二月も中旬とはいえ、日が沈めば気温はやはりぐっと下がる。しかし室内に入ってしまえばその寒さを忘れることは出来る。駅近くにあるファミレスで、四人用の席に座る私たち三人も暖かい雰囲気になれるはずだった。だが……
「それでは皆さん、定期試験お疲れさまでしたー!!」
私、樫添保奈美はそう言いながらジュースの入ったコップを掲げて乾杯の動作を促すが、そのコップがガラス同士がぶつかる小気味いい音を放つことはなかった。正直言って、今の空気は二月の屋外と変わらないくらいに肌寒いもののように感じられる。
現在、私から見てテーブルを挟んだ正面には二人の女性が座っている。本来ならばその二人が私に呼応して、『お疲れさまでしたー!!』とでもいいながら乾杯するべきなのだ。なのにこの問題児二人は本当に空気が読めない。
「お、お疲れさまでしたー……」
問題児二人に何とか乾杯を促そうとするが、特に私から見て斜め前にいる女性の迫力に押されて声が小さくなってしまう。
青色がかった長い黒髪を背中まで伸ばし、白いブラウスの上に赤いカーディガンを羽織っているその女性は、腰に巻いたベルトに付けられているホルスターを握りながら不機嫌そうにあたりを見回していた。
この人こそ、今のこの気まずい空気を醸し出している張本人であり、私の高校時代の先輩でもある、黛瑠璃子だ。
「ま、黛センパイ、せっかくの三人だけの打ち上げなんですから、気を抑えて欲しいのですが……」
「…………あんなことがあったのに?」
うう、怖い。この人は柏ちゃんのことが絡むと本当に人が変わるの……
普段は結構頼りがいのあるセンパイなのに、どうしてこうも彼女が絡むと周りが見えなくなるの……?
そう思いながら黛センパイの隣、私の正面に座るもう一人の女性を見ると、センパイとは対照的に彼女の特徴の一つである薄笑いを浮かべていた。
「くふふ、今日はいい日だね。私の前に久し振りに、『狩る側の存在』が現れたのだから。そう、この私の命は近いうちに尽きるということに他ならないのだよ」
薄笑いを浮かべるショートカットの女性は、その美しい容姿や年齢に似合わないほどに芝居がかった口調で喜びの声を上げる。正直、ファミレスでそんな大声を出すのは止めて欲しい。
彼女こそ黛センパイの大切な人であり、必死に守ろうとしている存在、柏恵美である。
「エミ、あれはそんなんじゃないわ。もっと下劣なものよ」
頬を赤らめながら歓喜する柏ちゃんに対し、黛センパイは尚も不機嫌そうに目を細めて彼女に言い放つ。
そもそもなぜこんなことになったのか。それは数十分前のことだった。
私の大学でも黛センパイたちの大学でも試験期間が終わり、三人で打ち上げでもしないかとセンパイに誘われて駅前に集まったのだ。そして、私と柏ちゃんがまだ未成年ということもあり、ソフトドリンクでお祝いしようということで近くのファミレスに入ろうとしたときに事件は起きた。
「ねえ、お姉さん達。そんなチンケな店じゃなくてもっといい店紹介してあげようか?」
髪を染めて両耳にピアスを開けた、いかにもチャラそうな三人組の男達が私たちに声をかけてきたのだ。
その時点で黛センパイはかなり不機嫌になっていたのがわかった。それに私もこの手の男は好きじゃなかったので早く立ち去りたかったのだが、問題は三人組の一人が柏ちゃんに向かって放った一言だった。
「おい、真ん中のショートカットの彼女。アイドルかってくらい可愛いじゃん。俺たち、君みたいな子を見ると、ハンターになっちゃんうんだよねー」
あ。
これはまずい、この二人の前で「ハンター」とかそういう言葉はまずい。
案の定、まず柏ちゃんが反応した。
「ほう、君たちは私を『狩る』つもりなのかね?」
男達は柏ちゃんの異様な口調に一瞬戸惑いながらも、いけると思ったのか顔を近づけてくる。
「そうそう、もしかして『狩り』待ちだった? その気なら、俺たちの手で天国に連れて行っちゃうよ?」
