柏恵美の理想的な殺され方

さらす
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第十三話 擬態

公開日時: 2021年8月3日(火) 19:10
文字数:3,841


 生花との交際を始めて、1ヶ月が経った。

 その1ヶ月の間、ヤツは何度も俺を誘惑した。カラオケボックスでイイコトしようだの、自分の家には誰もいないだの、そういう聞きたくもない言葉をワザと選んでいるようだった。

 俺としては中学生には『そういうこと』はまだ早いと思っていたので、ヤツの誘惑は全てスルーした。生花としても、俺がそれに乗ってこないのは想定済みだったようで、ヘラヘラと笑うだけで特に不満を言ってくるわけでもなかった。


 しかし生花は、俺に首を絞めさせる遊びに関しては、しつこく迫ってきた。


 ある日のことだった。その日は生花とカラオケボックスで過ごしていた。二人きりの個室で楽しくもない時間が過ぎていったが、生花は俺に対してこう言ってきた。


「幸四郎は、そろそろアタシを殺したくなったりしないのかい?」


 生花がこんな発言をする時は、俺に首を絞めさせようとする時だ。俺としてはあんなことをするのは二度とごめんだと思っていたので、無視しようとした。


「聞こえてないわけじゃないだろ? アンタがやらないのなら、棗に頼むさ」

「おい! 香車に変なことをするなって言っただろ!」

「アタシはそんな約束をした覚えはないねえ。それに幸四郎がアタシを満足させられないなら、アタシは棗の所にいくさ。それは困るから、アンタはアタシと付き合ってるんじゃないのかい?」

「ちっ……」


 香車の名前を出されれば、俺も生花の言うことを聞かざるを得ない。意を決して、俺は生花を壁際に寄せる。


「……カメラに映ったらやっかいだ。恋人同士で抱き合ってるように見せろ」

「ヒャハハ、そのまま押し倒したりはしないのかい?」

「ふざけんな。お前を押し倒すくらいなら、その辺の猫相手の方がマシだ」

「言ってくれるね。アタシは猫以下かい」


 そう言いながらも、生花は俺を見て笑いながら頭に乗せていた眼鏡を外す。


「邪魔だろうからね。これがないとアンタの顔もよく見えないけど、仕方ないか」

「お前、この距離でも俺の顔が見えないのか?」

「遠視ってのは、近くも遠くもよく見えないから面倒なのさ」

「それなら常に眼鏡をかけておけばいいだろ」


 俺としては何気なく言った言葉だったが、意外にも生花は怒ったように俺を見据える。


「幸四郎、アタシにそんなつまらないことしろって言うのかい?」

「あ?」

「アタシがこの世で一番嫌いなものがコンタクトレンズで、二番目が眼鏡なのさ。そんなものを常にかけろってのかい?」

「……」


 よくわからないが、この女なりにこだわりがあるらしい。


「あー、なんか白けちゃったね。今日はもう帰る」


 そして生花はつまらなそうにため息をつくと、荷物を持ってさっさと出て行ってしまった。


「……何かよくわからないが、助かった、のか?」


 生花の首を絞めずに済んだのはよかったものの、カラオケの代金は全て俺が払う羽目になった。



 それから数週間。


 生花はことあるごとに俺を呼び出し、デートと称して俺を連れ回した。

 ある時は人気のない夕方の裏道に俺を連れ込み、自分を殴ったりしないのかと誘いをかけたり、またある時は街から外れた場所にある林の中に入り、自分を吊してみないかと誘いをかけてきた。

 しかし生花は決して自分で自分を傷つけることはしなかった。常に俺が自分を襲ってくることを望んでいた。

 生花は、ある時こんなことを言った。


「来るとわかっている危険なんて面白くもなんともないさね。自分でも思わぬタイミングで来るからこそ、『絶頂期』は面白いのさ」


 生花の言う、『絶頂期』。こいつはそれを求めて生きているらしい。なんでも、最大限に『生きていてよかった』と思える瞬間を求めているという。そしてその『絶頂期』を迎えれば、自分はその直後に死にたいとも言っていた。


 理解ができなかった。俺は自分から死にたいなんてことは思ったことがない。俺は常に将来を考えて生きている。面倒なことを避けていては、より面倒なことが待ち受けている。だから将来を考えて生きるのは、合理的な生き方のはずだ。

 だけど生花にはそれが通用しない。生花は常に今を、瞬間瞬間を生きている人間だった。将来の面倒ごとや、明日がより楽しいことになるかもしれないなんて全く考えていない。


 生花には、過去も未来も存在しなかった。



 そんなある日。俺はいつも通り登校し、教室に入った。その直後に、香車が話しかけてきた。


「おはよう、幸四郎」

「ああ、おはよう。今日は早いな」

「うん、幸四郎にちょっと聞きたいことがあってさ」

「俺に?」


 席に座る俺を見下ろす香車の顔は、いつも以上に穏やかだった。こいつの顔を見ると安心感がある。生花との付き合いで疲れていた俺には、香車の穏やかな雰囲気が癒やしだった。


