【7月29日 午後8時21分】
「まあ、あんまりいい部屋じゃないけどくつろいでてよ」
俺は今、『スタジオ唐沢』のアジトにある別の部屋に通されている。『こんな場所で一泊するのも可哀そうでしょ?』という唐沢の提案で簡易ベッドのある部屋に案内されたが、可哀そうだと思うならさっさと生花を解放しろと言いたい。
ちなみに生花は楢崎と一緒の部屋に泊まることになった。生花は俺と同じ部屋に泊まると言い張っていたが、楢崎に引っ張られて結局は黙ってしまった。
先に部屋に入るように促され、唐沢は扉を閉めた後、椅子に腰かけた。
「ふーっ、それにしても色々あったねえ今日は。ま、柳端くんも疲れただろうし休みなよ」
「『色々あった』のはお前らのせいだろうが」
「そうかい? 私としちゃ君ともっと友好的に接したいけどね」
「俺の携帯電話まで回収しておいてよく言う」
「はは、手厳しいね。でもそんな君でも柏さんと仲良しこよしやってるのは本当に意外だよね」
「俺とアイツの仲が良いように見えるなら、アンタの他人を見る目はかなり疑わしいな。アンタが尊敬していた斧寺霧人って男も実際は大したヤツじゃなかったんじゃないか?」
「仲が良いわけじゃないのに、君は柏さんを守るために動くんだ?」
唐沢の表情には俺への嘲りが感じられた。
「挑発のつもりか? 俺は柏を守るために動いてるんじゃない。お前らに生花を解放しろと言っている。アイツを解放するなら、お前らが柏に何をしようが俺の知ったこっちゃない」
「そうかな? そもそも君が沢渡さんを守るために動いているのもおかしな話じゃないか。だって君、あの子のこと嫌いなんだろ?」
「嫌いではあるが、誰かの都合で利用されていいヤツとも思っていない。特にお前らみたいに他人を操って嗾けるようなヤツらにはな」
「うん、優しいね君は。紅蘭ちゃんも叱るだけで済ませたんだもんね。だから柏さんにも協力しちゃうんだよね」
そう言って唐沢は俺から目を逸らす。
「大切な人が柏さんのせいで死んだのは、私も君も同じなのにねえ」
まるで独り言のように言ったその言葉を、俺はどうにか聞き流した。
「……」
「あれ、何も言わないんだ、まあいいや。それじゃ私は晩ご飯買ってくるから、やぐらくんは柳端くんと話しててくれる?」
「わーかりました」
木之内を部屋に残し、唐沢は出て行った。
「さて、なんかテレビでも見る? ヒマでしょ?」
「俺に構わず勝手に見てろ」
「そうはいかないんだよね。だって唐沢のオッサンは『柳端くんと話してて』って言ってたからさ」
「俺と話をしても別にアンタにメリットないだろ」
「ん? うん。メリットはないよ。唐沢のオッサンは柳端くんと話せって言ってたから、別に俺にメリットあるかどうかの話はしてないじゃん。何言ってるの?」
「……?」
なんだコイツ。いまいち会話が嚙み合わない。
「そういやさっき唐沢のオッサンが柏さんのせいで柳端くんの大切な人が死んだとか言ってたけど、それって棗香車って人のこと?」
「……香車が死んだのは柏だけが原因じゃない。香車の心に向き合わなかった俺にも責任がある」
「うーん……? えっと、棗香車って人が柳端くんの大切な人で合ってるのかな。じゃあそれを踏まえて聞きたいんだけどさあ」
「なんだ?」
「なんで柳端くんは唐沢のオッサンに棗香車さんを復活させてくれって頼まないの?」
……は?
