5月下旬にしては高い気温に体力を奪われつつも、私こと樫添保奈美は友人である柏恵美と共に、駅近くにあるショッピングモールを訪れていた。
「おお、見たまえ樫添くん。頑丈なチェーンが売られているよ。是非ともこれで身動きを封じられてみたいものだ」
「……なんで休日の昼に女二人でホームセンターに行かなきゃならないの」
キラキラとした目で無機質なチェーンを眺める柏ちゃんを見ながら、私は今日の目的を思い返していた。
同じく友人であり、柏ちゃんの支配者として君臨する女性、黛瑠璃子から頼まれたのは、柏ちゃんの護衛だ。
『空木晴天って男がエミを狙っているから、私がいない間にエミを見張っておいて』
黛センパイから聞かされた、『空木晴天』なる男の説明はこうだ。
かつて柏ちゃんの診療を担当していた精神科医であること。
しかしその人間性は医者として真っ当とは言い難く、柏ちゃんを無理やり生かして『希望』に縋らせようとしていること。
当の柏ちゃん本人も、空木晴天のことを強く嫌っていること。
説明を聞く限り、確かにその男は柏ちゃんとは対極の思想を持っているように思える。柏ちゃんが嫌うのも無理はないだろう。
ちなみに黛センパイはその空木晴天の弟さんである空木曇天に話を聞きに行っている。曇天さんとやらはこの間柏ちゃんを攫った『死体同盟』なる怪しい団体の代表らしいので、黛センパイは柏ちゃんを連れて行かずに一人で話を聞きに行ったというわけだ。
私としてはそんな団体に一人で話を聞くのも危険ではないかとも思ったけど、黛センパイならまあ大丈夫だろう。
それより……
「樫添くん、先ほど切れ味のよさそうなノコギリを見つけたのだが、私の死体処理に使えないだろうか?」
「こんな公共の場所でそんな物騒なことを言わないの! 誰か聞いてたらどうするの?」
「そうなったら、大人しくこの命を奪われようではないか」
「……そりゃアンタはそう言うよね」
全くいつも通りの言動を繰り返す柏ちゃんに呆れながらも、私は少しの違和感を抱いていた。
「ねえ、柏ちゃん」
「なんだね?」
「黛センパイのこと、心配?」
「……ふむ」
さっきから見ていると、柏ちゃんはどうも『楽しまなければならない』という気持ちで楽しんでいるように見えた。いつも私たち三人で遊ぶときは、ここまで自分の趣味に周りを付き合わせたりはしない。私や黛センパイの選んだ場所に柏ちゃんが付き合うことの方が多いのだ。
だけど今日の柏ちゃんは無理にでも自分の楽しみに没頭しているように見える。その理由はやはり、『死体同盟』に一人で話を聞きに行った黛センパイが心配なんじゃないだろうか。
「私はルリの支配下にある。私の全てを支配しているルリのことを心配など、するべきではない。そうは思わないかね? 樫添くん」
「“するべきではない”じゃなくて、柏ちゃんが黛センパイのことを心配しているのかどうかを聞いてるの」
「……君も言うようになったではないか」
「それで、どうなの?」
そこまで言って、柏ちゃんはいつもの薄笑いを消して、少し目尻を下げた。私たちの前でだけ見せる、彼女の憂いを帯びた表情だ。
「……心配だよ。ああ、心配だとも。笑ってくれたまえ。私は自分の全てをルリに委ね、支配されていると口では言っているものの、まだ彼女の力を信頼せずにいる。ルリが必ず私の元に戻ってくると確信しているはずなのに、もしかしたら彼女が何らかのアクシデントに見舞われて、私を支配できなくなるかもしれないと疑っている。全く、『獲物』を名乗っておきながらこの体たらくだ、自分でも笑ってしまうよ」
『レプリカ』の一件で黛センパイが攫われたことはまだ柏ちゃんの頭に残っているんだろう。いくら黛センパイでも、完全無欠じゃない。何らかの理由で敵の手に落ちることは十分にあり得る。
だけど、それがなんだ。
「笑わないよ」
私は柏ちゃんの右手を両手で握りながら言った。
「友達を心配して何がおかしいの? 柏ちゃんにとって、黛センパイはそれだけ心配するに値する人だってことでしょ? 何もおかしくないよ」
「樫添くん……」
