柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第四話『人質』・1

公開日時: 2020年9月13日(日) 12:05
更新日時: 2020年9月23日(水) 13:22
文字数:5,597

 

 今回の私の行動は、私の目的に反していない。

 そう、私の目的は彼に狩られること。そして、彼に獲物を献上することだ。

 だからこそ、彼の獲物が減ってはならない。だからこの行動は目的に反していない。


「久しぶりだね。私のことを覚えているかい?」


 目の前にいる人物に問いかける。さすがに忘れてはいないだろうが、念のためだ。


「一応、名乗っておこうか」


 そう、この行動は私の目的に反していない。


「私の名前は柏恵美。君を助けに来た者だ」


 彼女を助けることは、目的に反していない。



 ※※※



 見てしまった。

 私は見てしまった。

 私はそいつを見てしまった。



 エミに別れを告げられて、一月程経った頃。私は相変わらず、昼休みにはエミの教室を訪ねていたが、エミに会うことは出来なかった。その上、エミのクラスの生徒が私のことを不審に思い始めていたが、私にとってはエミに会えるかどうかが重要だったのでその点はあまり気にしなかった。

 自分でも、なぜエミにここまで拘るのかはわからなかった。初めて出来た、親友とも言える立場の人間だからだろうか。だが、それ以外にも、彼女を気にする理由があった。

 それは、エミが「狩る側の存在」とやらに殺されに行くと言ったからだ。普通に考えれば、ありえないことだと思う。


 他人を殺したいから、殺す存在がいるなんて。


 だがエミが嘘を言っているようには見えなかったし、もし、彼女の言うことが全て真実だとしたら――


 エミは近いうちに殺されてしまう。


 それがエミの望みだったとしても、私はそれを見過ごすわけにはいかなかった。

 当然だ。大切な人が殺されることがわかっていて、平然としてはいられない。

 だから、私はエミの望みを妨害する。私の身勝手のために。

 そもそも、殺されたいという考えが間違っているのだ。私の行動はエミのためでもあるはずだ。


 ――間違っては、いない。


 しかし、エミに会えない以上、彼女を説得することは不可能だった。

 なんとか手がかりがないか、エミのクラスメイトにしつこく聞いて回った。すると、クラスメイトは私の相手をするのに疲れたのか、ある情報を私にくれた。


 エミは昼休みになると、校外に出かけているらしい。


 それを聞いた翌日、私は昼休みになったと同時に、校門の物陰に隠れて見張ることにした。

 エミがこの校門を通るとは限らなかったし、既に出てしまっている可能性もあったが、それでも何もせずにはいられなかった。


 そして、幸運にも私はエミを見つけることが出来た。


 彼女は校門を出て、市街地に向かっていた。当然、見つからないように尾行する。

 既に彼女は「狩る側の存在」に接触しているかもしれない。だとしたら、彼女の向かう先にそいつが……?

 自分の鼓動が高鳴るのを感じながら、エミを見失わないように後をつけた。


 すると彼女は、近くの中学校で足を止めた。


 ここに「狩る側の存在」が?まさか、生徒なわけではないだろうし、教師がそうだというのだろうか。

 いや、良く考えたら、ここはエミの母校だったような気がする。もしかしたら、挨拶に来ただけかもしれない。だが、昼休みに行くだろうか。

 そんなことを考えながら、様子をみていると――


 一人の男子生徒がエミと話をしていた。


 まさか彼が?

 私どころか、エミよりも年下の彼が、「狩る側の存在」だというのだろうか。

 そうとは考えづらいが、今は様子を見るしかない。

 見たところ、その男子生徒はエミにあからさまな程の敵意を持っているように思えた。

 エミはそれをあまり意に介していないようだったが、私だったら思わず後ずさってしまいそうな敵意だ。

 ここまで強烈な敵意を孕んだ関係が、普通の関係であるはずがない。男子生徒への疑いは強まった。

 しかし、この距離では何を話しているのかはわからない。

 二人に見つからないように、近づいてみると――


「       」


 男子生徒は言った。その言葉を言った。

 私はその言葉に対する衝撃が強すぎて、しばらく立ち尽くしてしまった。

 その後にも、二人は何かを話していたようだったが、耳に入らなかった。

 気がついたときには、エミがこちらに近づいて来ていたので、慌てて電信柱の陰に隠れてやりすごした。

 だが、男子生徒が発したあの発言。明らかに日常生活では出ない、異様な発言だった。そのことで彼への疑いはさらに強まった。

 混乱する頭で、男子生徒の特徴を思い出す。軽薄そうな見た目で、エミよりも背が高かった。

 確か、あの中学は学年によって袖のラインの数が違う。彼のラインの数は二本。

 とりあえず、彼について調べる必要があると思った。


 だが、私が行動を起こす前に事態は急展開を迎えた。

 あの中学の別の男子生徒が、不審者に刺されたというのだ。


 私は朝のホームルームでその事件を聞いた。なぜなら、この高校の生徒もその事件に関わっていたからだ。

 私は急いで、エミのクラスに向かって、彼女がいるか確かめた。予想したとおり、彼女は欠席していた。教師の話では刺されたのは中学の男子生徒だけのようだったから、エミは無事だと思うが、私は自分の行動の遅さを痛感した。