「幸四郎は、沢渡さんのことをどう思ってるの?」


 だが香車が聞いてきたのは、生花のことだった。その質問は、俺にあの時の生花の言葉を連想させてしまう。


『アイツはいずれ人を殺すさ』


 生花は言っていた。香車が自分を見張っているかもしれないと。だがそんなはずはない。この質問も、単に世間話みたいなものだろう。


「幸四郎? どうしたの?」

「ああ、すまない。生花のことか? あの女とはやはり相性が悪いな。本当なら今すぐにでも別れたい」

「……ふーん、そうなの?」


 香車は俺の答えに少し納得がいってないように首を傾げたが、すぐにまた穏やかな表情に戻った。


「幸四郎はさ、沢渡さんのことはそんなに好きじゃないんだ?」

「そりゃそうだろう。そもそも俺はあんな女は絶対にタイプじゃない。あいつが香車にちょっかいをかけようとしたから、仕方なく付き合ってるだけだ」

「じゃあさ、もう一つ聞くんだけど」


 そして香車は、不安そうに俺に問いかける。


「幸四郎は、沢渡さんみたいな怖い人にならないよね?」


 その顔は、今まで生きてきた中で最も庇護欲を掻き立てるものだった。


「あ、当たり前だろ! 俺があんな女みたいになるわけないだろ!」

「うん、そうだよね。幸四郎がそんな風になるわけないよね」

「もしかして、俺が最近あの女と付き合ってるから不安なのか? なら安心しろ。俺は間違っても、お前を傷つけるような人間にはならない」

「ああ良かった。実はさ、本当に心配だったんだよ。もしかしたら幸四郎が沢渡さんに悪い影響受けてるんじゃないかって」

「大丈夫だ。俺はちゃんと、香車が知っている俺でいるさ」


 ……迂闊だった。知らない間に香車にこんなに心配をかけていたなんて。やはり香車は俺を気遣ってくれる優しい友達だということを改めて認識したと同時に、俺は自分の愚かさを嘆いた。

 ダメだな。このままじゃ俺は香車に心配をかけっぱなしだ。そういえば香車と話す時間も、最近減っていたかもしれない。

 よし、生花とは別れよう。たぶんアイツは今日も昼休みに教室に来るだろうから、その時に別れを告げよう。アイツが香車にちょっかいをかけるようなら、また別の形で守ればいい。

 そう決心して、俺は昼休みを待った。



 だが昼休みになっても、生花は教室には来なかった。

 俺がアイツと付き合うようになってから、こんなことは初めてだ。おかげで今日はクラスメイトからの視線もないが、なんだか気味が悪い。

 まあ、来ないなら来ないでまた別の機会に別れを告げればいい。そうだ、今日は久しぶりに香車と一緒に昼飯を食べよう。

 そう思って、俺は教室を見回した。


「……ん?」


 香車がいない。まだ昼休みは始まったばかりで、クラスメイトたちは弁当を食べている。パンでも買いに行ったのか? いや、あいつはいつも弁当を作ってきていたはずだが。

 もしかしたらトイレにでも行っているのかもしれない。しばらく待ってみようと思った、その時だった。


「お、おい! あっちの階段で人が倒れてるぞ!」


 血相を変えたクラスメイトが、教室に飛び込んできてそう叫んだ。まさかと思い、俺は一目散に教室を飛び出し、階段に向かう。


 そこには――


「!? おい、生花!!」


 階段の踊り場で、頭から血を流して倒れている生花がいた。


「おい! 大丈夫か生花!」


 頭から血を流しているから、無理に身体を揺するのは危険だと判断し、俺は大声を出して生花の意識を確認した。顔に手を当てると、息はしているのは確認できた。それに小さく呻いているので、少し意識はあるのかもしれない。


「誰か! 救急車と教師を呼んでくれ!」


 俺は携帯電話を持っていなかったので、近くにいた生徒に叫んで教師を呼んでもらった。その時、生花が小さく呟くのが聞こえた。


「……な…つ……」


 ……その言葉を聞いて、俺は一人の男の顔を連想した。

 だけどそんなはずはない。アイツは俺を気遣ってくれた。俺を心配してくれた。そんな優しい男なんだ。そんなことはあり得ない。



 結局、生花は救急車で病院に運ばれて手当を受けることとなった。意識を取り戻した後、階段で転んで頭を打ったかもしれないと本人は言っていたらしい。しかし生花はこの事故の後、学校に来なくなったので、俺も伝え聞いただけだ。俺と生花の交際も、これで自然消滅した。

 しかし俺はひとつだけ、気になることがあった。あの時、香車はどこにいたのか。なぜ教室にいなかったのか。

 だから俺は、事故の後に一度だけ聞いてみた。


「香車、そう言えば生花が階段から落ちた時、どこにいたんだ?」


 まるで疑うような発言になってしまったが、香車はそれに対して特に怒るわけでもなく、こう答えた。


「……? いや、トイレにいたけど?」


 その時の香車の顔は、心から不思議に思ってそうな顔だった。

 俺はそれを見て、やはり香車が事故とは無関係なのだと確信した。

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