「ど、どうなされたのですか? 黛先輩ともあろうお方が……」
「……こんなものを見せられて、この私が黙っていると思っていたの?」
私は思わず閂の胸倉を掴んでしまった。無理もない、あんなものを見せられたら。
閂が床に落とした写真を見る。改めて見たそれには、やはりバスタオル姿で自宅のソファーに座る『彼女』の姿が映っていた。
「あんた、どういうつもり?」
「こ、これも必要なことなのです。黛先輩と『あの人』の関係をより深いものにするために……」
「ふざけないで!」
叫び終わる前に、右手は閂の左ほほに叩きつけられていた。閂の顔が私から見て左に振られていき、その姿勢のまま止まる。
叩かれた本人は顔をわずかに赤くしながらも、未だ不気味な笑顔を浮かべていた。
「ひ、ひ、ひ、いいですよ、黛先輩。『あの人』のことでここまで激昂する。やはりあなたは『あの人』に本物の友情を感じている……」
「わざわざそれを確認するために、こんな気持ち悪いことをしたの?」
「ま、まさか。本来の理由は別にあるのですよ」
そして閂は、もう一枚写真を取り出す。
「これは……!」
それに映っていたのは、小太りでメガネをかけた黒い服の女子だった。その顔には見覚えがある。
そう、一年の時に私を逆恨みしてきたクラスメイト、横井司だった。
その横井が、『彼女』が住むアパートの一室にカメラを向けている。
「……どういう、ことよ」
「ひ、ひひ、ひひひ」
「あんた、何をしたの!?」
怒りのあまり、閂を壁に押し付けてしまった。閂の後頭部が壁にぶつかったが、ヤツは平然として私から目を逸らさない。
「わ、私は何もしておりません。あくまで、これは偶然でございます」
「偶然?」
「私としても、先輩のお力添えをするために『あの人』のことを調べようと思っていたのですよ。ひ、ひ、そうしたらこの方が『あの人』の部屋を隠し撮りしていたわけでございます」
「な、何で……」
「残念ながら、理由までは存じません。しかし、このままではまずいのではないですか?」
「……」
確かに。
横井の思惑がどうであれ、ヤツが『彼女』に何らかの危害を加えようとする可能性は十分ある。いや、例えそうでなくとも、部屋を隠し撮りしている時点で犯罪だ。それはこの閂もだけど。しかし、まだ納得は出来ない。
「あんたが横井と手を組んでいないという証拠はあるの?」
「ひ、ひひ、この方と手を組んでいるのならこのような写真が残るはずがないのでは? この写真はこの方にとって隠し撮りの証拠でしかない。もし手を組んでいるのであれば、そんな写真を撮らせるのはリスクが大きすぎるかと……」
……こいつの言うとおり、この写真は横井にとっては致命的だ。これを警察に提出されれば受験前の大事な時期に停学になることは免れない。手を組んでいるのなら、そんな写真を撮らせるはずはないか。
ならば今重要なのは、横井の目的。そしてヤツが『彼女』に接触するかどうかだ。
いや、十中八九接触する。それも悪意を持って。そして『彼女』はその悪意を受け入れるだろう、『彼女』はそういう存在なのだ。
もしかしたら、この瞬間にも……
「黛先輩、ここからが本題になります」
「え?」
「申し上げましたでしょう? 『あの人』を独占するための提案ですよ」
そう言った閂は、横井の写真をビリビリに破いて窓から捨てた。
「何するのよ!」
「こ、この写真を警察に提出されては困るのですよ。黛先輩には他にしてもらいたいことがございますので……」
そして今度は、私に何かを握らせた。
「これは……!」
それは護身用の催涙スプレーだった。見た所、誰でも手に入れられる市販のものだ。
「ひ、ひひ、この横井という方がどんな手段を取ってくるかは未知数ですからね。少しでも『対決』を先輩の有利な状況にしていただきたいのです」
「どういうことよ?」
「『あの人』は、横井氏の悪意を受け入れられる。そうなればどうなるかは、聡明な先輩ならおわかりになるかと」
……そんなもの、言うまでもない。
『彼女』の望み、それは『容赦なく一方的に殺される』こと。
つまり横井が襲いかかれば、『彼女』は高い確率で死を迎えてしまうのだ。閂はそれを言いたいのだろう。
そして催涙スプレーを持たせた意味。これで『彼女』を守れ……ということなのだろうか。
「あ、ひひ、そしてですね黛先輩。『あの人』を独占するためには、最終的に『あの人』の興味を先輩に向けさせる必要があると思うのですよ」
『彼女』の、興味?
「…………」
……なるほど。
「趣味悪いわね、あんた」
「ひ、ひひひ、ひひひひひひひひ」
閂は今まで以上に口を歪めて消え入りそうな笑い声を出し続けている。ここに来て、ようやくこいつの『提案』がわかった。
理由はわからないが、横井は高い確率で『彼女』に襲いかかる。もしかしたら武器を持っている可能性もある。
そこに私が現れ、横井を催涙スプレーで怯ませる。ここまではいいだろう。
だが問題はここからだ。そこから私が警察に通報すればこの件は終わり。だが、もう一つの解決方法も存在する。
「け、警察に通報すれば、横井氏は今まで以上に『あの人』や黛先輩に、憎しみを向けるかもしれません。で、ですがその可能性を完全に潰す方法があります」
つまりこういうことだ。
横井を、正当防衛に見せかけて殺す。
横井の武器を使ってあいつを殺せば、『彼女』に襲いかかった横井をもみあいの末に殺してしまったということに出来る。そうなれば、私が罪に問われる可能性も低いだろう。
そして、それを見た『彼女』はどう思うだろうか。
目的のために人を殺せる私を、『殺されたがり』の『彼女』はどう思うだろうか。
……そんなものは、明らかだった。
「せ、先輩には選んでほしいのですよ……」
「……」
「『友達』のために、ご自分の手を汚すかどうか」
「そんなこと……」
『出来るわけない』、そう言いたかった。だけど私は考えてしまった。
私に恍惚の視線を向ける、『彼女』の姿を。
そして私は『彼女』の興味を独占する。『彼女』を独占する。
これが、これこそが閂の『提案』。
「……ご心配には及びません。私も黛先輩と行動を共にして、もしもの時には警察に証言いたします。ご安心を……」
……すでに私は狂っているのかもしれない。こんな『提案』に耳を傾けるなんて。
だけど、それでも。
『彼女』が私に振り向いてくれるのはとても理想的に思えた。
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