「天国には興味ないが、君たちの『狩り』には興味がある。果たしてどのようにして私に……」
「そこまでよ」
一言。
黛センパイの放ったその一言で、男達の動きが止まった。
顔を上げて男達を見る黛センパイの顔は、異様なまでに無機質なものだった。反対に、センパイの顔を見た柏ちゃんの顔が喜悦に満ちる。
「おやおや、そうだった。私の支配者が、『狩る側』が存在することを許してはくれないのだったね」
そう、比喩でも何でもなしに、黛センパイは柏ちゃんの『支配者』だ。そんな彼女が、柏ちゃんの身の安全を脅かす者が現れて黙っているはずがない。
その証拠に、センパイの無機質な目が男達の体を突き刺して離さない。男達も彼女の異様な雰囲気に呑まれてしまっている。
無理もない。日々を遊んで過ごし、人生を無為に消費してきたであろう彼らが、幾多の命のやり取りを潜り抜けてきたセンパイに敵うはずがないのだ。
そして男達が平静を取り戻す前に、黛センパイはもう動いていた。
「グガッ!?」
突然、男の一人がうめき声を上げる。気が付くと黛センパイは腰のホルスターから黒い物体を取り出し、男の腹に何の躊躇もなく当てていた。その直後、悲鳴を上げた男はその場にうずくまる。
黛センパイがホルスターから取り出したもの。それは柏ちゃんを守るためにいつも携帯しているスタンガンであった。
「……あなたたち、私のエミに勝手に手出ししようとしてるのかしら」
うずくまる男を、黛センパイは尚も無表情で見下ろす。これは本気で怒っているときの顔だ。怒りのあまり、顔の筋肉を動かすことすら忘れている状態だ。こうなったらもう、私では止められない。
「お、おいアンタ何を……」
「黙れ」
「……っ!!」
うずくまる男を心配した仲間が黛センパイを止めようとするが、彼女の一言で再度動きを止めた。
そんなことを気にも止めず、センパイはうずくまる男の髪を掴んで顔を無理矢理上げさせる。
「あ、が……」
未だ体の自由が利かない男は、なすがままになっていた。
そんな彼の目に、センパイはスタンガンを近づける。
「あなた、『自分が死ぬかも』って思ったことはある?」
「ひ、ひい……」
「ないでしょうね。こんなノーテンキに私たちに近づいてきたあなたに、そんなことを考える頭があるはずない」
「やめ、やめて……」
目にジリジリとスタンガンを近づけられたことにより、男の両目から涙が溢れてでくる。しかしそれでも、センパイは一切の容赦をしない。
「教えてあげる。死は私たちのすぐ近くにあるものよ。私も、あなたも、一つ選択を間違えたらあっさりと死ぬことがある」
「あ、あああ……」
「あなたはナンパする相手を間違えた。よりによって、私のエミに手を出そうとした。だから今、こうして危機に瀕している。わかる?」
「は、はいぃ……」
「安心して、私は人殺しなんてしない。でも、それ以外なら大抵のことは出来る覚悟がある。例えば、あなたが二度とナンパ出来ないようにするとかね」
もはや男の仲間達もセンパイを止めようとはせず、恐怖でその体を動かすことすら出来ない様子だった。対して柏ちゃんはセンパイを凝視し、恍惚の表情を浮かべている。
「それがわかったら、二度と私のエミに近づくな」
そう吐き捨てると、センパイはようやく男を解放した。
「ちょ、ちょっと、あの人達どうしたの?」
その時になって、ようやく私は周りの通行人たちが私たちを見て、ざわついているのに気が付いた。まずい、いくらなんでもあれはやりすぎだ。下手したら警察に通報されているかもしれない。
「セ、センパイ、早くここから離れましょう」
「……そうね。エミ、行くわよ」
「くふふ、仰せのままに。私のルリ」
そして私たちは逃げるようにその場を離れ、近くのファミレスに入った。
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