「アンタが、医者?」
「そーうだよ。まあ、意外だって言われること多いけどね-」
空木晴天と名乗った男は、間延びした口調でアタシに笑いかけて、名刺を差し出してきた。それがどうにもムカついたので、名刺を奪うように受け取った。
「……『神栖記念病院・精神科医 空木晴天』ねえ」
「そーうそう。ボクはね、嫌な気分になっている人が平穏に生きられるように、『希望』を与えるのが仕事なんだよね」
「アタシがイメージする精神科医の仕事とずいぶん違うね。精神科医ってのは、クスリで強引に患者の嫌な気分を取り除くもんだと思ってたけど」
「『強引』というのは、ちょーっと乱暴な言い方だね。投薬治療はその人が元々持っている機能を回復させるためのものだよ。『死』に向かっている人が『希望』を持って生きられるなら、それに越したことはないだろう?」
にこやかに笑いながら、アタシに同意を求めているけど、空木晴天の言葉にはどこかうさんくささがあった。
そもそもコイツは、本心を話しているのだろうか。精神科医が『希望』を与える仕事なんて考え方が、コイツの本心なのか、アタシにはいまいち信じられなかった。
「んで? その精神科医サマが、なんでこんなところをうろついているんだい?」
「さっきも言ったけど、この学校で講演を頼まれたんだよねー。打ち合わせの前に校内を見て回ってたら、柏さんがいたから声をかけたんだよ」
「君がこの学校で講演を行うのかね? それはさぞかし、素晴らしいものなのだろうね」
言葉とは裏腹に、恵美嬢はあらぬ方向に目を向けてため息をついていた。
「そーう言われるのは嬉しいねえ、柏さん。あーあーあー、でも君は、ボクの講演は聴きたくないかなあ?」
「先ほども言ったが、君と会うのは病院だけで十分だ。どうせ君は講演でも、『この世には希望が満ちあふれている。生きてさえいれば何かいいことがある』などとのたまうのだろう? それはもう聞き飽きたよ」
どうやらさっきの話に上がった、恵美嬢と真逆の思想を持つ男とは、この空木晴天で間違いないみたいだ。今のところ、アタシもこいつを好きになれそうにはない。
「きーみは聞き飽きたのかもしれないけど、ボクとしては相手が聞き飽きるほどにそれを言う必要があるんだよ。この世の中にあふれる『希望』から目を背けたまま、自分から死に向かう人がいるなんて、悲しいじゃないか」
「さっきから聞いてると、アンタの言うことってどこか嘘くさいね」
せっかくの恵美嬢との楽しい会話を邪魔されたこともあって、アタシは少しイラついて会話に割り込んでしまった。
「うーん? ボクは嘘なんて言ってないよ? 世の中には楽しい『希望』があふれているって本気で思うし、ボクがこれまで担当した患者さんも、今では『希望』を胸に抱いて生きている。それに、人が死ぬより生きている方がみんな喜ぶに決まっているじゃないか。ボクはみんなが生きていることに喜びを感じるんだよねー」
「アタシの母親は『希望』を胸に抱いた結果、報われずに死んだけどね」
「あーあーあー、人間である以上、死ぬことは避けられないよ。でも、その人が『希望』を抱いたままその最期を迎えられたなら、それは幸せな最期じゃないかなあ?」
「ふざけるんじゃないよ。華さんの死を、アンタが勝手に評価するじゃないよ」
知った風な口を利く空木晴天に腹は立ったけど、そもそもアタシはコイツと話す義務なんてない。さっさと自分の教室に帰ればいい。こんなヤツとの会話でアタシの『絶頂期』が来るわけがない。
「あーあーあー、もしかして、君は沢渡華さんの娘さんかなあ?」
「……あ?」
「あーっ、やっぱりそうだ! なんか顔が似てたんだよねえ。それに、さっき『華さん』って言ってたし、そうかそうか、君が沢渡生花さんか」
「なんでアンタが華さんを知ってるんだい?」
「そーれはね、ボクは沢渡華さんの担当医でもあったからだよ」
「なんだって?」
この男が華さんの診療を担当していた?