 同時に、「狩る側の存在」の正体を確信した。


 それから数日間あの中学に通いつめ、男子生徒が刺された事件について知っている人がいるか聞いて回った。

 調べていくと、被害者の生徒と「狩る側の存在」は同じクラスであることがわかった。さらに話を聞いていくと、「狩る側の存在」もその事件以降数日間欠席していて、最近、復帰したことがわかった。

 そして、救急車を呼んだのは高校の生徒、つまりエミであるらしい。

 それらのことから、私は事件の真実をこう推測した。


 「狩る側の存在」はエミを殺そうとして、被害者の男子生徒に妨害された。


 こうなったら、最早一刻の猶予も無い。私は「狩る側の存在」に接触することを決意した。調べていくうちに、そいつの名前もわかった。

 その名前と、あの時あいつが発した言葉を思い出す。

「狩る側の存在」、その名前は――


「そんなに死にたいのなら、俺が殺してやるよ。あんたは目障りだしな」


 ――柳端幸四郎。



 ※※※



 廃工場の一件から数日後。

 香車は入院し、俺もしばらくは病院で検査を受けつつ警察から事情を聞かれたので、学校を休んでいた。

 一応、あの一件は不審者が柏を乱暴しようとしていた所を、俺と香車が助け出そうとして香車が刺されたという説明をしたが、警察もバカじゃない。俺たちを疑っている捜査官もいるようだ。

 しかし、警察があの一件の真相にたどり着くとは思えなかった。それはそうだ。俺だってまだ信じられない。


 他人に殺されたいから殺されようとしている存在がいるなんて。


 その前提に気づかない限り、警察が真相にたどり着くことはないだろう。ひとまずは、落ち着いたと思いたい。

 だが、油断は出来なかった。それはもちろん、あの女のことだ。


 ――柏恵美。


 香車は俺の言葉で思いとどまってくれた。だからこそ、俺はあいつを信じたい。あいつは生まれついての悪人ではないと。


 そう、全てはあの女の影響なのだ。


 あの女さえ、香車に近づかなければ今回のようなことは起こらないだろう。そのはずだ。

 だから警戒しなければならない。あの女がまだ諦めていないのであれば……


 必ず、再び香車に接触してくる。


 あの女は香車の病室を知っている。俺も毎日、香車の見舞いには訪れているので、その間は香車を見守ることが出来る。

 だが、それ以外の時間は無防備だ。いくら友人とはいっても、四六時中香車を見守るわけにもいかない。いつも同じ人間が見張っているというのは、かえってストレスにもなるだろう。

 学校を休むということも考えたが、香車に反対された。あいつは俺の将来を心配してくれているのだろう。


 そのことで、俺はあいつとの出会いを思い出す。


 中学に入学した頃、俺はもう子供ではないという思い込みから、将来のことが心配でたまらなかった。

 このまま無為に時間を過ごしていいのか。私立に行った連中は、今この瞬間でも、勉学に励んでいるのではないか。このまま過ごしていたら、俺の未来は暗いものになるのではないか。


 とにかく先のことが気になって仕方なかったのだ。


 だからこそ、わき目も振らず勉強しようとした。

 だが、そんな焦った気持ちでは勉強にも集中できず、成績が上がるわけでもなかった。

 中学の最初の試験で、結果を出せず落ち込んでいた俺だったが……


 そのとき、あいつが俺に話しかけた。


「柳端くんって、いつも勉強しているけど、何か将来の夢とかあるの?良かったら聞かせてくれないかな。僕って今のことばっかり考えて、先のことなんて何も考えていないからさ」


 その言葉ではっとした。

 俺はとにかく将来を悪くしたくないという考えしかなかったのだ。将来をどのようにしたいという発想は全くなかった。俺がすべきことは、今、俺が何をしたいかだったのだ。


 そう、棗香車の言葉で俺は救われたのだ。


 それから俺は香車とよく話すようになった。

 香車は、将来の夢は何かという質問をされたら答えられない自信があるとはっきり言った。だから、先のことを考えられる俺が羨ましいと言ったのだ。

 そんなことはなかった。俺は先のことばかりにとらわれているだけだったのだ。

 だけど、香車はそれは俺の長所だと言ってくれた。

 その言葉を受けて、香車の長所は他人のことを認めてあげられることだと俺は言った。香車は照れていたが、俺は本心でそう思う。香車が俺を認めてくれたから、今の俺がある。

 だからこそ、俺は香車を救いたい。


 柏恵美の魔の手から救いたい。


 そんなある日のことだった。

 俺はいつものように香車の見舞いに訪れたが、あいつは検査か何かで、病室にはいなかった。そして、ベッドサイドには携帯電話が置いてあった。抵抗はあったが、どうしても気になってしまった。


