんて行かないよね?」
「ああ、黛くん。私は彼の要求を呑んだ。約束は守るよ」
そうだ。これでもう、エミが殺されることはないんだ。
私達はまた一緒に……
「そして私はこの街を出る」
……え?
「それも要求の一つだったろう?私が香車くんに関わらないようにするには、そうするしかない」
え? え? 待ってよ。
「そ、それは、そうしないと私を殺すからで……」
「柳端くんの要求に全面的に従うとなると、街を出なければならない」
いやいや、待ってよ。
それじゃあ、なに?
私は結局、エミと別れなければならないの?
「そ、それだったら、私も一緒にこの街を……」
「君はここに残りたまえ」
「な、何で?」
「正直に言うと……私は君を、彼に献上するつもりだった」
献上? 彼に? 何を言って……?
いや、これはまさか……
「直截的な表現で言うと……」
だめ、言わないで。
「君を香車くんに殺させるつもりだった」
そんな申し訳なさそうに言わないで。
「そう言っているのだよ」
私がエミの負担になっているようなことを言わないでよ。
「だが、私は獲物になることを止めた。同時に君を献上することも止めた。だからもう、君と一緒にいる理由はない」
本当に? それが本心?
それなら何で……
何でそんなに、申し訳なさそうな顔をしているの?
「だからお別れだ。いや、本来なら、あの夕暮れの教室で、私たちの時間は終わっていたのだよ」
どうして? 本当に私達はそれだけの関係だったの?
もしかして、後ろめたいの?
私を獲物にしようとした自分が、一緒にいる資格はないと考えているの?
「そんなの……私はあなたと一緒に……!」
「黙りたまえ!」
出会ってから初めて、エミが叫んだ。
「私は君を、彼への生贄としか……考えていなかったのだよ」
そう言って、エミは背を向けて歩き出していった。
追うべきだ。彼女と一緒にいたいのであれば、追うべきだ。
だが追ったところで、私たちの関係は二度と元通りにならない気がした。
※※※
今回の行動は、私の目的に反していなかった。
まず、柳端幸四郎。
彼は香車くんの日常の象徴だ。だからこそ、感づかれてはならない。
香車くんが、私を狩る意思をもう固めているであろうことを。
そう、香車くんは柳端くんとの友情を維持したまま、私を狩りたいのだ。狩る側は自らの安全を保ちつつ、獲物を狩る。
安全とは、自分の平和な日常も含まれる。
だから、この場は要求を呑むしかなかった。
柳端くんに、香車くんは私の影響で、私を狩ろうとしていると思わせるためだ。
狩る側の存在とは、他者の影響からなるのではではなく、元々そうであるものだということを隠すためだ。
そして、黛瑠璃子――彼女は獲物としては、不適格だ。あのような行動に出てまで、私の目的を阻止しようとした。彼女が私と同じ悦びを抱くことはないだろう。
そう、彼女を獲物の候補から外す。それは私の目的に反していない。
彼女は獲物に相応しくないというだけの話なのだ。
決して……いや、これ以上考えるのはよそう。
私は彼に狩られるために動いている。それ以上の目的など……ない。
第四話 完
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