柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第二十一話 包囲(7月5日 午後4時37分)

公開日時: 2024年1月22日(月) 19:44
文字数:3,074


 【7月5日 午後4時37分】


 なんだコイツ? 髪の長い……女?

 いや、確かこの顔は唐沢先生から渡された写真にあった顔だ。確か名前は……


「閂……香奈芽さんだっけ?」

「ひひひ、お初にお目にかかります、紅蘭氏……ええ、私が閂香奈芽でございます……」


 閂さんとやらは私の後ろに立ってはいるが、別に武器を持ってるわけじゃない。見たところ身長は私と大差ないし、線も細い。とても取っ組み合いができる人間には見えない。

 だったら、コイツに後ろを取られたところでどうってことない。予定通り『お兄ちゃん』に頼んで波瑠樹さんを連れ戻すか。


「幸四郎お兄ちゃん、こっちはいいからさ、竜樹さんのことやっつけちゃってよ」


 私からすれば、閂さんよりも目の前にいるメガネの女の方が厄介だ。だけどこの女も結局は私に腕を取られて動けない。ある程度ケンカ慣れしてそうだけど、結局最後に勝つのは私だ。


 所詮、この世の中で個人の強さなんて何の役にも立たない。いや、むしろ生きていく上で障害でしかない。私はそれをイヤと言うほど思い知らされてきた。


「……」


 しかし私の言葉に反して、幸四郎お兄ちゃんは黙ったまま動かなかった。


「残念だが紅蘭、お前の兄になってやるのはここまでだ」

「は?」

「お前にとって竜樹さんは別にどうにもならない敵でもないだろ? ならそのことは自分でなんとかしろ」


 ……なんだ、ここに来て心変わりしたのか。それとも私の予想よりビビリだったんだろうか。

 まあいい、見たところ波瑠樹さんは竜樹さんの言うことを聞いてはないし、波瑠樹さんを連れ戻せば唐沢先生も許してくれるだろう。


「ふーん、じゃあさ、波瑠樹さん。『オーダー』を与えるよ」

「……」

「『わたしのこと、助けてよ、お兄ちゃん』」


 だから波瑠樹さんに『オーダー』を与えて、私のために動いてもらう。ある程度適当に暴れてもらって、スキを見て二人でこの場を離れればいい。


「……ごめん、紅蘭ちゃん。それは聞けない」

「え?」

「当てが外れたね、紅蘭さん。波瑠樹くんはもう誰かの『オーダー』に無条件に従うことはない。少なくとも唐沢先生の元には戻らないよ」

「何言ってるんすか? ていうか萱愛先輩に話しかけてないんですよ。波瑠樹さん! 早く私の『オーダー』に応えろよ!」

「口調が崩れてるぞ、紅林」


 なんだよその余裕。今になってビビって『お兄ちゃん』をやめたクセに。

 ただ、確かにこの状況はまずい。波瑠樹さんが動いてくれない以上、私の周りは敵だらけだ。それにこのメガネ女の手を離したら、コイツが襲い掛かってくるかもしれないし、離さないとここから逃げ出すこともできない。

 そうなると……


「じゃあ、この人返すね!」

「ぐうっ!」

「ちょっ、なに!?」


 メガネ女を突き飛ばして、綾小路とか呼ばれた女にぶつける。こうすれば二人の動きは封じられる。

 そのスキに後ろにいた閂さんに振り返る。


「どけえっ!」


 コイツを突破すれば後は誰もいない。この場は一旦離れてどこかで新しい『お兄ちゃん』と一緒に波瑠樹さんを連れ戻せばいい。

 そうだ、私が負けるわけがない。だって私は強い。わたしは『つよい』。強さと『弱さ』の両方の力があるんだ。


「……やはり、私の方に来ましたねえ」


 だが、閂さんはまるでそれを予期していたかのように笑い、こちらに何かを突き出していた。


「ひっ!?」


 思わず足を止めてしまった。いや、ウソだろ。なんで……あんなの持ってるんだよ。


「か、香奈芽さん……それって……ピストル、ですか?」


 萱愛先輩が言った通り、閂さんの手に握られていたのは黒く光る拳銃のようなものだった。


「ひひひっ……見るのは初めてですか、紅蘭氏……?」


 薄笑いを浮かべてこちらに銃を向けているけど、よく考えたら本物なわけがない。偽物に決まってる。


「おやおや、どうなさいましたか? この中で私が一番弱くて勝てそうだからこちらに向かってきたのでしょう? ひひっ、その私が恐ろしいとでも……?」


 あの銃が本物なわけがない。頭ではわかってるのに、足が出ない。それほどまでに目の前の女には得体の知れない雰囲気がある。

 ダメだ、コイツの相手はまずい。だったら……!