「いやだってさ、唐沢のオッサンは斧寺霧人を復活させるつもりなんだからさ、柳端くんが頼んだら棗さんも復活させてくれるんじゃないの?」
何を言ってる? コイツは何を言ってる? コイツは……
「お前ええええぇぇぇ!!」
胸倉を掴んで壁に叩きつけても、木之内は驚くわけでもなく不思議な顔をしていた。
「お前は……! 俺を侮辱してるのか!? 『死んだ人間が生き返る』なんて妄想を俺が信じるとでも思うのか!?」
「妄想もなにも、オッサンは斧寺さんを復活させたいって言ってるじゃん。それで、柳端くんにとって棗さんは大切な人なんでしょ? じゃあオッサンに頼めばいいじゃん。棗さんに会いたくないの?」
「会いたくても会えないから苦しんでるんだろうが!」
「ん? うん。だから唐沢のオッサンに頼めばいいんじゃないの?」
木之内の言葉を聞いて、茹だった頭が幾分か冷静になってきた。
コイツは俺を煽っているのかと思ったが違う。コイツの態度は俺に対して『なぜ唐沢に香車を復活させてくれと頼まないのか』と本気で疑問を抱いている人間のそれだ。
「……お前は唐沢が本気で斧寺霧人を生き返らせるつもりだと思っているのか?」
正直、唐沢清一郎という人間がまともとは思えない。斧寺霧人がアイツにとってどんなに大切であろうと、既に死んだ人間を生き返らせるためにこれだけの人間を巻き込むのは異常だ。
その一方で、唐沢が闇雲に動いているようにも思えなかった。黛を惑わし、生花を手中に収め、柏に関わる人間たちを着実に切り崩しにかかっている。つまりはそれらの行動に唐沢の真の目的が隠されているはずだ。本気で斧寺を生き返らせるつもりなわけがない。
だが俺の質問に対し、木之内は当然のように答えた。
「思っているもなにも、唐沢のオッサンは『斧寺霧人を復活させてもう一度会いたい』って言ってるじゃん。言葉通り受け取れないの?」
……なんだこの返答は? コイツは唐沢を妄信しているのかと思っていたが、何か違うように感じる。そういえば……
『『お人形さん』さあ、唐沢のオッサンは『柳端くんはここに残る』って言ってるんだよ。言葉通り受け取れないの!?』
生花に対しても、木之内は『言葉通りに受け取れ』と言っていた。つまりコイツは、『唐沢が斧寺を復活させる』という言葉を本当に『言葉通りそのまま受け取っている』のだとしたら。
いや、唐沢の言葉だけじゃない。
コイツはそもそも、他人の言葉を全て『言葉通り』に受け取っているのだとしたら。
「うーん、なんか柳端くんって疑り深い人なんだね。まあ、『話していてくれ』って言われたから話は続けるけどね」
「……」
「あれ、黙っちゃった。俺の質問には答えてくれないの? なんで君は棗さんを復活させてくれってオッサンに頼まないの?」
「俺は唐沢の言葉を信じていないから、アイツが香車を復活させられるとも思えない。この答えで満足か?」
「ああ、そう。オッサンの言葉を信じていないというのが理由なのね。じゃあ柳端くんに信用されるように唐沢のオッサンが頑張らないといけないよなそれは」
納得したように深々と頷く木之内を見て、俺の推測は確信に近づいた。
コイツは相手の言葉の裏に隠された意図に気づかない。いや、相手の言葉を自分の解釈で歪めず、そのままの意味で受け取れるとも言える。おそらくは唐沢の言う『斧寺霧人を復活させる』という目的も、本当にそのまま、『そういうもの』として受け入れているのだろう。
逆に言えばコイツ自身の言葉にも、言葉通り以上の意味はない。それならコイツや唐沢についてもいろいろ聞き出せるかもしれない。
「今度は俺から質問する。アンタはなんで唐沢に協力してるんだ? 単純に興味があるから聞きたい」
「え? あー……興味があるのね。そうだなあ、なんでって言われてもなあ……」
数秒間頭をひねった後、木之内は冷めたような顔で天井を見た。
「俺ってさあ、割と『フツー』の人生ってやつを送ってたっぽいんだよね。よくわからないけど」
「フツーの人生?」