そう言えば恵美嬢はさっき、この男と華さんの考え方が似ていると言っていた。そして空木晴天は、華さんの担当医だった。
じゃあ……まさか。
「あーあーあー、そういえば華さんが亡くなったって聞いたときは悲しかったなあ。せっかくボクが彼女に『希望』を持って生きれるように治療を行っていたのに。『頑張ればいつか報われる』って、教えてあげたのに……」
「アンタが……」
「んー?」
「アンタが、華さんにその考えを植え付けたのかい!」
思わず胸ぐらを掴んで詰め寄ったけど、アタシの怒りは収まらなかった。コイツが華さんを、あるかどうかもわからない『希望』に縋らせたのだとしたら、許すことはできない。
「ちょーっと待ってよ。見たところ、生花さんは怒ってるようだけど、それはボクに対して怒ってるのかな?」
「他に誰がいるって言うんだい! アンタがいなければ、華さんは……!」
「あーあーあー、もしかして、ボクがいなければ華さんは苦しまなかったとか言わないよね? それは悲しいなあ」
「ああ!?」
「だってそうじゃないか。ボクは彼女に『希望を持って生きるられる』ように治療を行ってきたんだ。医者として正しい行為だろう? そして彼女はその甲斐あって、『希望』を胸に抱いて生きてきたんだ。苦しい道のりだったかもしれないけど、自分から死を選ばずに済んだんだ。いいことじゃないか」
「華さんが、自分から死を選ぼうとしてたっていうのかい?」
「そうだよー。華さんは旦那さんの遊び癖は、自分に原因があるって思っててねえ。自分が死んでしまえばいいんじゃないかとすら思っていたんだ。でもボクの治療で生きる道を選んだ。ほら、一件落着だろう?」
……確かに、コイツの言ったことが真実なら、華さんはとっくのとうに自殺していたのかもしれない。コイツは華さんの命を救ったのかもしれない。
だけど、だけど……!
「そこまでにしたまえよ、空木医師」
葛藤するアタシと空木晴天の間に、恵美嬢が割って入ってきた。
「あまり私の友人にちょっかいを出さないでくれるかな? 君は私に会いに来たと言った。目的は私なのだろう?」
「あーあーあー、そうだったねえ。まあ別にね、ボクが君に言うことは変わらないよ。どんな時でも、何があっても、『希望』を持って生きることへの執着を捨てないでほしい。ずっと言ってきただろう?」
「そうだね、君はずっとそれしか言わない。私がどんなに『絶望』を求めていたとしても、それしか言わない。君が見ているのは私ではなく、『私が生きている』という結果だけだ」
「なーにを言っているのかな。さっきも言ったけど、死んでしまうより、生きていける方が、幸せに決まっているだろう?」
「君にとってはそうだろうね。なにせ君は、患者が『希望を持って生きてさえいればそれでいい』と思っているのだからね」
恵美嬢は苛ついた様子で向き合っているけど、空木晴天の方は爽やかな笑顔を崩さなかった。
「まあ、君のことは長い時間をかけて治療をしようと思っているんだ。そうすれば君も『希望』の素晴らしさをわかってくれると思うんだよね」
「そうかね? 私は君の診療を終える前に、『狩る側の存在』に蹂躙されていることを願うよ」
「あーあーあー、そういうことを言うのは良くないね。君の保護者の方とは、もう一度話し合っておこうかな」
「そうしてくれたまえ。斧寺くんが君を気に入っているかどうかは知らないがね」
「さて、もう打ち合わせの時間だからボクは行くよ。講演を楽しみにしててね」
「ああ。目を閉じてじっくりと聞き入るとするよ」
空木晴天は手を振りながら教室を出て行ったけど、アタシはそれを見ながら思った。
アイツの言葉はどこか嘘くさい。というか、つまらない。どこかで聞いたような安っぽさを感じる。
おそらくそれは、恵美嬢も感じていることなんだろう。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!