「た、竜樹さん! 助けてよ!」

「え?」

「ねえ! もう一度わたしを助けて! お兄ちゃん! 竜樹お兄ちゃん! わたし、アイツが怖いよ!」


 そうだ、竜樹さえ動かせればまだ勝機はある。私が直接アイツと戦う必要なんて……傷つく必要なんてないんだ。


「無様だな、紅蘭。俺が助けてくれないとわかったら、さっきまで散々バカにしていた竜樹さんに縋るのか」

「竜樹さん! わたし、怖い! 怖いんだって! わたしを助けて!」

「ああ、そういえばお前の目的を果たしてなかったな」


 そう言うと、幸四郎お兄ちゃんは竜樹の両肩を押さえて動きを封じた。


「ぐうっ! や、柳端くん! 何を……!」

「ああ、すみませんね。さっき紅蘭に『竜樹さんをやっつけて』って言われたんで。すみません、紅蘭に言われたんで」

「ちょ、ちょっと! 何して……!」

「どうした紅蘭? お前が言ったんだぞ? 『竜樹さんをやっつけて』と、お前が俺に言ったんだぞ?」

「……ふざけやがって!」


 まずい、まずい、まずい! なんでこんなことになってる!?

 私は誰にだって勝てる。わたしは誰のことも味方にできる。

 私はどんな危機でも自力で対応できる。わたしはどんな怖い人に狙われても誰かが守ってくれる。

 私は強い。わたしは『つよい』。


 なのになんで、私が、わたしが、追い詰められているんだ?


「残念だね、紅蘭さん? スキだらけだよ」

「あっ!?」


 気づけば、いつの間にか足元に近寄っていた綾小路に両足を掴まれていた。


「く、くそっ! 離せよ!」

「アタシを黙らすのは自力で出来るんでしょ? だったらやってみなよ」

「何を……! たまたま捕まえられたからって調子に乗んな!」

「アンタ、まだわかんないの? アタシはこうなることを予想してたって」

「は?」

「周りを見てみなよ。柳端くんが『お兄ちゃん』をやめた今、アンタの周りは敵だらけ。つまりアンタは最初から柳端くんの策にハマってたってわけ」

「デタラメ言うな! なんでアンタにそんなことが予想できるんだよ!」


「『スタジオ唐沢』で、柳端くんが言ってたでしょ。『俺はお前の理想じゃない』って、柳端くんはアタシの理想通りに動いてはくれないけど、それでも自分を信用してほしいって、あの時にメッセージを送ってたんだよ」


 なんだよそれ……? だったら私は幸四郎お兄ちゃんとコイツの掌の上で踊らされてたっていうのか!?

 そんなわけがない。この私が……!!


「そういえばさ、アタシじゃなくてあっちのメガネの人じゃなくていいのかって言ってたよね?」

「は?」


 その言葉を受けて綾小路の視線の先を見ると、メガネ女がゆらりと立ち上がっていた。


「沢渡さん、リクエスト入ったからさ、譲ってあげるよ」


 綾小路の言葉の意味がわからなかったが、メガネ女が右足をトントンと地面につけたことで、何をしようとしているのかを悟る。


「……ヒャハハ、悪いねえ佳代嬢。アタシも久しぶりにブチギレてるからさあ。ここは思い切りやらせてもらうよ」

「ま、待ってよ! ウソでしょ? わ、わたしさ、こんな、小さな、女の子に、そ、そんな、やるわけないよね!?」

「さあね、自慢の弱くてかわいい見た目で柳端くんに訴えてみたら? 紅蘭さん?」


 そう言ってる間にも、メガネ女は近づいてきている。


「ま、待って! お兄ちゃん、た、たすけ……」

「さーて、行くよぉ!」


 涙目で見つめたわたしの視線に幸四郎お兄ちゃんが冷ややかな顔を向けたのが見えた後。


「あぐうっ!!!」


 顔の横に強烈な蹴りを喰らい、私の意識は闇に落ちた。

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