「公立中学と公立高校出て、高校に来てた求人票の会社に入って、まあなんか上司とか先輩ともケンカすることなく働いてたわけよ。フツーでしょ?」
何が『普通』なのかは個人個人の判断によるかもしれないが、確かにここまで聞くと普通の人生と思える。
「たださあ、その会社に入って三年ちょい経った時にさ、先輩が宝くじ買うからお前も買えよって言うから買ったら、当たったんだよね、一等」
「は?」
「6億円くらいだったかな? まあとりあえず銀行で当選金もらって口座作って入れておいたのよ。その後先輩に宝くじの結果どうだったか聞かれたから『一等当たりましたよ』って言ったわけ」
……なんとなくこの先の展開が見えてきた。
「そしたら先輩が笑いながら、『宝くじ買うように言ったのは俺だし、当選金の半分くれよ』って言われたんだよね」
なんてことはない。つまりコイツは宝くじに当たったことをバカ正直に先輩に言ったら、金の問題で揉めてしまい、会社を辞めるハメになったと……
「だから、『あー半分欲しいんだな』って思って、先輩を銀行に連れて行ったのよ」
……そんな俺の予想は簡単に超えられた。
「こっからが不思議なところでさ、銀行に着いた途端にその先輩が怯えたような声で『前から思ってたけどお前はフツーじゃない。ロボットか何かにしか見えない』とか言い出したのよ。『半分くれ』って言ったからあげようと思ったのに、なぜか逃げちまったんだよな」
木之内は首を傾げているが、俺にはその先輩の恐怖がわかる。本人は冗談めかして言ったのだろうが、そんな簡単に3億円をくれるなんて言う人間は普通じゃないし、理解も出来ない。
「まー俺も何か先輩を怒らすこと言ったのかなって思って反省したのよ。それで『ロボットにしか見えない』とか言われたから、人間だと証明すればいいと思ってさ。次の日に職場でその先輩の前で電工ナイフで自分の腕刺して血を見せて『ほら俺ロボットじゃないでしょ?』って言ったら、なんか先輩は『もう勘弁してくれ』とか言い出して土下座してくるし、上司はなんか怒っちゃうし、仕事はなぜかクビになってさ。いまだに謎なんだよねあれ」
「……」
「ただ、『フツーの人生』を送ってたのに先輩に『フツーじゃない』って言われたのもちょっと気になってさ。ブログ開設して『フツーの人生の送り方』みたいな記事で俺の体験談載せて、世間の人たちがどう反応するのか見てたわけよ。そしたら『もし自分のことをもっとよく知りたいなら、うちの教室に来てみませんか?』ってコメントが来たわけ」
「それが、唐沢だったのか?」
「そうだよ。まあ別に俺は自分がどんな人間なのかなんてそんな興味なかったけど、オッサンが『私の目的には君の存在が必要だ』とか言うからさ。じゃあそれでいいかと思ったんだよね」
「それでいいってのはどういう意味だよ?」
「ん? いやだから、俺がこれから生きる目的は『唐沢のオッサンに協力すること』でいいかってことだよ。そう言ってるでしょ?」
……これ以上コイツと会話していると、俺の中の常識や当たり前だと思っていた価値観が揺らいでいきそうだ。情報を引き出すのはここまでにしよう。
【7月30日 午前8時10分】
結局、俺は一晩中木之内に見張られていたせいでロクに眠れないままアジトで一泊過ごすハメになった。当の木之内は特になんともないかのように鼻歌を唄っている。コイツには寝不足という概念がないのか?
その後、ノックの音が部屋に響いて唐沢が入って来た。
「やあ、柳端くん。調子はどうだい?」
「……今すぐお前をぶん殴りたいほどには元気だ」
「はは、そうかい。私の方も調子がいいよ。だってさ、やっと目的が果たせるんだからさ」
「何を言って……」
その直後、俺の言葉は止まらざるを得なかった。なぜなら……
「……クロエおねえちゃん、連れて行ってくれるところって、ここのこと?」
「そうですよ、エミちゃん」
唐沢の背後に、無表情で楢崎の腕に抱き着く、柏恵美の姿を見たからだ。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!