「でもさ、黛センパイは強いよ。いつだって柏ちゃんを守ってきた。だから今回も何もなく戻ってくる。私はそう信じてるの」
私の言葉に対して、柏ちゃんは再び笑いを浮かべた。
「くっくっく……」
「な、何がおかしいの?」
「初対面で私を敵視していた君が、随分と友好的になったものだと思ってね」
「む、昔のことを蒸し返さないで!」
思わぬ反撃にポカポカと柏ちゃんの頭を叩いてしまう。全く、この子は本当に只者じゃない。
そう思っていると、同じフロアに私たちを見ている女の子がいることに気付いた。随分と露出度が高いファッションをして、髪をピンクに染めた派手な女の子だ。
……いや待て、その外見の特徴。黛センパイから聞いた、『死体同盟』のメンバーと一致する。確か名前は……
「おや、沢渡くんではないか」
「ヒャハハ、こんちは、恵美嬢」
そう、沢渡生花。柏ちゃんの中学時代の友人で、極端な刹那主義の女。
それに気づいた私は、柏ちゃんの前に立つ。
「おやおや、今日の恵美嬢のガードはアンタかい。樫添保奈美さん?」
「そういうこと。まだ柏ちゃんに用があるの?」
「うーん、そうだね。確かに恵美嬢には興味あるけど、今日の用件はアンタの方だよ、保奈嬢」
「保奈嬢って……いや、それより私に何の用なの?」
「アンタに会わせたいヤツがいてねえ」
沢渡がそう言った直後、突然私たちの後ろからヒヤリとした空気が流れ込んだ。柏ちゃんもそれを感じ取ったのか、すぐさま後ろを振り向く。
――そこにいたのは。
「……え?」
なんで。なんでアイツが。そんなはずはない。アイツは確かに死んだはず。
『成香』か? いや、『成香』はアイツの死を目撃してアイツの影響を受けた人間のことだ。アイツは……
棗香車は、確かにもういないはず。なのに。
「香車、くん?」
柏ちゃんがそう呟くのも無理はない。私たちの後ろにいた人物は、あまりにも棗香車に似すぎている。
「……全く、私はそんなにあの子に似ているのかな。もう28歳になる人間が、中学生に間違われるのも情けない話なんだけどね」
その人物が口を開いたことで、ようやく気付いた。
今の声は女性のものだ。棗に似た雰囲気に圧倒されて気づかなかった。確かによく見てみると、顔だちも体のラインも女性のものだし、顔も私たちが見た棗香車とは微妙に違う。
そうだ、コイツは棗香車じゃない。そうなると、コイツは誰なんだ。
「えーと、沢渡さん? この子たちが晴天さんが言ってた子たちで間違いない?」
「ヒャハハ、そうだよ朝飛嬢」
「『朝飛嬢』はやめてよ。私、もうそんな歳じゃないし」
「ああ、そうだったそうだった、すまないねえ、朝飛さん」
女の口から『晴天』の名前が出た以上、確定だ。コイツらは私たちの敵として現れている。
懐に忍ばせた催涙スプレーに手をかけ、柏ちゃんを守る。
「柏ちゃん! 私から離れないで!」
「……あ、ああ」
柏ちゃんはまだ目の前にいる『アサヒ』とかいう女に目を奪われている。これはまずい。
とにかく黛センパイに連絡を取らないと。そう思ってカバンからスマートフォンを取り出す。
だが、それが間違いだった。
「ぐっ!」
スマートフォンを握った左手は、沢渡が放った蹴りによって弾かれた。その衝撃でスマートフォンを落としてしまう。
「ヒャハハ、連絡はさせないよ。これから楽しくなるってんだからねえ」
瞬時に沢渡が床に落ちたスマートフォンを蹴り飛ばす。まずい、まずはこの場を離れないと。
「柏ちゃん、走るよ!」
「……香車、くん」
「柏ちゃん!」
「あ……」
まだ目を奪われている柏ちゃんの手を取って、強引に走らせる。まずはここから逃げ出すことが先決だ。
だけど私の頭にはまだアイツの顔が焼き付いていた。死んだはずの棗香車に似た女の顔だ。
もしかしたら親族なのかもしれない。それなら、顔が似ているのは説明がつく。
だけど……あの雰囲気は、ひとつ間違えばあっさりと命を落としそうなあの圧倒的な『殺気』は。
親族というだけでは説明ができない、『狩る側の存在』が放つものだった。
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