突如として川口に抱きしめられたアタシは、思わず身体をよじったが、大人の男の強い腕力に対抗できるほど、アタシの力は強くなかった。
だけど冷静に考えたら、下手に抵抗して殴られたりするのも面白くないので、とりあえず問いかけた。
「なんのつもりさね? 学校内でおっぱじめようってのかい?」
川口が前からアタシにセクハラまがいのことをしていたことから考えて、コイツがアタシに欲情しているのは明らかだ。大人の男が中学生に欲情するなんてのは、アタシからすりゃ別に珍しいことじゃない。社会的には許されないことだろうし、アタシも別にこんなオヤジが好きなわけじゃないけど、自分の欲望のままに今を楽しもうって気持ちなのだとしたら、それは共感できる。
「沢渡……俺は、お前が好きだ」
「ああ、そうですかい。そりゃ光栄なこった」
「許されない恋だってことはわかってる。それでも俺は、お前が好きなんだ。そして、お前も俺と同じ気持ちなんだろ?」
「あ?」
「さっき、『自分を楽しませてくれ』って言っただろ? あれは、そういう意味なんだろ?」
……なんだこのオッサン。今の言葉をまとめると、自分とアタシが両想いだって考えてるということなんだろうか。
冗談じゃない。別にアタシはどんな相手でも自分が楽しめるなら股開くけど、恋愛対象としての好みは間違ってもこんな脂ぎったオッサンじゃない。じゃあどういうのが好みかって聞かれたら、正直わからないけど。
だけど今の川口の言葉は普通じゃない。川口はアタシが自分のことを好きになっていて、自分の思いがアタシに届いたのだと思っているみたいだ。ロクに会話もしたことも、告白をしてきたわけでもないのに。
どうしたものかと考えていると、川口は一旦アタシの背中に回した腕を解き、両肩に手を置いてアタシと向き合った。
「良かった……俺は、自分がお前に恋をしていると知った時、本当に苦しんだんだ。こんな恋、許されるはずがないって。絶対に成就するはずないって。でも、お前は俺のことを受け入れてくれるんだな」
「……川口サン、言っておくけど」
「ああ、わかってる! 絶対に学校にバレないように細心の注意を払う。お前が大人になるまで、俺はずっと待っているから。な? 少しずつお互いの心を通わせていこうな?」
「……」
真剣な顔でアタシに語りかけてくる川口を見て、心の底から思った。
気持ち悪い。
個人的には、オッサンが女をエロい目で見るのは悪いことじゃないと思う。異性に魅力を感じるのは生物の本能だし、大人の男を何人も相手にしたアタシが川口を咎めるのも変な話だ。
だけど、実際に交際をするかとなると話は別だ。アタシが過去に男の相手をしたのはお金のためであり、自分の楽しみのため。つまりアタシ自身にメリットがあってのことだ。アタシが川口と交際することにメリットがあるかを考えてみるけど、うん、絶対ない。
というかそもそも、中学校教師である川口が生徒であるアタシに本気で恋をしているということ自体が疑わしい。単純に性欲と好意をはき違えているだけだと思う。にも関わらず、自分の性欲をまるでロマンチックなものとして語る川口が、心底気持ち悪かった。
「よし、じゃあこのことは俺と沢渡の二人だけの秘密だ。あとで秘密の連絡先を教えるから、放課後に残っててくれ。またな」
言いたいことだけ言って、川口は出て行った。
「……さて、どうするかね」
思わず呟いたけど、このまま川口と交際を始める選択肢がアタシの中にないわけじゃなかった。確かにあのオッサンと付き合うメリットはない。だけど今になって、川口がアタシに迫ってきたことに少し違和感があった。
とりあえずアタシは、川口の言うとおりに放課後に教室に残ってみることにした。
放課後になり、日が少し傾いたことで西日が教室に差し込んできた。
「さて、沢渡くん。君はもう帰るのかね?」
「あー、それがさ。ちょっと野暮用ができちまってねえ。ちょっと教室に残らなきゃならないんだよ」
「そうか。では先に失礼しよう」
恵美嬢はそう言って教室を後にする。今になって、恵美嬢と一緒に帰った方が面白かったんじゃないかと少し後悔したけど、川口の真意とその裏にあるものが気になった。
今になって川口がアタシへの好意を打ち明けたのは、アタシの方にも川口への好意があるという可能性があると考えたからだ。だけどアタシは川口に何か勘違いされるようなことをした覚えはない。つまり川口に何かを吹き込んだヤツがいるんじゃないのか。アタシはそう考えていた。
そう考えていると、川口が教室に入ってきた。
「おう、ちゃんと待っててくれたんだな。やっぱり俺とお前の心は通じ合っているんだな」
「……」
一方的に自分の思いをぶつけておいて、アタシと心が通じ合っているなんてセリフを吐く川口はやっぱり気持ち悪い。
「ヒャハハ、ま、川口サンは確かに男らしいし、アタシを楽しくさせてくれそうだからねえ」
だけどとりあえず、心にもないことを言って、川口を乗せてやることにした。
「そうかそうか。やっぱり良かったなあ。俺は間違っていなかったんだ。『あの人』に相談して本当によかった」
「……『あの人』?」
「ああ。俺が通っている病院の先生だよ。えーと、確か……」
川口はポケットから名刺入れを出して、その中にあった一枚の名刺を見る。
「そうそう、空木先生だ。やっぱりお医者さんはちゃんと俺のことを見てくれているんだなあ」
「……!」
その名前を聞いたアタシの顔が、上手いこと怒りの感情を隠せているかどうかはわからなかった。
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