 あいつが柏と連絡をとっていないか。


 そして俺は見つけてしまった。

 連絡先に「柏恵美」の名前を。


 最早一刻の猶予も無い。

 柏には特殊な影響力というか、他人をおかしくさせる何かがある。香車が再びおかしくなる前に、行動を起こさなければならない。



 そして現在。

 俺は柏の高校の前にいる。しかし今のところ、何ら得策は思い浮かんでいなかった。柏に会って説得したところで、それが通じる相手でもない。

 何らかの武器で脅すというのも考えたが、そもそも相手は殺されたがっているので、意味は無いように思える。

 そして肝心の柏がどこにいるのかもわからない。香車の携帯電話から連絡先を入手したものの、こちらからの呼び出しには応じないだろう。どうあっても決め手に欠けるので、とりあえず今日も香車の見舞いに行こうとした。


 そして、その途中で誰かに尾行されていることに気づいた。


 何者かの視線を感じるし、後ろを振り向いたら、わずかに人影が見えた。

 誰だ? 俺のような素人に気づかれるくらいなら、刑事や探偵ではないだろう。

 柏か? それだったら願ったりだが、奴だったら俺を尾行せずに、堂々と姿を現す気がする。

 様々な可能性を考えたが、どれもピンと来ない。

 そう考えている間も、尾行者は感づかれていることに気づかないまま、俺を尾行している。

 ただの変質者である可能性もあるが、このタイミングでの尾行は、柏との一件に無関係ではないかもしれない。

 そこで俺は、わざと人気のない場所、あの廃工場に向かうことにした。


 廃工場に入っても、視線は感じる。思い切って、声を掛けることにした。


「誰かいるのか? 隠れていないで出てきたらどうだ?」


 声を掛けてもしばらくは何も起きなかったが、やがて意を決したかのように、工場に人が入ってきた。


「……あんたが、柳端幸四郎ね?」


 入ってきたのは、髪の長い女だった。その顔に見覚えはない。だが、制服には見覚えがあった。

 柏の高校の制服だ。


「あの高校の女子は、変質者ばかりなのか?よりによって、男子中学生をストーキングするとはな。立場が逆ならとっくに通報されているぜ?」


 とりあえず様子を探ってみる。この女が誰かはわからないが、俺の考えている通りだったら、今の発言に反応するはずだ。


「やっぱり、エミに会ったのはあんたのようね」


 やはりこいつは、柏の関係者か。


「あんたはあの女の仲間か? もしそうなら、あんたも香車に会わせるわけにはいかないな」

「香車?」


 ん? こいつは香車のことを知らないのか?

 ということは、こいつの目的は香車ではなく俺自身に?


 ――!


 もしかしたらこいつは柏の差し金で、俺に何らかの危害を加えるつもりなのか!? 前回は俺が香車を止めた。柏からすれば、俺は邪魔になるはずだ。

 いや待て、落ち着け。そのつもりなら、もうとっくに攻撃されているはずだ。いくら高校生と中学生といえども、俺は男で相手は女だ。それにこいつは格闘技をやっているようには見えない普通の女だ。さらに俺は、柏を脅すために使うつもりだったナイフを持っている。

 大丈夫だ、対応できる。

 幾分か緊張した心で考えをまとめていると、女が口を開いた。


「あんたに要求するわ。もう……柏恵美のことは諦めてよ」


 俺が柏を諦める? 何を言っているんだこいつは?


「エミは私の大切な友達なの。あんたの身勝手で殺されるなんてことは絶対に許さない」


 待て待て待て。話が全然見えてこないぞ。

 もしかしてこいつは何か勘違いをしているんじゃないか?


「私はあんたの思想を理解出来ないし、しようとも思わない。だけどあんたがエミを殺そうとするなら、私は全力でそれを止めると決めた。従わないなら……ただじゃおかない」


 そう言って、女は包丁を取り出す。

 くそっ! やはり俺に危害を加えるつもりなのか!?

 いやちょっと待て。俺が柏を殺す?

 柏の友人を名乗るだけあって、めちゃくちゃな勘違いをしているぞ。この場は誤解を解いて……



 いや、もしかしてこれは使えるんじゃないか?



「……あんた」

「何よ?」

「柏恵美の友人なんだな?」

「そうよ。だからこそ、私はあんたを止める。」


 よし、やはりこれは使える。

 そう思った俺は、ポケットからナイフを取り出した。


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